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柴又散歩

隅田川にかかる佃大橋のほとりに住んではや5年になるが、その昔、この場所に大きな橋がかかる以前、向こう岸に行くために使われていた交通手段は渡し舟だった。隅田川の渡し舟は「佃の渡し」「竹屋の渡し」「富士見の渡し」などなど数多くあるが、関東大震災を経て1964年の東京オリンピック開催に際して大規模なインフラ整備が行われ、多くの架け橋が建設されたため、次第にその必要性は薄れていった。
そして1966年に廃止された「汐入の渡し」を最後に、隅田川の渡しは全て姿を消したのだった。

しかし、葛飾北斎の描いた東海道五十三次に登場する「富士見の渡し」や北条秀司が描いた戯曲「佃の渡し」など、その情緒的な姿は江戸から明治を生きた人々の心にただの交通手段としてだけではない趣きを残した。
川のほとりに「佃島の渡し碑」を見つけて以来、今は無いその渡し舟への想いを募らせていたところ、葛飾区柴又に、今でも営業中の渡しである「矢切の渡し」があることを知る。
是非とも乗ってみたいと思い今年最初のうららかな春の陽気の日を選んで、柴又へと足を運んだ。

柴又駅といえば寅さん。京成柴又駅を降りるや否やホームには歴代の寅さん映画の名場面を紹介するパネルが。
駅を降りて進むとすぐのところに、門前町が広がる。昼下がりということで、小腹が空いていた我々はまず、1つぶ60円の草団子をいただいた。


腹を満たしていざ帝釈天へ、と思った矢先、鼻腔にくすぐるごま油の香り。甘いものを食べたあとは塩分が欲しくなってくる。その香りに誘われて向かった先は天ぷらや。通りに面したお店の前で天ぷらを揚げているその様子にそそられつつ、店内へ。店内には渥美清や山田洋次など寅さん縁の人物の秘蔵写真がたくさん飾ってある。1970年の日付とサインの入った山田洋次の色紙も発見。
頼んだのは天丼(並)。エビが食べられないというとエビを穴子に変更してくれた。甘味のあるタレが美味しい。お値段は税込998円。メニューには(2016年現在)の文字もあり、増税にも関わらず値上げせずに1000円でお釣りが返ってくる金額を通してくれているのはありがたい。

腹ごなしをしたところでようやく柴又のシンボ「柴又帝釈天題経寺」へ。暖かい陽気も相まって、参拝客で賑わっていた。

そのまま帝釈天をくぐり抜けると、早々に江戸川の河川敷に到着する。休日の昼間ということもあり、河川敷では野球、サッカー、ラグビーなどなど様々なスポーツで汗を流す人々が。

広場を越えるとその奥に見えてきたのが矢切の渡しののぼりである。やっているのかやっていないのか半信半疑でここまできたが、揚々とはためくその真っ白なのぼりを見て、安心するとともに、不安をかきけすような頼もしさも感じた。

まじまじと様々な表示を見ていると、船頭さんの「乗船するならどうぞ〜」との声が。普段であれば片道200円とのことだが今回は往復のため400円。先客は1組のカップル。私たちの後ろにももう1組のカップル。そして我々ということで、計3組で舟は出航した。
残念ながら現在向こう岸の松戸側は工事中で降り立てないということだったので、往復の旅がスタート。風もなく穏やかな渡し舟日和。船頭さんの軽快なトークとともに、舟漕ぎの音や水の流れの音など、風情ある時間が流れていく。
船頭さんによると、向こう岸には伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の文学碑もあるそう。また工事が終わったら再訪して、千葉県側も探索してみたいもの。

そうこうしている間に舟はもといた岸へと戻ってくる。トークをしながら舟を漕ぎながら、もといた地点にぴったりと合わせてくる船頭さんの職人技に感動しながら、ひとときの舟旅に別れを告げる。

期待を裏切らない本日最大のイベントを終え、お腹いっぱいな気持ちで川沿いを歩いていると、小高い丘を発見する。足の赴くままに行った先は山田洋次ミュージアム。そちらには足を伸ばしはしなかったが、ふと振り返ると見覚えのある光景が。

やや、これは「俺の家の話」の観山家ではあるまいか??ここ最近一番の楽しみといえば当ドラマを観ることであった我々は、意気揚々と丘を降りていく。
「山本邸」という看板があるその屋敷に足を踏み入れると、まず目に入ったのは今が満開の梅の花。

さらにその奥には絞りの椿も大輪の花を咲かせていた。

ちらりと見えた館内に入れる入り口は無いのかとまわり込むと、反対側に入場口を発見。観山邸入り口は裏口だったようだ。
ここまできて入らない手はないと思い、受付に行くと、なんと拝観料は100円。先ほどの矢切の渡ししかり、天丼しかり、柴又の良心的な値段設定に頭が上がらない。
受付で拝観料とともに喫茶のオーダーをして、お庭が一望できる座敷へとかける。席に着くと同時に喫茶が運ばれてくる。値段設定だけでなくホスピタリティも一級品。

コーヒーのカップには葛飾区の花である菖蒲があしらわれていて小さな心遣いにキュンとする。
家紋だとか紋章ではなくて、自分を象徴するような花があるのはとてもいいなあと思う。ひとつ、自分の花をこれと決めて、そのモチーフばかりを集めていくのはどうだろうか。
大きく開け放たれた窓と畳敷きの広々としたお部屋でお抹茶をいただいていたらゴロンとそのまま転がりたくなってくる。しかしそんなお客さんが多いのだろう。「こちらでごろ寝は禁止です」の注意喚起が貼られていた。
1時間ほどゆっくりしていただろうか。お茶をいただいたあとは大正に建てられた邸宅だという山本邸の中をぐるり。和洋折衷のしつらえが美しい。

柴又の美しさと小粋な精神に胸がいっぱいになりながら、帰路へとついた。

(tyl)

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