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日記の薦め。〜noteとノートと日記と。

 今年からnoteを始めた。そもそもは『藝人春秋Diary』の出版プレゼンのためだ。そして「日記芸人」も肩書に加えた。
 58年の人生の8割方は日記を付けている。

  他人の日記を読むのも好きだ。
 そのひとの内面世界や成長がよくわかる。
 数々の名作ノンフィクションを残してきた佐野眞一作品で何が好きかと問われれば『凡宰伝』(2000年、文藝春秋→文春文庫)も推しのひとつだ。
 「凡人」と呼ばれた故・小渕恵三元首相を扱った作品だが、小渕さんは幼少の時から亡くなる寸前まで毎日、日記を残したらしい。
 凡人らしいコツコツで宰相まで登りつめたのだから日記は決して無駄骨ではなかっただろう。作者は、その日記を全てチェックして本作品を書いたとのこと。気の遠くなるような作業だが、ボクはさぞ楽しかろうと思ってしまった。

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 『命懸けの虚構〜聞書・百瀬博教一代』をこのnoteに今、連載しているが、百瀬博教さんの日記も凄かった。
 百瀬邸で6年半に及ぶ獄中日記を見せてもらった時は鳥肌が立つほど興奮した。最初の方はひらがなが多めの普通の日記だが、獄中、万巻の書を読み漁り、次第に森鴎外の文章のような漢字だらけの日記になっていく。
 まるで『アルジャーノンに花束を』の主人公・チャーリーが知能指数がまたたく間にあがっていく日記を見ているようだった。

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 ボクの運転手を努めていたマッハスピード豪速球のガン太くん。
 2年前に彼が相棒の坂巻くんとキングオブコントに備えて山籠りした日々を手書きでノートに書いた。
 しかも、このまま日記帳として製本し、LIVEの物販で1000円で売って採算がとれたらしい。
 見せてもらったが、坂巻くんの整然とした文字に比べ、なんとガン太の幼稚で乱雑な文字ぶり、それを見比べるだけで楽しい。
 芸人になった息子を心配して親心で盗み読むような感覚に陥った。

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 その逆の経験もある。ボクは35年前、親に内緒で殿に弟子入りし、下宿先から行方不明になり、気がつけばストリップ小屋の住み込みとなった。
 両親は上京し連れ戻そうとしたがボクは断固拒否。親子の関係は互いに家出と勘当で絶縁状態になった。
 ようやく少しは食えるようになった時、やっと実家に帰省できた。そのとき父親の本棚で見つけた父の日記のなかにボクを心配する一文を見つけたときは、一瞬で涙が吹き出した。
 親心がわかるようになるまで26年もかかったのだ。

 西寺郷太くんの高校時代の世界史のノートのオリジナルを見せてもらった瞬間、「これは本にすべきだよ」と言った。
 挿絵を含めて今まで見た中で最も美しいノートだった。

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 そして、このノートは実際に「始めるノートメソッド』(スモール出版)と題して書籍化した。

 ボクが新婚当初は、ママが英語に堪能なので、毎日、英語日記を書いて添削してもらった。

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 2ヶ月ほど真面目につけていたが、今見ても、よくこんなものが続いたものだ。

 ボクの日記史上、最も詳細に綴られた期間は浅草フランス座の修行時代だ。
 住み込みの初日からフランス座の崩壊まで完全にレポートが続いている。

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 細かい文字で、芸人未満の何者でもない自己を悶々と観察している。
 今見ると、あの頃の自分がいじらしく声をかけたくなる。

 当時から小渕恵三のように自分が「凡人」でしかないとわかっていたのだ。
 「天才」でないのだから、一歩一歩始めるしかなかったのだ。

 しかし、若者よ!

 人生が一冊の本だとしたら日々の日記こそ「人生の付箋」だ。あの日、あの時、自分が何を思い、何を行動したか、全てを振り返り確認できる。
 50歳を過ぎた時、人生の前半は全てフリであり伏線であることに気が付く。
 付箋=伏線。
 人生の後半は偶然の一致としか思えないオチが必然であり、伏線回収が続くのだから。

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