見出し画像

理解するのではなく知識として頭に入れてほしい


私はAロマAセクの人間。恋愛感情を抱かないし性的欲求も抱かない。LGBTQ+に該当する。LGBTQ+とは性的マイノリティーを表す言葉で、周りに理解されないことが多い。 

私は誰にも自分が無性愛者だと言ったことはないけど、世の中には自身が無性愛者だと他人に告げると「まだ良い人と出会ってないだけ」「自分がモテないからそう言って言い訳しているだけ」と言われる人もいるらしい。それを聞くと、悔しいというか悲しいというかそんな感情を抱くと同時に仕方ないなとも思う。無性愛者じゃない人が無性愛者の人の気持ちを理解することはできないし逆も然り。そんな私たちが互いを尊重し共存していくにはどうしたら良いのか。それを考えてみた。


理解なんてしなくていい

これはLGBTQ+に関係ないと思う。そもそも他人の気持ちを完全に推し量れる人間なんていやしない。他人の気持ちへの"理解"はときにその人への貶しになる。理解したと思ってもそれは単なる"つもり"でしかないことのほうが多いと私は思っている。

では何をするべきなのか。それは知識として頭に入れることをすればいい、と私は考える。

知識として頭に入れる?何それ?ってなると思うけど意外と簡単なことだと思う。

ここで例え話をしよう。あなたは学生で数学の勉強をしている。私たちは問題を解くときに公式を覚えて使うはず。その時、数学が苦手な人は公式の仕組みがうまく理解できなかったとき「まあいいや」で公式を知識として頭に入れて問題を解くはず。理解できないことを深追いすることはあまりないはず。

LGBTQ+の人に対してでもそれでいい。
理解なんてしなくていい。だって理解できないんだから。数学が苦手な人がどうやっても公式の原理が理解できないように、人の気持ちは一生かかっても理解できないのが当たり前。それでいいの。それでこそ人間。理解し合えないから共存を目指して試行錯誤する。それが人間の素晴らしさでもあるんじゃないかな。

だから、「この人はこう感じるんだ」ということをそういうものだと頭に入れるだけでいい。何故、無性愛者の人は恋愛感情を抱かないのか?ということを理解できなくて全然いい。そもそも本人ですら分かってないんだし。「まあいいや」でいい。"よく分からないけど無性愛者の人は恋愛感情が分からないんだな〜へぇ〜私とは違うんだね〜"ぐらいの軽い気持ちでいい。


共存するために

今までLGBTQ+に視点を当てて書いたけど、これって実はLGBTQ+に限った話ではない。
例えば、精神疾患を抱えている人に対しても同じだと思う。鬱病を患っていない人が鬱病の人の気持ちを理解することはできないけど、「こういうときは何も気力を感じないんだな」と頭に入れておくだけで何でこの人は鬱病ってだけでこんなにも怠けているの?とは思えなくなる。

そして、この話は誰に対してもそう。世の中には十人十色の性格があって誰一人自分と全く同じの思考をしている人はいない。だから完全に理解し合うなんてことはできない。できないことはしょうがないのだから理解することを辞めて知識として頭に入れる。これができれば世界はもっとより良くなるのではないかなと私は思っている。


最後に

何度も言うけど私は無性愛者でマイノリティーな存在。否定されることも多いけど、私は無性愛者で良かったと思う。マイノリティーな存在だったからこそ色々な意見や批評があっても否定せずに受け入れられる人になれたと思う。

この記事を見に来てくれる人はきっと私と同じような人が多いからあまり効果がないのかもしれない。けど、いつかこの考えが広まってマイノリティーな存在を受け入れてくれる人が増えればいいなと思いました。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?