高橋里志さんの訃報

マウンドの高橋さん

元カープ投手の高橋里志氏が亡くなられた。

ネットでこの見出しを目にしたとき、「うそだろ!」と叫んでしまったのは、高橋里志さんの死が唐突だったためではなく、ショックの大きさがそのまま叫びになってしまったからだろう。

高橋さんは「口は悪い」し強面でもあるし、好漢という表現は似合わなかったが、裏表のない気さくな方だった。

現役時代に投手交代に腹を立ててダッグアウト裏の鏡を粉々に割ってみたり、トレードを拒否してみたりと、一筋縄ではいかない選手だったらしいが、その行動には一本筋が通っていて、行為そのものの是非はともかく、その動機自体を選手仲間から非難されるようなことはほとんどなかったという。

ぼくが高橋さんとはじめてお会いしたのは、カープ猛者列伝を上梓してからことばを交わすようになった何人かのOBのおひとりだったか、その前に彼のお店「メンバーズ高橋」のカウンターでお目にかかっていたのか、いまでは思い出せない。

それほどお店に通ったわけでもなく、定期的にお目にかかっていたわけでもなかったが、今にして思えばずっと以前から、何かの因縁があったのかと感じるほど親しさを感じてもいた。

それが甘えになったのか、あるときお店で泥酔してしまい、見送っていただいた高橋さんに悪態をついてしまったことがあった。

そのころ「衣笠祥雄はなぜ監督になれないのか?」の原稿を書いていて、低迷カープに対する義きょう心ともいおうか、ひとりでお熱をあげていて、その同じ熱量を高橋さんに求めて、勝手に憤慨してのことだった。

それを後悔して禁酒をし、しばらくして詫びに行ったときはウーロン茶を飲みながらだったが、何事もなかったように赦してもらえたのは、もしかすると若き日の自分の姿をぼくに見たからだったのかもしれない。

画像1

ほんとうに高橋さんの人間性を身近に触れ得たのは、自分球場「ドリームフィールド」ではじめた草野球甲子園に彼が快く応援にかけつけてくれるようになってからだった。

大会の名誉会長には衣笠祥雄さんになっていただき、衣笠さんは当然のように、毎年都合をつけて広島県北の高宮町まで足を運んでくださったが、高橋さんも自らマイカーでかけつけてくれていた。

名誉会長の衣笠さんを立てながら、高橋さんは副会長を自認して、急造チームの監督を引き受けたり、助っ人を買って出たりしてイベントを盛り上げ、楽しませてくれたものだった。
もちろん野球が心底好きだからでもあっただろうが、「老若男女の敷居なくみんなで野球を楽みたい」というイベントの趣旨に賛同してという動機もあったことだろう。
それほど高橋さんは損得とは別の価値観、意気に感じてというタイプの方だった。

草野球甲子園でお世話になった衣笠祥雄さんにつづいて、また高橋さんが逝ってしまわれた。
ぼくの人生の天空に輝いていた数少ない星が、またひとつ消えてしまった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?