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追悼・竹中労① 竹中労を語る

 本日、5月19日は、ボクが私淑する、反骨のルポライター・竹中労の命日です。

 没後、ちょうど30年になります。

 ここに故・竹中労を追悼し、10年前に武田砂鉄さんにインタビューされた記事を採録すします。(武田さん、河出書房新社の許諾を得ています)

 武田砂鉄さんとは、このときが初対面でしたが、あの頃は20代のサラリーマンでしたが、今や最も連載の多い、コラムニストになりラジオパーソナリティとしても活躍しています。

 当時の上杉隆さんへの高評価など、10年の月日を感じますが……。

 初めてその名前を知る人、また、今、竹中労が足らないと思う方。老若男女を問わず、是非、読んでください。

追悼企画の①です。


【インタビュー】
水道橋博士(浅草キッド)
「竹中労を語る」聞き手:編集部(武田砂鉄)

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               (2011年河出書房新社刊)

 俺の根本はやっぱり竹中労なんだ。

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 背表紙が語りかけてきた

——水道橋さんが最初に竹中労作品に出会ったのは中学三年の頃だそうですね。

水道橋博士 そうですね。『キネマ旬報』を読んでいたんですが、その中で竹中労が『日本映画縦断』という連載をしていたんです。自分が読み始めた頃は確か、「浪人街」のリメイクの辺りの話を書いていました。その当時、『キネ旬』のバックナンバーまで探して読んでいましたから、遡る度に「竹中労」という名に出会っていたんです。
 
——竹中労に出会うまでは、お兄さんから借りた太宰治やドストエフスキーを読むような、いわゆる普通の読書体験を重ねてきたわけですよね。そこでいきなり竹中労が登場する。

水道橋 竹中労に出会うまでは、ルポライターという職業自体をそもそも知らなかった。物書きって小説家か、或いは新聞記事を書く新聞記者、これくらいで、ルポを書く仕事の存在なんて意識したことが無かった。竹中労からそのルポライターという職業を知ることになったんです。当時、村松友視が『ファイター』っていうアントニオ猪木の評伝を書いていて、「過激なプロレス」ってフレーズは村松友視の作ったんだけれども、その前口上の部分に、竹中労との比較が書かれているんですね。猪木のストロングスタイルを「竹中労を見て以来の衝撃」というような書き方をしていた。その時俺はアントニオ猪木主義者だったから、アントニオ猪木に比肩するぐらいの男だとされているこの竹中労って誰?……ああ、そう言えば『キネ旬』でよく見かける竹中労、この人は何者なんだ、と思春期の僕にそう思わせたんです。

——そんな中でまず出合った作品が『ルポライター事始』だった。

水道橋 行きつけの本屋さんの棚にささっていたんですが、本のツカ、背表紙が俺に語りかけてきたって感じがしましたもん。まるで俺に、「読め」って言っているように。

——おお、これは俺用のメッセージだと。

水道橋 そうそう。あれは不思議な感覚でしたよ。今でも、あの本を棚からとったときのイメージを明確に覚えています。それまでは『キネ旬』に連載している竹中労が存在は知っているけれど、何をしている人だかは分からない程度でした。しかし、その本の背が読め読めと訴えかけてきて、手に取ってその本を読むと、何故か、あっ、俺はルポライターにならなきゃいけない、これは俺の定められた仕事なんだ、と思うようになりました。むしろ、なりたいと思った、だけども、そこから悶々とするわけです。こんな物書きになれるはずがないよ、と。だって俺は童貞で、登校拒否みたいな感じで学校にもろくに行けない、女の子一人も口説けない、オナニーに明け暮れるしか無い引篭もりでしかないんだから。竹中労を読みながら、「正義」についても考えた。でも正義感、正義を行使することの袋小路に行き詰まった。竹中労のように正義を全うし、世に問うことなんて出来ない、そう強く思っていましたね。

——竹中労作品に出合って、その後、別のルポライターの作品は読まなかったんですか? 

水道橋 う〜ん。齧ってただけだから。でも本田勝一の『極限の民族』、『貧困なる精神』とか、あの頃、一連の著作を読んでました。自分が影響を受けている竹中労という作家の周りにはどういう人がいるのか、そういった観点で、読むべき作家を広げていきました。ルポで言えば、やはり沢木耕太郎にはかぶれたなぁ。あとは、『アサヒ芸能』のような、いわゆるストリートジャーナリズムの雑誌記者になりたいとか漠然と思っていました。

——竹中労が言うところの、電車の網棚に捨てられる三流ジャーナリズム。

水道橋 そうですね。当時の『アサヒ芸能』にはブルーフィルムの歴史を追ったりするような連載があった。高校生の俺はこんな世界もあるのかと惹かれていったわけです。同様に、広岡敬一のような風俗記者みたいなもの、いわゆる、トルコ風呂など裏街道のルポルタージュを書く、っていうそのスタイルに憧れてた。島本なめだるま親方とかヒーローだったなぁ(笑)

——相方の玉袋筋太郎さんに、『噂の眞相』の存在を教えていたりしていたそうですが、その手の雑誌は、竹中労作品に出合う以前から読んでいたのですか?

水道橋 いや、ほぼ同時ですね。『噂の眞相』はその前の『マスコミ評論』の頃から読んでましたからね。竹中労と言えば、「世界革命浪人」でトリオだった平岡正明さんも。『ウィークエンドスーパー』で連載していた平岡正明と上杉清文との対談『どうもすいません』なんて本の影響は、確実に俺の面白がり方の中核をなしていますよ。

——文筆家・竹中労に対して、自分は、分泌家=オナニストとして悶々とした日々をすごしていた。竹中労になろうとしてもなりようの無い日々が続く中で、ビートたけしさんに出会うわけですね。

水道橋 下賎のドブ板の中に身を置く、という覚悟は出来ていたけれど、自分にその資格があるのか、能力があるのかという肝心な部分で、いや、俺には出来ないと諦めてしまっていた。そんな時にたけしさんのラジオに出合って、この悶々とした袋小路を突破できるのはお笑いしかない、「出来ない」って状況を笑えばイイんだ、と気付いたんです。当時の自分には、これしかないっていう最終出口だと思えたんです。

——竹中労、そして、ビートたけし、自分の中に二本の軸が出来上がった、と。

水道橋 でも竹中労からの影響については芸能界に入って抑えていたというか、話し相手もいないし、もう過去の存在だったけれども、芸能生活を重ねて行くうちに、やっぱり自分の嗜好性がルポライティングの仕事に戻ってきた。もう芸能界の仕事で文筆って最も効率の悪い仕事なんですね。「書く」仕事はむしろ断ってもいいんです。それでも自分が何故か依頼を受けて、毎回、後悔しながら、書く仕事を結局、やるはめになる度に、ああこれは竹中労の刷り込みなんだって改めて気付くようになったんです。でも芸能界に入ってから十数年間、芸能界で竹中労の話を誰としてきたわけでもないし、誰かと意気投合したわけでもないんだけれど、雑誌の連載で『お笑い 星の星座』を書いている時に、どうして俺は小説みたいなフィクションは書けずにドキュメント、ルポルタージュにこだわりが出てくるんだろうって振り返ると、やっぱり根本は竹中労なんだと。ああ、ここでやっぱり現れてくるんだという思いがしましたね。

 竹中労イズムが自己批判を呼ぶ「3.11」以降

——芸人の仕事を始めたばかりの頃、浅草キッドのお二人は貧しい暮らしをしながら、浅草のストリップ小屋で働いていらした。思えば竹中労も、浅草に住まい、その地から「窮民」を描いていた。「ペンの日雇い労働者」であった竹中労と、まさに日雇い労働として自分たちとリンクして考えることなどあったのでしょうか?

水道橋 その頃はどうだったかなあ。ストリップ小屋のエレベーター係だったんで、一日三冊くらい、とにかく本を読んでいたんですよね。でも、竹中労ではなかったかなぁ。コリン・ウィルソンとかはまってましたね。

——エレベーターの中で、お客さんがいない時に読んでいたんですか?

水道橋 いや、客がいても読んでいた(笑)。だから、よーく、社長に怒られていましたよ。当時こそ、竹中労は拠り所ではなかったかもしれないけれど、でも例えばコリン・ウィルソンだって本も存在も「アウトサイダー」ですし、心持ちとしては一緒だと思う。つまり、ここでもアウトサイダー側を嗜好していた。

——竹中労の言葉に「人は群れるから無力」、そしてたけしさんの言葉に「赤信号みんなで渡れば恐くない」があります。この二つを重ねていくことで、潜在的かもしれないけれど、畜群に身を委ねることの浅はかさを感じていくわけですね。

水道橋 今でもそうですね。俺が上杉隆を好きなのも、その点に尽きると思うんですね。
——群れることに抗う、という。

水道橋 そう。今、上杉隆を応援するのって、芸能界的、テレビ的にとても不利なわけです。でも、彼のことをどうしてこんなに好きなんだろうって考えると、やっぱり竹中労イズム、なんですよ。今も知り合いだけど、ほとんど会ったこともない、腹を割って語り明かすとか飲み明かしているわけでもない。ただただ、その態度、手法に共感しているんです。本人と竹中労の話をしたことがあるんだけど、竹中労直撃ではなかったけど。彼はね、『ベスト・アンド・ブライテスト』を書いたデイヴィッド・ハルバースタムとか、海外のジャーナリストから主に影響を受けてきた。俺と比べても世代的にも少し若いから、読書するころには竹中労はもう亡くなっている頃だろうし。今公開している映画『GONZO』のハンター・S・トンプソンなんて俺も読んでいないし、上杉隆もトンプソンが死んだ時の報道で気付いたと言っていた。同じように竹中労とは何者か、といって刻印を押して影響を受けている人というのは、本当は少ないのかもしれないね。

——水道橋さんは一度、竹中労にお会いになっているんですよね?

水道橋 そう、20年以上前です。自分のラジオ番組のゲストとして一度だけ来ていただいたんです。もう亡くなられる直前でした。一度、テレビに頻繁に出るようになった時期があって、それこそそれは村松友視が描写していた時期ですが、その後で一旦テレビに出るのをやめて、晩年になって改めて出るようになった。俺が会った晩年の頃はもう、いわゆる好々爺、という感じだった。喧嘩屋ではなかった。

——『お笑い 男の星座』には竹中労の手法が貫かれていますよね。竹中労は「ルポルタージュとは主観である」と考えていた。つまり、事実を積み重ねていくと同時に事実を盛ることを良しとした。事実に上乗せするように、情念・怨念が層になって積み上げられていく文体、ここに共通項を見出します。

水道橋 
『お笑い 男の星座』は、竹中労に梶原一騎の文体を加えています。でも、書いた後に読み返して、俺の中にはどんだけ竹中労の文体が刷り込まれているんだって痛感しましたよ。漢字を駆使した漢文的な表現方法ってのを俺が好んでやるのも、これも竹中労の影響ですし。その血が細部にまで通っていたんでしょうね。

——竹中労は、芸能界の人ではありませんでした。その人が芸能界を主観で書く、これは、外からの目線としての主観、なわけです。ナンシー関の事を水道橋さんは「流れ作業で消えていくものに、批評の基軸を作った」と絶賛されています。ナンシー関も、外の目線ですよね。竹中労にしてもナンシー関にしても、芸能界に向かう「主観」が、ご自身が芸能界に入る前と後で変わってしまったた、なんてことはあるのでしょうか?

水道橋 ものすごくありますよ。例えば漫才。僕らがやっている漫才って、芸能のタブーを抉っていくものなんですよ。『噂の眞相』的っていう言い方も出来るだろうけれども、自分にとっては竹中労なの。体制内の違和感を吐き出さないと気が済まない。かって竹中労は芸能雑誌の記者をしつつも、当時のナベプロ帝国を告発し、数々のエライ人を斬るようになっていく。体制を作ってエスタブリッシュを築いていく人達への反発がすさまじかった。初期の本、例えば美空ひばりの本にしたって、大スターだった彼女がおとしめられた人達なんだってところで共感して、彼女を持ち上げていくわけでしょう。でも、以降は、芸能人を管理をしようとしたり、高下駄を履かせようとしたりする人達への違和感を口にするようになっていく。権力を持とうとする人達に歯向かっていく。これは自分の漫才感に重要な影響を与えています。こと俺達の漫才には言葉を封じるものに対する反発が強い。その視点ってのは、間違いなく竹中労が作ってきたんです。

——竹中労は、「表現のあらゆる分野に、ルポルタージュの方法論をひろげてみたい」としていました。これを特に映画の世界へ持ち込んだのが竹中労ですね。水道橋さんは、その手法をお笑い、或いはラジオに注いでいる。今、この現況、ルポライターイズムの居場所・在り処というものを、どこにどのように感じていますか。

水道橋 上杉隆だとか田原総一朗とかの地上波でのポジションを見ていてもね、ますます無くなっているんだろうなってのは感じますよ。3.11以降、原発の雑誌タイアップ記事に出ていたことで、俺は鬱々たる気持ちが続いています。自分の良心の呵責の中で自己懲罰的な態度は示せても、他の及ぶ影響を考えると「個」に徹した発言が出来ない。結局、俺はね、群れているんですよ。その意味ではなんて堕落しているんだろうって思ってるし、やっぱりがんじがらめなんですよね。自分の周りにどれだけの人がいてどれだけの人が食べているか……というような状況の全てが見えてしまっている。結婚して家庭を持ったからなのかなって自問自答する夜があるし(笑)。
 身ぐるみ剥がされても革命や自由求めていく、そういった竹中労イズムが果たして自分の中にあるのかどうか。でも、上杉隆にはあるじゃないですか。

——もう30年前の雑誌ですが、手元に『別冊新評』って雑誌の「ルポライターの世界」という特集があるんですが、この中で和多田進さんが「日本語が書けて喋れれば全てルポライターである」と言って「一億総ルポライター」としています。今、いろいろなメディアが出てきて個人が単体で声を発することができる。言ってみれば、より「一億総ルポライター」と言える状況にあるのかなとも感じます。いち早くブログやツィッターを導入した水道橋さんには、どううつりますか?

水道橋 ブログやツイッターも言い訳なのかなって思うことありますよ。今日出た『週刊現代』で、佐野眞一が原武史との対談の中で東浩紀やホリエモンを批判しています。震災情報や人命救助にツイッターが有効だったとし、あたかも現場が分かったような論陣を張って言説を弄することに対して立腹している。「彼等は被災地の実情も知らないのに、よく言えたものだ」「今回の大災害はこうした連中の思考の薄っぺらさも暴露した」と書き、現場に行かずして分かった気になっている、と。それを読んでも僕の自問自答が止まらないですよ。自分も同様に安全地帯からの発信者になった気でいること、これは間違っているのではないか。じゃあ現場に行った奴しか発言権はないのか?もっと、地を這わなければいけない。いや待て、俯瞰で見るからこそ言える意見だったある。ツイッターのフォロワーが多いからって発信者の気になっているけれど、ちゃんちゃらおかしい。いや、読書人以外の人に語るからこそ意味がある、なんかね、そういうところで自分でも定まらず、行き来しますよ。芸人になっても実は袋小路ってどこまでも続いているって言うか。

——個人が自由に物を言える、という一面は持っていますよね。今、竹中労がいたら何を言ったのか、と夢想してしまいます。

水道橋 どうだろう。もしかしたら、東電側に立ったかもしれない。

——なるほど。創価学会の時にそうしたように……。

水道橋 この一億総批判の中に、彼等の立ち位置を作ってやるようなことをするかもしれないなあって。森達也さんがオウム事件の際にオウムの中に入っていたように、言葉の趨勢、視点がひとつしかないのはおかしいんです。

 今こそ、竹中労のテキストを

——竹中さんの作品の中でベストワンを挙げるとするとやはり……
水道橋 そうですね、『ルポライター事始』ですね。

——続く作品は?
水道橋 『定本 美空ひばり』ですかね。何ヵ月か前に読み返したんだけども、やっぱりすっげえ良いと思いましたね。テンポ、文体、全てが良い。歌詞の入ってくる感じも良い。あとは『エライ人を斬る』『仮面を剥ぐ』『芸能の論理』とかね。森繁久彌への手紙が印象的でね。彼に向かって「〝手記〟を読みかえしてみたまえ、これは私の創作である。あなたの〝著作〟とはまったく関係ナイ」。好きなんだよねー。自分が森繁久彌だったら立ち上がれないでしょう。

——逆に、体に入ってこない作品ってありましたか?

水道橋 そりゃあいっぱいありましたよ。『琉歌幻視行』『にっぽん情歌行』だとか、沖繩へ問題意識を持って行ったことないからどうしても分かりにくかった。

——竹中労作品、これからどう読み継がれていって欲しいですか?

水道橋 この間、芥川賞を獲った西村賢太が師匠である藤澤清造の全集を出すことを目標にしているでしょう。同様の欲望が、俺は竹中労とかね、個人的偏愛で百瀬博教さんとかにあるんです。全集という形が難しいのならば電子書籍だっていい。竹中労が希求してきた自由、この自由って、今自分がいるテレビの世界では許されない。自由なものが自由であることが、どういうわけか浄化されてしまう。でも、今でも雑誌を中心にストリートジャーナリズムが許されている。多様な意見を読み、そして同様に多様な受け止め方を持つべきだと思う。俺個人としては竹中労のように一匹狼であるためにどうあるべきか、答えもないまま、ずっと悩んでいます。竹中労はそう思わせて続けてくれる存在なのです。

——言える事・言えない事を選ばざるを得ないしがらみの中を、組織ではなく、やはり単身で挑んでいく。竹中労のその強度が求められている気がします。

水道橋 う〜ん。今日はこれまでの生涯口にした竹中労についての話の中で、最も長かった(笑)。人となりを語る人はある程度はいるでしょう。でも作品が手に入らなくなったら、どうしたって過去の人になってしまいます。今こそ、竹中労のテキストが必要だと、そう強く思っています。

(すいどうばしはかせ・ルポライター芸人)
                       (2011年4月11日)

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