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15.サスペンス・蔵書バカ一代

『蔵書一代』──。

とは7月に出版された著述家・紀田順一郎の新刊のタイトルで副題に「なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」と書かれている。

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この本、活字中毒者にはサスペンスの如く鬼気迫り身につまされる。

1935年生まれの著者とは面識はないが、書籍蒐集を主題にした紀田の著作には10代の頃から接してきた。
 その紀田が一時期、岡山に居を移したことを知り、その地がボクの生まれ故郷であるが故に強く関心をもった。

 本作は、著者が80歳を超え伴侶との余生を大切にしようと、蔵書3万冊超の中から600冊だけ残して一括処分に至る経緯を綴ったものだ。
 作家、蔵書家や大学の研究者などが亡くなれば、それすなわち蔵書の廃棄か散逸を意味する。
 そもそも体系的に蒐集されている学術書などはコンプリートされた形で保存されてこそ価値があるものだ。
 例えば、映画・ジャズ評論家の植草甚一の死後、膨大なコレクションの散逸を避けるために、かのタモリが4000枚近いジャズのレコードを引き継いだ話は単なる美談を超え、文化保護のためにも意義深い英断であった。

 紀田は本作の中で、井上ひさし、渡部昇一、草森紳一、山口昌男、谷沢永一、江戸川乱歩など名うての蔵書家たちの膨大な蔵書の行方、寄贈先を追った。
  そして「蔵書数13万冊」と言われた谷沢永一が、1995年の阪神淡路大震災で被災し書庫が瓦解したことに紀田は大きな衝撃を受ける。 
 なにしろ、当時、川崎市新百合ヶ丘にあった紀田の自宅は鉄筋コンクリート造だったが、築21年で、蔵書はすでに満載の状態だった。
 しかも、現行の耐震基準への不備も指摘されたことから、ここで人生の一大決心をして、巨大活断層も少なく土地代もリーズナブルな岡山県の広々とした新居を終の住処として移転したのだ。

 その時、紀田は伴侶から「あなたが死んでも、この本をあなたと思って、守っていてあげるからね」と言われ感涙したが、やがて家庭の事情で、再び横浜に戻ることになる。
 すると一転して伴侶に「私は本なんかと心中するつもりはありません。一人でも施設にいきます」と言われてしまう。
 
「いまや女房どのは十年前に発した決意など、すっかり忘れ、終活まっただ中の険しい表情で断案をくだすのであった」
と短期間での態度の一転ぶり、熟年夫婦が陥る恐怖のミステリーが綴られるのだ。

 男子の蔵書の趣味は人生を共にする伴侶にすら理解されないものだ。
 ボクは独身時代に狭小ながら一戸建てを新築し、地下室の壁一面に作り付けの書架を配して、書庫を設けるなど収集癖男子の本懐を実現したことがある。
 ところが、それから10年、結婚、そして3人の子宝に恵まれ、家族が増えると妻と子供たちの生活スペース確保が優先となった。 
 そこで蔵書を維持するために自宅近くのビルのワンフロアを借りて倉庫代わりにし、岡山の実家に置いていた10代の頃の蔵書も持ち込み、上京する前の「思春期の本棚」を再現するなどして悦に入っていた。
 しかしながら、ビルの家賃が高額のため、3年で持続を断念。現在、行き場を失った大量の本と雑誌は、厳選してトランクルームに保管している。 
 それがどれほどかけがえのないものを失う感覚かは同じ「癖」がある人にしかわからないだろう。

 蔵書処分を決断した紀田は書いている。
「およそ本というものは段ボール箱に詰めたらおしまいなのだ」――。

 
わかる――!
 読書そのものよりも書籍蒐集と書架への陳列の方にも執着しているボクにとっては、処分するのは勿論のこと、本を目の触れない場所に押し込む決断すらも辛いのだ。
 実は以前、番組企画にかこつけて、第三者に本の〝断捨離〟を実行してもらったことがあった。

 2007年11月11日──。   
 日テレ『今田ハウジング』という、家のリフォームをメインとする番組から出演依頼があり、自宅にある大量の本や雑誌の一掃をお願いした。
 撮影当日、チュートリアルの徳井・福田の二人と当時、芸能界一の「お掃除名人」として売り出していたベテラン女優が我が家に来た。
 彼女はボクの騒然たる部屋を見るなり「なんなのヨー、こんなの置いてちゃ駄目! 部屋が汚くなるわ!」と一喝!
「雑誌なんて捨てないと積もるだけで汚らしいのよ!」

  そう言えば部屋にあった数々の週刊誌のバックナンバーのなかでも、とりわけ本誌『週刊文春』に対して激情的だったような記憶があるような、ないような……。
 チュートリアルに指令して、後に有名となる布巻きの割り箸を指揮棒代わりに振り回し、所狭しと山積みにされた本や雑誌を次々とダンボールに詰め込み、運び去った。

 その日、一行が帰った後、さっぱりと綺麗になった部屋を見て、ボクは悔恨の情に苛まれ心と体に大きな後遺症を抱えた。
 そしてついに3年後「処分した本の泣く声が聞こえる!」と幻聴を理由に、手放した本や雑誌を再び買い漁り始めた。
 手元に戻った古書の山は先述のビルの一室、倉庫部屋に収蔵されたが……結局、維持費が続かず解約後、またもや行き場を失った。
 自分では決断できないので、今度は妻に蔵書の取捨選択をしてもらった。
「これは、もう読まないでしょ!」 
 集めていた本や雑誌が、どんどんと無慈悲にダンボールに詰め込まれ、再び旅立って逝った。

 一例を挙げれば、大友克洋の短編初出の1970年代の『週刊漫画アクション』数十冊を「これは単行本に入っているから、ページを切り取って捨ててもいいでしょ!」と処理されてしまったのだった。
必要な時にすぐに手の届かない場所に仕舞い込まれたり、廃棄されたり、また買い戻されたり……。

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