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2023年11月8日(水)★自転車で日比谷へ『ゴジラ−1.0』を鑑賞。エンゾ清水さんと30年ぶりに遭遇。パンディット二号店視察。『小杉湯』久々に。

6時起床。
寝覚めは悪くない。

日記を書く。
昨晩に進めていたので、
比較的にスピード感で書き終える。

燃えないゴミ出し。

モーニングを作る。

新任務を仰せつかるが、気分次第で楽しく出来る。

日比谷のIMAXシアターの予約を済ませる。
IMAX代が+700円。ひとり二千円だ。

東野幸治さんとのライブに向けて、
芸人不祥事年表作り。

12時より、ハカセ会のYouTube生配信。
『本業』から
「えなりかずきのしっかりしろ』を朗読。
「レレレのおじさん」話へ。

 完全に意識がひくいひとたちの集まりだ。

終了後、レレレのおじさんの完全プロフィール
調べたら——。

レレレのおじさんはいつも竹ぼうきで、土煙を巻き上げ、路上清掃をしているため、一般的にも暇を持て余している横丁の御隠居さんといったイメージしか持たれず、またそれ以上の身の上においても、本編中、全くと言っていいほど、明かされていなかったが、連載後期に発表された「はじめてあかす おでかけのおじさんの意外な過去なのだ‼」(「月刊少年マガジン」75年11月号) で、その謎に包まれた過去が、本人の口から赤裸々に語られている。

レレレのおじさんは、この頃から遡ること昭和初期の時代、新婚生活を送っており、新婚一年目にして五人、結婚後五年目にして二十五人の子宝に恵まれるという、今でいうビッグダディさえも凌ぐ子沢山ぶりだった。

しかし、その生活は想像を絶する程の過酷さで、子供達が全員ご飯を食べ終えるのに、七時間近くも要し、学校への送り出しも、やっと最後の一人を送り出した頃には、下校時間となって、他の兄弟達が帰途に就くという、てんやわんやの毎日だった。

そんな生活に業を煮やしたレレレのおじさんは、ある時、子供達をほうきで掃いて、敏速に行動させることを思い付く。

このほうきを使った子育ては、予想以上の効力を発揮し、学校での遅刻もゼロになる。

そして、その後も子供達はスクスクと育ち、立派な成人へと成長を遂げてゆく。

だが、子供達が全員独立したある日、レレレのおじさんは妻に先立たれ、遂に一人孤独の身となってしまう。

そうした寂寥感がもたらす悲哀なのか、ほうきで掃く習慣は抜けず、いつしか街に出ては、舞い落ちる枯れ葉に我が子の姿を重ね合わせ、ボランティアで落ち葉掃きをするようになったのだ。

また、前述のエピソードの「20年後のお話なのだ」(前編)(72年6号)で、レレレのおじさんは、レレレ電気商会なる大手家電メーカーを設立することになるが、それでも、「やっぱり ソウジはこれにかぎるのでごじゃーい‼」と、相も変わらず見事なほうきさばきを披露しており、やはり竹ぼうきこそがレレレのおじさんにとって、ある種のステータスシンボルだということが、こうした振る舞いからも安易に理解出来よう。

さて、こうした様々なドラマを過去や未来に持つレレレのおじさんであるが、その性格類型を分類すれば、クールさを内に秘めた達観者であり、もっと突き詰めていえば、パシフィストのそれそのものと言っても過言ではないだろう。

パパに掃除を邪魔されたり、殴られたり、足蹴にされたりと、常に散々な目に遭わされても、決して取り乱すこともなく、無抵抗主義を貫き通すあたりに、その本質的性格が現れているようにも思える。

しかしながら、「地球をきれいにそうじするのだ‼」(「月刊少年マガジン」76年1月号)という挿話では、道端に林檎の芯を捨てたバカボンを、ほうきで叩いて叱るといった、荒々しい一面を見せたり、便意を催した際には、地球を汚してはいけないという、強迫観念にも似た使命感から、パパと二人、エジプトの砂漠までひたすら走り続けたりと、度を越えた環境保全を普及啓発する偏執狂ぶりも覗かせており、チョイ役ながらも、一筋縄ではいかないバラエティー性を纏ったキャラクターでもあるのだ。

余談だが、『バカボン』の世界観そのものが仏教をバックボーンにして描かれているという異説から、レレレのおじさんもまた、掃除をすることで悟りを開いたとされる、釈迦の弟子にして十六羅漢の一人、周利槃特をモデルにしていると言われているが、やはり、生前赤塚及び当時のフジオ・プロのスタッフから、そのような証言がなされたことは一切ない。

25人の子沢山だったのか。
とても切ない気持ちになった。

ランチ。謎肉まみれにトッピング。

原田専門家が来宅し、
ふたりで自転車の乗り、日比谷を目指す。
主に早稲田通りから外回りで。
秋晴れで気持ちのいいサイクリング。
原田くんはアシストなしだが、
神楽坂も一気に駆け上がる。
Uber Eatsで鍛え上げられている。

一時間半後、駐輪場に止めて、
TOHOシネマズ日比谷、
3番スクリーンへ。

15時40分の回にギリギリだったな。
客席は350定員が、9割り以上の満席。

『キラーズ・オブ・ザフラワームーン』
の3時間半を体験した後では、
短編か、と思えるほどの体感時間。

事前知識をかなり入れていたので、
ドラマの矛盾点は気になるっちゃあ気になる。

演技を含めて朝ドラ感というか、
デジタル的なセット感というか、
大芝居感というか……。

当然、特攻の生き残りストーリーは、
『永遠のゼロ』を彷彿する。

に、比べてゴジラ登場シーンは100点。
人間ドラマシーンはマイナス20点で80点か。

『アントニオ猪木をさがして』と同じく、
みんな猪木、ゴジラが戦っている姿を見たいのだな。

出口で出っくん(東出昌大)
らしき人を見かけて、追っかけていたら、
「ハカセ!!」と声をかけられる。
お互い見合わせるが、瞬時に顔を思い出せない。
「(君の名は?」」
というボクの醸し出す雰囲気に、
「圭!清水圭です!」と。
脳内に「清水大敬」
という往年のオヤジAV男優を思い出すが、
違う、このひとは圭修の清水圭さん。
アサヤングランブルーの
エンゾ清水だ!!
「体調、良くなったん?」と気遣ってくださる。
「お陰様で。いっときは非道かったですけど」
「良かったやん」
「芸能界引退されたって。お一人ですか?」
一瞬、離婚されたばかりであったのに、
余計なこと聞いたと思いつつ。
「世田谷のお店は?」
「目黒やけど。枝豆さんがよく来てくれてる。
 博士のこと心配してたよ」と。
「写真、一緒に撮っていいですか?」
「うん。ええで」
ゴジラの前でパチリ。
「ゴジラ、オモロかったなー!
じゃあ、また何処かで」
と言い残し、別れた。

30年ぶりくらいの邂逅だと思う。
アサヤンの頃は対決企画が多くて、
スタジオでもバチバチしていたが、
会えば一瞬にして和やかになった。

もう芸能界を引退していることを思えば、
貴重な写真かもしれない。

(あ、確認していなかったけど、
X、ブログの掲載がよろしくなければ、削除します)

E・T Meets GODZILLA


再び自転車に乗って、帰途は内回りを選ぶ。

E.T.ちゃん国会へ行きたがる。

高円寺で割ってしまって、ビールジョッキを購入。

パンディット2号店へ下見へ。
次回の東野幸治さん、with 吉田豪ちゃん
とのライブは、今までも小さなライブハウスだが、
より小さな会場で開催するのだ。

定員13名のところを20人の観客で。
既に会場チケットは売り切れ、
配信も売れているようだ。

パンディト2号店

店長の奥野くんは不在で、そのまま、
眼の前、向かいにある『かりい食堂』
へ吸い込まれる。
高円寺のカレー好きとしては
未踏なのが、気になっていたお店。


メニューを見ただけで期待大。

カーリーチキンカレー


晩秋の羊

期待を裏切らないお味で大満足。
もうすぐ4周年になるらしい。

奥野くんが駆けつけた、
パンディット2号店へ。
確かに狭いし、ステージ部分に、
ボクと東野幸治&吉田豪、
3人のスペースがないのだが、
3人がけのテーブルを用意するとのこと。

パンディット2号店

その場で、12月13日の配信チケットに
『藝人春秋』の文庫を付けるシステムを採用する。
そのまま、情報解禁。

汗だくなので、超ひさしぶりに小杉湯へ。
高円寺在住時代は、
「高円寺となり」にワーキングスペースを借りていたので、
週5で通っていた。

風呂から出るとき、番台の若いオネェさんに、
「お二人共可愛いファッションですけど……。
デザイナーさんですか?」
と聞かれる。
まさか60代と50代のチビじいさんに。
いや、くたびれた『ビックリボースキー』ならぬ
『リトルリボースキー』の冴えない2人組に。
「この人は、デザイナーですよ」
と原田くんを指差す。

原田くんの
『空想彼女毒本』の逸話が、
現実に起こって、唖然としてしまった。


AIと言えば、こちらの話も実に興味深い展開になっている。

https://x.com/s_hakase/status/1722220340062171629?s=20

ちょうど娘の帰宅時間で、
お迎えに駅に直行したが、
ママが一足先に到着していた。
残念。


往復3時間の自転車旅に流石に疲れた、
YouTubeの生配信を21時半からに前倒し。
されど、飲むほどに酔うほどに元気に。
結局、2時間半も生配信。
しかも、個別ギフトで4点入った。

ドルフィン三木くんのYouTubeを見ながら
就寝25時。

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