死にたい季節は愛をビュッフェ

セックスよりも恥ずかしいことは、

銀座四丁目。ブランド店がつらなる、
並木通りと松屋通りがあわさったあたりで、

ちょうどランチタイム、サラリーマンが行き交う道端で。顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、泣き叫ぶこと、だと思う。

あの日わたしは上京して2ヶ月、
新卒で入った某R社で、銀座をチャリでかけまわり来る日も来る日も飛び込み営業で怒られ煙たがられ拒否されを繰り返していた頃。
なにかの糸がきれて、止めた自転車の前で、地面にカバンを投げて、涙がとまらなくなったのだった。

あの日、わんわんと言葉を流す私は、知らないサラリーマンやキャリアウーマンな人々、お財布片手にしたOL的な人々に囲まれ「だいじょうぶ?」と心配され、最終的に励まされ、円陣をくまれ「とにかく、みんな応援してるから、頑張るんだよ!」とつよく肩を叩かれ「は、はいぃ"ッっっ」と涙と鼻水を氾濫させたまま、ゆがみきって何丁目かわかんない視界めがけて、自転車を漕ぎだしたのだった。あの日のお兄さんお姉さんたち、元気かな。

わたし、元気なんです。

****

さて。私の「社会人一年目」は、
社内でいちばん潰れそうな部署に配属されてスタートした、と思う。

当時CMなどでわりと一斉を風靡していたフリーペーパーの、そのなかの、薄い薄い薄いページに載ってたそのスクールページ。わたしは銀座版を担当する銀座チームに配属となった。メンバーは、わたしと、Kさん(多分当時35歳・男性)と、Iさん(多分当時30歳・男性)の3人。

あれから約10年。今年34歳になるわたしは新卒で入ったその会社のあと、制作会社でコピーライターとなり、CMプランナーとなり、現在フリーランスでエッセイストをし、あらゆる「先輩」達と関わってきたわけだが。社会人生活における「先輩」を想像するとき、いまだにこの先輩【KさんとIさん】ふたりがまず、まっさきに浮かぶ。

あれは家族だった。


****

Kさんは
お子さんが二人いる落ち着いたリーダーで、ひょうきんなところもありみんなから愛されているお父さん。

Iさんは
ヤクザ映画から飛び出してきたようなハイエナ的プレイヤーで、日本一の営業を本気で目指している行動派。強面だが面倒見がいいお兄ちゃん。


そんなふたりに見守られ入社2ヶ月が経った6月。同期が新規契約を獲得していくなか結果がでず焦る私に、ふたりとも何時まででも営業の練習に付き合い、一緒に悩んでくれた。

7月。なんとかはじめての契約をもらった日。遅い時間だったのにも関わらず社内でわたしの帰りをずっと待ち続けてくれていたふたりの元にわたしは、チャリ全力疾走で戻り、眉毛を急勾配させ、褒められたのを覚えている。

褒められただけでなく、
その50000000000034256374829億倍くらいよく怒られた。

「おい○○、お前ふざけんなよ!!!!」
(K先輩)
「あのさあ、お前、いいかげんにしろよ?」
(I先輩)

それぞれの怒号が、いまだ即脳内再生可能。わたしのデスクがゴミの山で、生理ナプキンが大量に出てきてドン引きされたこと、会社への提出物締め切りを毎月まもらないことに対し個室に呼び出され仁王立ちでガチギレされたこと、毎週というか週2.3回はさそってもらっていた、新橋の飲み屋で「お前はほんとによお〜」と言われ続けた小言。

令和元年のいまザッと書くとパワハラまがいに受ける人もいるかもしれないが、その全小言の端々に、私への期待と信頼と親心がステッチ縫いされてるようで、私にはどれも心底愛しかった。

いけないこともできるようになったことも、
全部しっかりみてもらっていた。

**

そしてはじめての冬。
わたしは1つの大きな目標を掲げるようになっていた。それは、担当エリアの掲載件数をギネス級に増やし先輩達に恩返しすること。


いつもぺらっぺらで、おまけみたいだった我らのページを過去最高に増やし先輩たちを喜ばせたいという決意は固く、その冬わたしは他チームがドン引きするほど飛び込み営業をしまくり、断られても粘り倒し、とうとう会議中に素で意識を失うほどに全力をつくし果ててた。先輩たちもより一層全力。わたしたちはその季節、かんぜんに狂っていた。さらにいうと、偶然手に取ったフリーペーパーを、めくった、OLさんが、そう、あの日円陣を組んで私の肩を叩き、初対面なのに、もらい泣きして目を潤ませ応援してくれたOLさんのひとりとかが、わたしが書いた記事を読んで日常がたのしく変わって、人生がかけがえなくなっていくことも、願ったりして。恩返し恩返し恩返し恩返し!とあの時私は鶴を超えてた。

すると。その月わたしは引くほどの契約を獲得し(それにより社内賞も受賞)先輩たち自身も信じられない契約数を獲得、ギネスなんて飛び越えた、予想をはるかに超える結果となった。

その数週間後、すりあがったフリーペーパーが手元に届いた。夜の社内。私はふたりの先輩といっしょに、息を呑んでページを開いた。そのとき、忘れもしないが、わたしは、叫び、床に泣き崩れて立てなくなってしまった。みたこともないような充実したページ量と死ぬ気で書いた原稿達をみた瞬間、映画のように1年が頭を駆け抜け、ああ、よかった。と思った。
あの頃、両手をひろげて、よかったと。

****

〈あの頃〉とは、はじめての秋のこと。
入社半年が経つその秋、わたしは徹底的に仕事をサボりまくっていた。社会人ハイも上京ハイも通り過ぎ、何者かになれると思って飛び込んだ広告業界で売れない凡人のひとりになっていた私は、一生懸命な先輩たちを斜めから馬鹿にしてみることで自尊心を保つしかできず、1日6時間は喫茶店をめぐっていた。

「染まらない」という抵抗で自分が特別だと思おうとした。会社やそこにいる人々は「社会」というひと塊りにみえ【社会vs私】として戦っている気分。親身な先輩ふたりのこともどこかで「仕事の関係なだけだし」と壁をつくってる自分がいた。これって一年目あるあるなのかもとも思う。社会という得体の知れない巨大ななにかに、飲み込まれるような覚悟ができず壁を作る自衛心。同期ランチで「辞めたい」が口癖になるものの辞める勇気もない中途半端な新卒あるある、つのる自己嫌悪感、「このレールで正しかったんだっけ?」の重い不安。ねむれず涙が流れるワンルーム。あれはまさにただシンプルに「孤独」だった。だけど壁をより高くして自分を守るしかなかった。変わって失敗するくらいなら、変わらないことのほうがましと思ってた。ド・ピーターパンシンドローム。

だけど。だけどそれなのに。

「おまえ、なめてんのか?」
「つべこべいわずにとにかくやれ!」
「結果がでてからいえ」
「ちょっとこい」
「まじでふざけんな本気だせ」

先輩ふたりの怒号は、まじでいつもいつも同じテンションでそこにあった。あきらかに手を抜いてる私を、見捨てもせず、諦めもせず、なんというかまじでずーーーっと、同じ熱量でそこにあった。親にしか感じたことのない心の底からの、うざさを感じた。芯からあたたまる生姜湯の底に溜まった甘ったるいうざさ。

いまだにあの秋の終わり、
なにがどうなってそうなったかはわからないが、いやきっと孤独が頂点をきわめタガが外れたのか、あるとき、突然私は「助けてください」といわんばかりに先輩たちに嘆いていた。それはあの銀座四丁目での数分間に似てたのだけど、「なんとかしたい。売れたい。とにかくなんとかしたい。いや、わからない。なにをしていいかなにがしたいのかもわからないです、とりあえず」という気持ちを、すべて、両手をひろげ、ぶちまけていた。壁崩壊。

私にとっては大きな変化だった。プライドを捨て、先輩達に全弱音を吐き倒すようになり、クライアントに人生相談したり、クライアントの身の上話もきいたりするようになった。自分と社会が地続きになったら、チームにも街にも関わった人にも恩返ししたくなった。素直か。ということで一年目の冬から今までずっと、恩返ししてる。

****

社会人1年目の私へ。
げんきですか、げんきじゃないですよね。毎日辞めたくて、毎日実家のある名古屋の新幹線時刻表を検索して、毎日朝起きるたび吐きそうだよね。社会にいる人のほとんどが自分より先輩で、とつぜん社会的新生児になって、なんかもう毎日「死にたい」「逃げたい」「消えたい」(SNK)が心の口癖だよね。

K先輩は、なんとお坊さんになったよ。
I先輩は、ガチの役者になって今、ヤクザ役とかで大活躍してるよ。
その部署は1年で潰れてみんな解散だよ。
はじめて契約をくれた彫金教室の巨匠は、そのあとあなたの結婚指輪も作ってくれて、先月もお見舞いにいったら、元気そうだったよ。

あなたは?
あなたは、いつどんな仕事をしていても、
つらい夜、社会人一年目のことばっかり思い出してるよ。お守りみたいに心から引っ張り出して眺めて。そのたびに、目を潤ませて胸を張って。
いい感じだよ。

****

社会人一年目、まっただなかのみなさんへ。
各々状況は違うでしょう。そろそろ何度か死にたくなってる人もいるでしょう。閉じこもりつつある人もいるでしょう。みえない敵をつくろうとしてしまいがちな時期だと思う。こわくて。不安で。自信がなくて。プライドも捨てきれなくて。

でも。
社会人一年目って、雛だ。ツバメの巣にいる雛。口をあけて叫べば親鳥がきてくれる、そんなボーナスタイムである可能性が、高い。会社も先輩もクライアントも味方である可能性もある。もちろんそうでない可能性もあるけど、そう気づいたら離れればいいだけ。


そのときしか受け取れない愛のビュッフェもあると思うということを伝えたい。それはラッキーな人だけに与えられるチャンスじゃない。あえて壁を捨て去り、まわりを素直に信じた人限定で与えられるチャンス。わかんないならわかんない、不安なら不安、甘えたいなら甘えたい、それをシンプルになるべく無心で叫んでみてほしい。なにより恥ずかしく眩い、
一生に一度きりの、社会人一年目にこそ。

****

いまわたしはあの交差点で、
まばゆい誰かの背中をポンと叩く気持ちでこれをかきすすめている。その誰かはなんとか自転車に乗り、ぐらぐら漕ぎ、進む。迷いながらもぐんぐん進み、小さくなっていく背中に、わたしは、愛を捧げる。



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スイスイ

ハードメンヘラからウルトラリア充になったよ。リクルート→cmプランナー→エッセイスト。cakesで「メンヘラ・ハッピー・ホーム」連載中→ https://cakes.mu/series/3608 子は5歳と3歳。

スイスイの想定外(人生編)

3つ のマガジンに含まれています

コメント6件

なんだか、社会人一年目の自分に大丈夫だよって言ってあげたい気持ちになりました。
今日も読んでいて気持ちが軽くなりました。
スイスイさんいつもありがとう。
これからも楽しみにしてます。
こちらこそありがとうございます!🥰🙏
一つとして体験したことのない日々なのに、声が出そうになるくらい泣いた。他人の過去には戻れないのにね。
うまい!やっぱりスイスイさん、すごい。
小説みたいな、映像みたいな、音楽みたいな、鮮烈な。
やっぱりスイスイさん好きです。

自分の社会人一年生を思い出してみました。フリーターでした。就活の時、すでに斜に構え壁を作り周りをバカにしてました。面接官とにこやかに会話する隣の女の子を、私は違う、と見下し。映画会社で今見た短編映画のPR文を書けと言われ感想文しか書けず落とされ、いや私は映画好きだしとわけのわからない理由付けして。自分のスーツ姿、これは私じゃないと。就活から降りました。苦い。

今はここが自分の立ち位置、日々コツコツです。売り上げのためだけじゃなく、読んだ誰かの心に届くといいなとメルマガ書いてます。
愛のビュッフェって、自分も誰かに提供してみたい。
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