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人生変えたいなんて



2022年2月、富良野。
氷点下の風を受けながら私は、約10年前にカカオトークで届いた「一緒に住んでも人生変わらへん気がするから」という一文を急に思い出してた。

これは、2011年の初夏に唐突にはじまった強烈な日々のことを、10年越しに振り返るため、約1年かけて綴ったエッセイ記録です。この7000字を最終的にどう仕上げるか悩んだ末の答えが、きっと必要な誰かに届きますように。2022.6.20

ところで「人生変えたい」とか言う人は、人生を「どう」変えたいか具体的に考えてない気がする。もしそのイメージがあるなら(たとえば、どんな仕事して/どこに住んで/どんな媒体に載るとか?)それに向けて「行動」とかを変えれば済む話で「人生」なんて派手なワード振りかざす必要ない。童話『ウサギとカメ』において最初に走りだして途中で寝て負けるのがウサギだけど、人生変えたい勢はそれ以前で、スタートラインで「いい表彰式にしたい!乾杯!」ってオープニングパーティーだけして一生終える勢。と、かつて私は彼らを見下しまくってた。


が。2011年初夏、東中野。
なぜか知らないバーに駆け込んで、知らないお客さんたちに片っ端から「私たちと一緒に住んでください!」と繰り返すことになった私は「わたしの人生、こういうことは起こらないよな??」と思ってたシーンの真ん中にいた。25歳。振り返るとあの日、なんていうか“人生ゲームの四角いシート”から、自分がはみでて転がりだした感があって「すべて自分の手の内にある」と思ってた「人生」って概念が狂いはじめた。



その日を振り返る。(蒸し暑い日だった)
私はリクルート同期のKと一緒だった。ふたりでそのバー(ダイニングバー?)に駆け込んですぐ、Kが店員さんやお客さんに「来月から僕たちと住みませんか?」「僕たちと住んだらこんな良いことがあるんで!」と声をかけてた。とにかく翌朝10:00までに「自分たちとルームシェアしてくれる相手」を獲得しないと詰む事態だった。


不動産屋でその条件を言い渡されたのが6時間前、正午。そこから日が暮れはじめるまで友人知人に連絡しまくり会いに行き「一緒に住もう!」と説得してはぜんぶ断られてた。どんどん風が冷えていって、夕日が深まり東中野の半分は真っ赤で半分は真っ暗。「まじもう時間ないな」と山手通りで立ち止まったとき「よし、ここで探そう!」とKが目の前の外階段を登って、店のドアを開けたのだった。「一緒に住みましょう!」と真顔で説くKに店内のみなさんは(ありがたいことに!)面白がって耳を傾けてくれたけど、やっぱり誰も「住む」とは言ってくれず(そりゃそう)時間だけ経って泣きそうになる。


そもそもなぜそんな事になったかといえば、話はそこから2ヶ月遡る。春手前。わたしとKが所属してた編集部同期6人で、めずらしくホテル高層階でわいわい飲みながら「みんなでルームシェアしようよ!」というノリが始まった。非日常な雰囲気に高まってたのもある。とにかくその夜はじまった「ルームシェアしようよ!」は、日が開けても(カカオトーク上で)途切れないまま、週末には物件を巡るまで盛り上がる。

なのに2週間後。いきなり女子2人が「私たちはふたりで中目に住むことにした」と抜け駆けルームシェアを発表してきた。え、いつの間に??みんなで住むって言ってたのに??と混乱するなか、結局わたしとKともうひとり、Wという男性同期の3人が残り、結束を強めながら、夢みたいな一軒にめぐりあう。

中野駅徒歩10分、4DK。広すぎる屋上付き(私たち専用)。3階建ての3階全部。広いリビングとアイランドキッチンに加え個室4つ、家賃26万。(1階が大家さんで2階が音を出すタイプの宗教団体という理由で)ある程度騒いでもOK。4人で住むのが理想だったけど、あまりに逃したくなく一旦「3人で」の契約を進めることにした。審査は順調に進み、いよいよ本契約というタイミングで、まさかの出来事が起こる。Wが「やっぱやめるわ」と言い出したのだ。カカオトークで彼はこう続けた。


「一緒にルームシェアしても、俺の人生変わらへん気がするから」



……!?!?悪い意味で衝撃だった。まずルームシェアなんかに「人生変える」ことを期待してたことが衝撃。それが「変わらへん」という判定になったのも衝撃。なにより他の理由でごまかせばいいのに超正直な理由を送ってくる純真さに(これは良い意味で)まじ衝撃。そうだ、そもそもWは「人生を変える」とかインドとか格言が好きなまっすぐな男なのだ!忘れてた。(彼はとても性格が良い)とにかくWはWなりに愛する高円寺から離れてまで私たちとの生活に賭けようとしてくれていて、真剣に悩んでくれた。引っ越す前に合わないって気づいてくれて良かった!ありがとう!と今なら思えなくもないがタイミング酷すぎなんじゃクソクソクソ


東中野に2本そびえたつあの、バカでかい換気塔で殴られたようにふらつく私とKは急いで不動産屋さんに連絡した。すると、同物件にもう1組、男女4人でルームシェアしようとしている団体が待機してるらしく「すぐに契約されない場合その方々に譲ることになります……」と絞り出す担当者さん。まずKと2人で契約する??とも考えたけど、費用的にリスクが高すぎた。


「もう一人見つけてみせるので待ってもらえませんか」と相談したところ「では、明日の朝10:00までで...」と譲歩された。残り22時間。それまでに一人確保しないと終わり。と追い詰められた結果が、あの知らないバーだった。


なんの成果もないまま店外に出たら真っ暗。星まで見えて、もう不動産屋さんも閉まってる。つまり今から新住人を確保しても物件の内見すらできない。だけど翌朝10:00には契約しないといけない。絶体絶命ってこういうことを言うんだ??わたし一人なら諦めてた。というかルームシェア話をここまで進めるのも無理だったし、バーで知らない人に声をかけるなんてことも一生なかった。Kと仲良くなって一年近く、その時点でわたしは、それまでの自分では絶対しないことばっかりしてた。



Kのことを少し詳しく説明する。
いつだったかある夜、Kを含めた何人かで高速のパーキングエリアに寄ったとき。閑散とした食堂でカレーを注文したKは、ルーだけ早めに食べてしまい、白米が残ってしまってた。するとKはそのお皿を持ってひとり立ち上がり、注文カウンターにぐんぐん進み、厨房をのぞいて「おばちゃん⁄!カレーおかわり!」と叫んだのだ。もちろんそんなおかわりシステムないんだけど、中にいたおばちゃん二人は見つめ合い笑ってしまいながら、最初の倍くらいのルーをかけてあげてた。その光景を眺めながらわたしは、この人のこの絶妙な距離感はなんなのか……????と頭を真っ白にしながら泣きそうになった。高校のとき北海道から沖縄までヒッチハイクで移動した経験がその性格につながってるのか?ICUで留学生たちと過ごした影響なのか????......とはいえ熱い人間でもなく、先輩から飲みに誘われるたび「歯医者なんで」と真顔で帰る合理主義者で、自分の大事なことだけに力を発揮する潔さがあった。


絶体絶命の東中野に戻る。20:00。
暗くなった山手通りで、また携帯電話の連絡帳を眺め出したKが「あ、Nさん……」と手を止めてつぶやいた。NさんというのはKの大学の先輩で、寮も一緒だったらしく、日中の連絡のとき手違いで飛ばしてしまってたらしい。ためらわず電話をかけるK。そこで「住まなくてもいいんで!ひとまず中野来てください!」というKの口車に乗ってしまうNさん。わざわざその時間から来てくれることに。

Nさんは大手音楽会社で働いていて、たぶんお金にも余裕がある気がするし、恋人もいない気がするし、なんかいける気がする!というKの話にわたしも一瞬前向きになる。が、とはいえNさんと私はその日が初対面だし、ハードルが高すぎる気もするけど……ひとまずひとまず、物件周辺(中野)で落ち合うことに。

そこに本当に現れたNさん。(亀田誠治が来たと思った。見た目が東京事変だった)挨拶してすぐ、鍵が閉まっていて入れない物件を一緒に外からぐるぐる回って眺めた。Kも私も必死で「Nさん!ほらあそこが屋上です!あの3階がぜんぶ僕たちの物件なんですけど、ほらあの窓7枚分!ぜんぶリビングです!まじ広くないですか???????」とか、外から言えるメリットを全部プレゼンしまくった。そこからそのまま中華料理店に移動。KとNさんの共通の友人も合流して、4人で乾杯した。


さあ、Nさん、どうするんですか????と明るく詰めまくる私たち。Nさんは、うーーーん、いやーーー……と腕を組む。僕たちと住んだら本当に楽しいですよ!Nさんの好きな料理も広いキッチンでできるし、屋上でパーティーざんまいです!僕たちと暮らしましょう!新しい生活を始めましょう!始めないんですか?!とかKが繰り返していたら、唸り続けたNさんがいきなり顔をあげて言ったのだ。



「うーーーーーーーん、、、、、、、、、、、、住むわ。」




ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?!?!(号泣)(総立ち)



Nさんの名字は「Nみちさん」というのだけど、これが後々「Nみち決め」として語り継がれる瞬間だった。


とにかくその日Nさんが「Nみち決め」をして、部屋の中も見ていないその物件での生活を決めてくれたことにより、無事わたしたちの「ナカノハウス」が始まることになった。






青春と名付けられるすべてのことを私はそこで叶えた気がする。
中高の部活はすぐ辞めたし嫌な記憶ばかりだし、大学は軽音学部に入ったものの陰湿恋愛地獄なので青春とは真逆。日の当たる前向きな楽しさから無縁だった私は、まさに思い描いたとおりの、いやそれ以上の「東京のルームシェア生活」を謳歌した。


広い屋上でバーベキューも、流しそうめんもした。花火も見た。メンバーみんなで、近所の居酒屋の一日店長もした。パーティには毎回4.50人きてくれて、そのなかには抜け駆け中目ルームシェアの二人(すっかり仲良し)も「人生変わらへん気がする」のWも(彼は優しい同期なのだ!)何度もきてくれた。なによりNさんとKがICU出身ということもありゲストがめちゃくちゃ国際的だったから、半分留学してるくらい日常が変わった。ちなみにもう一人の住人女子はすぐに決まって、それ以降は募集サイトを通して何人もの応募が来るようになった。TOKYO GRAFFITIのルームシェア特集にも載った。でも私がなにより楽しかったのは、そんな派手なことじゃなく、なんでもない夜の、会話にもならないような会話だった。


毎日いっしょに住んでいると話すことがなくなる。だからルームメイトとの会話はいつのまにか、報告でも相談でもなくなる。忘れられない元恋人の話とかじゃなくて、すっかり忘れてた元恋人とのフードコートでの出来事とか、悔しくも感動もない、思い出に満たない記憶とか昨日見たどうでもいい夢とか。独り言をシェアしてるようなもんだった。ルームシェアをしなかったら絶対に他人としなかったであろうそんな会話が、つねにリビングにあった。私にはそれが嬉しかった。

「東京に出たい」と思ったのは、実家から離れたかったのと、母から逃げたかったからだった。とにかく都会で何者かになって何かを成し遂げたくて、最初は上京ハイだったけど途中から普通に寂しかった。ルームシェア前に住んでいた吉祥寺のアパートでは、恋人と会う以外予定がほぼないし、会社以外に出会いもなく友達も増えない。いざ飲み会に行っても、とっておきの面白い話とかをしないと見限られる気がした。だけどその広いリビングで私はいつも、なんでもないままでいられた。それは実家でも叶わないことだった。私は気を抜いたままコタツに入って、商店街で買ってきたたこ焼きをみんなでつついたり、Nさんがスパイスから煮込んだカレーをほうばったりしながら、ドラマを見て笑ったりした。青春って派手なものだと思ってたけど違った。地味にうれしいことが続く日々だった。あれが私の青春だった。

長年住んだような感覚だったけど結婚を理由にわたしは実質1年強でその家を出ることになる。そこから女子メンバーは何度か入れ替わり、だけど男性陣だけは一度も変わることがないまま、ナカノハウスは5年続いた。(つまりNさんは、5年もそこに住んだのだ!!!!)


愛知県の山で開催した私の結婚式ではナカノハウス関連のみんなが運営など仕切ってくれたりして、実家にもきてくれた。気難しすぎる私の母もKには気を許して、家族ぐるみでKが大好きになった。




あの青春からちょうど10年ちかく経つ。
いまKが何をしているのかと言うと(あえて一気に書くが)彼が高校生のときヒッチハイクしながらキックボードで北海道に辿り着いてお世話になった富良野の米農家さんに恩返しするため東京から移住しその農家さんの元でお米を作りながら、富良野で議員をしている。(厳密には上富良野町。選挙カーを買わずに超DIYで街頭挨拶をした選挙活動が話題になりニュースにも取り上げられていた)さらにKは私生活において、SNSで「富良野にきてくれる結婚相手」を募集して見事成就し、富良野で結婚生活を謳歌しつつ家を買い、そこで民宿を運営している。(富良野で譲ってもらった秋田犬も飼いはじめた)


と。7ヶ月かけてここまで書いた私は気づいた。このエッセイのラストにはKとのツーショットが必要!それで2022年2月、急遽はじめて富良野に行ってきた。わたしと息子ふたりとの3人旅だった。

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氷点下の風を受けながら私は、あの日カカオトークで届いた「人生変わらへん気がするから」を猛烈に思い出してた。

先頭をKが、秋田犬のマルコを連れて進む。その後ろを息子たち、さらにすこし遅れて私が続く。深雪はどこまでも柔らかく、油断すると太ももまで埋もれるから緊迫する。だけどKは、毎日自分にしかわからない同じ箇所を散歩してるから、そこだけ雪が固まってるらしく、落ちたりしない。わたしたちはKが開拓して踏みしめたそこを着いていく。

慎重に進みつつ私は「Kって、人生変えたいとか思ったことないだろうな……?」とはじめて考えた。「人生変えたい」なんて思う人はそもそも現状に猛烈に納得してない人だ。Kはいつだって自分が進みたい方向を見つけ、そこに道がなかろうが即進んでた。ほかの人が怖気づくような新雪でもかまわず踏みしめ、気づけば道を作り、その後ろにはKのことを好きな人たちがどんどん続く。そうだルームシェアだって、出会った頃のKが(シャワーしかない)ゲストハウスに住んでたから真似したくなったんだ。

てか人生なんて自分がどう行動するかだし誰と住もうが変わんないし他力本願で「変えたい」とか期待すんなよバーカバーカとか当時思ってたけど、まさかまさかまさかまさか人生って、「自力」で戦闘力はあがるけど「他力」で変わってく部分こそが「豊かさ」とかを広げてく……?誰かと関わることで、自分が手綱を引いてたはずの毎日は、想定してた柵の外に駆けだしてく??だからあの夜以降わたしは、ひとりでは見れない景色ばかり見てきたんだ。シェアハウスを出た私がCMプランナーになってエッセイストになって自分の本を出したのも全部、日曜朝のリビングでKに「あーちゃん死ぬまでにやりたいこと100書こ!」と唐突に言われたことから始まる。


童話に生きるウサギでも亀でもない私たちは道でも地でもない所も自由に進める。好きなものを食べ好きなように眠れるし騒げる。「勝ち負けなんてない、楽しんだもん“勝ち”!」といううっすら矛盾したこの時代に、正解を求めてくじけがちだけど、誰かに追い風をもらいながら知らない場所に飛ばされつつ、ラフに「人生変えながら」進んでみるのも悪くないかもしれない説?Wが言ってたのってそういうこと?それなら私も言いたいかも。

2022.2月Kと私

と、富良野から戻ってここまで書いた私は、このエッセイをどう締めるか悩んでいた。「私の友達すごいでしょ!みんなも良い出会いを!(あるいは大切な友人と良い時間を!)」で終わるのは容易だけどそんな一方的な成功発表でいいのか?いやnoteってそれで良い気もするけど、もし今回たったひとりの誰かが「あーたしかに人生変えたいとかダサいと思ってたけど、こういう出会いなら良いなあしてみたいなあ」とか思ったとして、でも実際Kみたいな適材あまりいない(惜しい人はいる)。となるとこの7000字って壮大な落とし穴じゃん??「こういう出会いが欲しい人はKの民宿に泊まってK本人に出会ってきて!」て方向も考えたけど今キャパ的に難しいらしい。そうして富良野から戻って3ヶ月、悩んで書き直しまくった結果。

急遽、Kとのpodcast番組を始めることにしました。マイクも用意して勉強して収録したので、一緒に新雪踏んでください。一人きりの部屋で夜中聞いたとしても、もしかしたらその誰かの人生ゲームのシート枠も狂ってくかもしれないと願って。


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おわり

《もう配信中》
……ということでこのエッセイを書いてなかったら絶対やってなかったけどpodcastはじめました。(Kは即快諾してくれました)どこにも告知してなかったけど、もう第3回まで配信中。spotifyで「神々のTUNE」と検索したら出てきます。Kにメッセージや相談も送れます。初心者すぎてたどたどしいですが、成長含めて楽しんでください。何回目から聞いても大丈夫!3回目くらいがいいかも!【毎週水曜22:00配信予定】【次回最新回配信は6/22(水)の予定】100回は続けるね!!!!


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