狭いコミュニティに翻弄されない

今、そこそこ人間関係の良い環境で働けていると思う。すべてがうまくいっているとは言い切れないけど、仕事に支障が出るようなストレスはあまり感じない。

思えば、新卒で入った会社は人間関係があまりにもしんどくて(というか無理だったのは一人だけだけど、彼のインパクトが強すぎてだいぶ病んだ)、これが社会なのか…こういうことに耐えながら生きることが社会人なのか…と思っていた。親もそうだけど、初めて見たり感じたものが自分の価値観のデフォルトになってしまうというか。

今じゃ絶対怒られたりネチネチ言われないようなことで当時はしょっちゅうストレスをためていた。自分が怒られたり聞こえるように悪口を言われているのはもちろん、とにかく誰の悪口でも言うので、いつも耳に入ってくるのでとても疲れていた。

「あいつは思いやりがない」→その子がちょっとシャイなだけ
「ランチを断られた」→誰だっていつでも暇なわけじゃない
「だから女は嫌なんだ、すぐ感情的になる」→あなたが一番怒鳴ってますよね
「飲み会の翌日はちゃんと先輩方に挨拶(お礼だっけ、忘れた)してまわれ」→そういうもんなの…?
「俺の言うことを聞かない奴はクビだ」→今そんなこと言う人いないな…

とか、その程度のことで、いつも相手を怒らせないように気を張ってしんどかった。仕事そのものよりもずっと。

振り返るとすごく無駄な労力でアホらしく、さっさと辞めればいいじゃんと思うんだけど、当時はそこが自分の「普通の社会」のイメージで、これに耐えられないと、頑張らないといけないと思っていた。

結局一年ほどで辞めた。辞めて何ヶ月もふさぎ込んで次の就職もできず、もっとはやく心療内科に行ってみればよかったと思う。

なんだかんだで今は4社目になって、会社が変わる度に人間関係のストレスは減っている。それは、自分がもう人間関係で病むのが嫌だからと心理学とか何かしらの本を読んでスタンスを変えていったのもあるし、最初はただのストレスのはけ口だったネットで自分の考えや好きなことをなんとなく書いていくうちに、なんとなく共感できる人や興味関心のあう人と接触する機会が少し増えたのもあると思う。そういうのをきっかけに、自分の中の狭いコミュニティでできあがっていた価値観がいいかんじに崩されていった。ずっとダメ人間だと思っていたのに、自分で思っているほどそうでもないかも、ということに気づかされたり、今よりも良い方に進んでいくための選択を自然と促されるようになったかんじがする。

それで、無駄なストレスが大幅に減った今、仕事そのものに向き合えるようになってきていると思う。手を動かすだけじゃなく、考えることって頭に負荷がかかるから(新卒のころはデザイナーではなくオペレーターで、「考える」要素は今より少なかった)、今も昔ほど人間関係に苦しみ続けていたら仕事に集中できない。というか、そもそもうつで働けなくなっていたかも。

初めての会社を辞める時、他の会社も知っているけっこう年上の女性に「ここに耐えたならどこでもやっていけるから大丈夫だよ」と言われて、自尊心のかけらもなくてボロボロだった私は、いやほんとに私こんなことにも耐えられなくてなにもできないし無理ですよと思っていた。でも、その女性に言われたことを思い出して、どこでもとは言えないけどたしかに他に普通に大丈夫の場所がありました、と言える状態になった。

初めて踏み入れたところが自分にとっては良くない面が大きく世界はそういうものなんだという認識ができあがってしまうのは、運が悪かったとか、自分のマイナス思考(そもそも親からの影響が大きいとは思う)が引き寄せたことなのかもしれない。でも、どうにか変えようと他の考えを取り入れて少しずつ変わったり、道を変えてみたらその先が運良く良いところだった、というパターンもある。

なんていうか、うまくいえないんだけど、自分が育った狭い場所が全てだと思ってしまうのってもったいないなって。親を選ぶことはできないし、学校のクラスを選ぶこともできないし、親の転勤で転校して人間関係一からスタートとか、集団生活に疲れやすい内向型であることとか、運悪いなとか理不尽だなとか思うことが色々ある。あるけど、耐え続けるか逃げ続けるだけじゃなくて自分でできる範囲の改善はやりながら諦めないで動き続けていれば、どこかで救われる可能性もちゃんとあるんだな、と思えるようになった。これを忘れないようにしたい。

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ちなみに、人間関係の悩みに一番効いた本はアドラー心理学の「嫌われる勇気」、物事の取捨選択に有用で印象が強かったのは「エッセンシャル思考」です。

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