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2023年12月21日(木)★大阪高裁で二審で敗訴の判決言い渡し。「大阪司法記者クラブ」で記者会見。「船場寄席」へ移動。シンデレラ・エクスプレスのナベちゃんとの90分ノンストップトーク。最終の新幹線で帰宅。

7時起床。ここはどこ? 私は誰?

宴の跡がある……。

大阪だ、今、大阪にいるのだ、誰の家だ……。
徐々に覚醒していく。

とにかく、
皆様の出勤時間である
午前9時前には日記をあげたい。

皆が寝静まるなか、
ひとりキーボードを打ち続ける。

走り書きの(仮版)を
8時30分にあげる。

10時まで待って、
隣室で寝ている
臨時マネージャーの瀬戸くんを起こす。

瀬戸くんは別室で寝ていたが、
起きてトイレに行くときに、
何やら寝ぼけて
棚を倒してやらかしたらしい。
別室を綺麗に掃除をしながら、
恐縮しきり。
被害規模がわからないのだが、
原状回復を約束する。

鳥居さん、
連れが本当にすいませんでした。

宴の後を掃除して、
一宿一飯の恩義をお礼して、
鳥居さん宅を旅立つ。

鳥居さん宅は、
ボクの大阪の定宿、民泊だ。

究極の親切と至高の料理で
もてなしてくれる。

大阪行きの時は、
また来よう。

約束の地に行くまで時間はある。

天気も最高。
雲一つ無い。

しかし、行き先がわからない。


NAVITIMEを発動。

川沿いに北上すれば、
目的地の弁護士会館だ。

淀川沿いの建物及び景色が、
レトロフユーチャー調で
実に素晴らしい。

日本の都会の中でも指折りの建築美だ。
縦に伸びる高層建築と横に湾曲する橋や高速道との
融和が素晴らしい。

ゴミ一つ落ちてない。
まるでシンガポールのよう。
確かに大阪は大きく変わった。


古い建築物と新しい建築物、
川、橋の融合がたまらない。

橋架の下もまるでキャンバスのよう。

パースペクティブが絶妙の建て方。

これは秀吉の瓢箪かしら? 確かめられなかった。

絵葉書より美しい。

絶景の建築日の連続に
これなら「万博もありじゃねぇ!」と軽口を言うほど。

此処は日銀の大阪支店だったかしら。

郵便局?

松井市長を訪ねて、
通い慣れたる大阪市庁舎へ。


市庁舎には既に、松井一郎元市長は、
「コロナと共に去りぬ」なのだが、
コロナ禍に全国一の被害であったことは忘れない。

ミャクミャクくんとも今なら仲良くできそうだ。

ココで今日、判決が下る。

なんとか大阪弁護士会館に到着。

地下一階のレストラン。
11時前から東横キッズのように
座り込んで身支度を整えながら並ぶ。

日替わり定食を頼んだけれども、
想定外の美味さ。
特に豆乳うどんは、麺も油揚げも旨すぎて
ぶったまげた。

瀬戸さんはハンバーグ。

12時30分までレストランで粘り、
一階のロビーへ。

佃克彦弁護士が登場。
昨晩は、和歌山で事件を担当していたらしい。

「それでは行きますか?」
と大阪高裁まで歩いていく。

高裁前は入口には行列。

「え、博士の傍聴の方、
こんなにいるの?」
と佃さんも驚いた様子。

皆、空港並みの厳重な身体検査を経て、
別館8階84号法廷へ。

コチラで判決言渡しがあるのだ。
        
14時30分。

法廷の傍聴席に赤木雅子さん。
一昨日は残念な判決が合ったばかりだが、
ボクを激励して下さる。

「中学生新聞」くんも駆けつける。
メモを取りながら記者魂満々。
「裁判の取材は初めてです!」
と初々しい。

大石あきこ事務所の神田ゆか秘書も。

ハカセの面々もいらしてくださる。
実に心強い。

傍聴席は50席ほどで満員。

ボクと佃先生は被告席に座る。
先生は「ま、勝てますよ!」と楽観的。

原告側には、松井一郎氏はもちろん、
(彼は公判中一度たりとも法廷に来ていない。
ただ部下に命じて訴えただけ。それだけ。)

裁判長、裁判官を連れて入廷。

そして開廷前に、
2分間の写真タイムが設けられる。

それが今、流通している、この写真なのだろう。

そして判決を申し渡される。
裁判長が主文を読み上げる。

ボクには瞬間的には意味がとれなかった。
佃先生が、「……負けましたね」
と言って肩を落とす。

あっという間いに終了、
全員退廷。

傍聴人も皆、口々に、
「悔しい」「負けましたね」
「あり得ませんね」
なとど零すなか、
ぼく自身は実感がわかない。

もともと、今回も通過点であり、
最高裁まで行く気まんまんなのだから。

佃先生が高裁の担当部に行き、判決正本を受け取りにいく。

この判決を本館1階の司法記者クラブに届けるのだ。

佃先生が取りに行っている間も、
傍聴人の人々と和気藹々と軽口を叩く。

先生が戻ってきて、
ちょっと記者会見に向けて、
打ち合わせをしましょう、
と13階のの会議室へ移動。


佃先生は判決文を精読しながら、
何度も「ありえない!!」
「これほどレベルが低いのは初めてだ!!」
「日本語になってない!!」
などなど身を震わせて、大激怒、

「もう怒りのたぎりが抑えきれません!!」
と、深呼吸してアンガーコントロール。

「ボクの30年間の弁護士生活で
確実にベスト3に入るダメな判決です」
などなど。

佃先生は、
何時も沈着冷静を絵に描いたような
人格者なので、だんだんと、
先生の怒りがボクにも移って来る。

「行きましょう」と促されて、
一階の大阪司法記者クラブの一室へ。

記者は多くて10人くらい。
昨年の5月30日、
第一回口頭弁論後の記者会見に比べれば、
5分のイチくらいの人数だ。

テレビカメラは一台。

最初は入室出来ないと言われていた、
傍聴人のひとたちも全員、
個別交渉で入れたようだ。

特に「中学生新聞」はメモを広げて、
前のめりに質問を虎視眈々と狙っている。

「名刺交換もないのか?」
と佃先生。

記者が誰一人も会社名を名乗らないのだ。
弁護人が米山先生から、
変わったのにも関わらず完全にスルー。

そして幹事社の読売新聞の記者が司会。

まず佃先生が、判決の感想及び、
裁判の過程を立て板に水で説明。
その後、ボクの感想。

「とにかく、フリー記者に開放していただいて
ありがとうございます」と頭を下げて、
その後は、現在の裁判の状況、
スラップ裁判の定義について捲し立てる。

特に読売新聞には、前回の記者会見の後、
読売新聞デジタルでは、
マン・ツー・マンでカメラマンと写真を撮りながら、
あえてそれを使わず、
写真写りの悪いものを選んで掲載したので、
その意地悪の意図を訊く。

裁判から外れる話になるので、
そのあたりは後から、
ぶら下がりで個別にやりましょう、
となり、改めて関西メディアシーンへの
疑問を投げかける。

記者は全員下を向いて目を合わさない。

最後に
「この後、みなさんと議論しあいましょう!」
と言って締める。

その後の質問は幹事社の読売新聞から、
最高裁の上告への意志を問われる。
佃先生も、
上告の棄却の可能性もあるが、
当然、戦うと意志表示。

その後は、記者は誰も質問することなく……。

「はい」と手を挙げていた、
中学生新聞くんに。
「最近の裁判は社会的に強いものが勝つという
 風潮についてどう思いますか?」と質問。

それぞれにボクと佃弁護士は答える。
ボクは上岡龍太郎さんの台詞、

「政治てなもんは、弱い者の為にあんねや。強い者なんて放っといてもええねん。自分で何とかしよるがな。強いねんから」

そこがベースだ。
ジャーナリストも同じく。

その後、フリー記者が挙手。
「裁判で争われたのは、サムネに書いている
 強姦疑惑だけなのですか?」
「それだけです!!」と言い切る佃弁護士。

部屋にちょっとした衝撃が広がる。

ここで記者会見は終了。

各自でぶら下がりで聞いて下さいと。
しかし、記者クラブの人は全員が、
蜘蛛の子を散らすように帰る。

「中学生新聞」だけが、
読売新聞記者を呼び止めて
「なぜ、会見で撮ったのは違う写真を使ったのですか?」
読売記者も
「あ、ボクはその記事を確認できてないので……」
しどろもどろに。
「確認できたらコメントもらえますか?」
と中学生が追い込むので、ボクが助け船に、
「このひとも当事者じゃないから」と。

佃弁護士が、
「町山さんから『大阪は裁判まで偏向しているか?』
って聞かれたけど、
裁判官の赴任先は3年で変わるから、
それはないって言ったけど、
いやはや、大阪は特殊ですねー」と。

「私、今まで記者会見で名刺一枚も貰えないのは、
初めてのことです。ありえませんね!」

「いや、みんな
顔も名前も晒したくないんでしょ」
とボク。

「じゃあ、とにかく上告の準備をすぐにしましょう!」
と言って別れる。

昨日からずっと一緒だった瀬戸さんも此処まで。
今回の道行き、楽しかったよ。さらば友よ!!

ここからシンプレナベちゃんとのライブに移動。
船場センタービルが、何処にあるかもわからず。

タクシーの乗って移動。

船場センタービル。

ボク好みのショッピングセンターが広がる。

香ばしい古本屋さん。

地下レストラン。

喫茶『オーシャン』に居を構えてしばし待機する。

判決の報、ニュースが
次々とSNSにあがって、
ひっきりなし。

昨日からナビゲートしてくださるモンクさんもここまで。
親切にありがとうございました!!

17時頃、
主催者のシンプレ・ナベちゃんも到着。

商店街で帰り用のお土産を買って下さる。

一芳亭の餃子。大行列店。

楽屋で待ちきれず開けた。過去最高!!

そして帰りの新幹線用のお土産ビフテキも持たせてくれる。

18時半、『船場寄席』の会場入り。

楽屋廻りの芸人さんが気づかいしてくださる。

楽屋廻りは若井やるき君、
代走みつくに君のふたり。

代走くんは、いろいろとボクに詳しい。
元ラジオリスナーとのこと。

ボクとナベちゃんは以前、
「ツイン・ピークス』という
ラジオ内、コンビを組んでいたこともある。

芸人という以前に人生で最も仲良しの友達だ。

舞台に立つだけで、
ゲラゲラとはしゃいでしまう。

最初は、議員辞職の謝罪から。

そして、一転。

「今日、先程、半ケツ出ました!!」
のツカミから。

こういうベタベタは大好きだ。

80年代の漫才師のプロマイド写真。

ナベちゃんとの雑談は尽きることがない。
ゴシップだけで延々と喋れる。


 今回、出てきた、固有名詞だけ書いておくと、

笑福亭小松師匠/酒井くにお/浮世亭ジョージ/
ミヤコ蝶々師匠/横山たかし・ひろし/
2ちゃんねるのアウトロー版/ジャニーさん
/ジャニーズの面々/亀梨和也/名高達郎
田代まさし/ガダルカナルタカ/つまみ枝豆さん
/新大久保清/玉さんの芸名候補/西野バレー団のひと
山本陽子/中山秀征/ホンジャマカ/松井一郎

最後は反維新同盟も結成し、固い握手。

新幹線の最終便に乗るので、
20時30分のタイムリミット。
90分ノンストップのトークだった。
最後は万雷の拍手に包まれれる。
芸人冥利に尽きる。

配信なしNOツィートで、
フルスロットルでトークした。
忖度なしということでは、
芸人人生でもベスト級のライブだった。

楽屋挨拶。

スペル・デルフィンこと。脇田くん。
TPGの練習生以来の仲。
こうして再会できて、
さまざまな過去が回収できる。

TPGや大阪プロレスや好恵ちゃんとの結婚や、
沖縄プロレスのことやら……。
じっくり語り合いたくなる。
TPGはガンツ先生にまかせているから、
取材を受けてね、と伝言。


フライングペンギン選手とも。

客席には、まさかのスズキ秘書が潜入していた。
途中で気がついていた。

「深夜バスで駆けつけました」と。

スズキ秘書はもともと、
30年前のABCラジオパラダイス時代の
浅草キッドとシンプレの大ファンあがりで、
ボクに弟子入していている。

「水道橋さんが、渡辺さんと一緒に居ている時が
一番楽しそうにみえます」
と何時も言っていた。

虹友美さんの運転で、
で新大阪駅まで送っていただく。

最終便で東京へ。

車内は裁判の感想、RTの嵐に。

最終の新幹線から駆け上がって、
中央線へ乗り込む。

阿佐ヶ谷駅からバスはもう最終が出た後のよう。
タクシー乗り場は大行列。

「ハカセ会」のYou Tubeの生配信。
をやりながら、
テクシーを決め込むが、
大荷物なのと寒さで途中断念。

ワンメーター、タクシーに乗って、
家の近所まで。

なんとか家にたどり着いた。
長い一日が終わる。

今の心境はこちらだ。

そして、もう一つ書いておくと——

記者会見に質問がないのはオマエにニーズがないから。って書き込む人はマスコミやジャーナリズムについて何もわかってないですね。原告でも被告でも総理でも私人でも記者を前に会見をしたら記者が質問をするのは当たり前のことなのですよ。仮にも司法記者は裁判の争点等、いくらでも訊くことがあります。(ボクの件で個別に言えば、なんで今回は米山弁護士じゃないんですか?って普通は聞きますよ)それは職業的な使命です。これは官房長官に言われるがままに何も質問をしない記者くらいに職業的な使命を忘れた無能なことなんです。八百屋が野菜を売らないくらい不思議なことなのです。記者って取材するのが仕事なんです。テレビやネットを見て自分の意見を書き込む貴方とはまったく別のお仕事です。
貴方が興味がないのは自由ですけどね。

佃弁護士から闘志溢れるメール。

ボクの弟子の山本くんに連絡と電話。
「やりましょう!!」
頼もしいふたつ返事。

そして、ふたりだけの共有話に
しばし一緒に笑い合う。

またチームを組んで戦うぞ!!

『敗訴サイアティ』を結成する。

待っとけ!!松井一郎氏!!

ボクは最高裁の先まで見ている。

時が裁判所なのだ。

勝ち組、負け組じゃないんだ。
負けない組なんだ。
ボクは。

貴方ほどの暴君に、
「反省させられる」
ような負け犬根性は
一ミリももってません。

溜まっている事務手続きを済ませて、
28時頃に就寝。

明日もお仕事が入った。
寝不足でも頑張れ、俺!!

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