バットを言葉に持ち替えて

衣笠祥雄氏は、1987年に現役を引退してすぐに朝日新聞の嘱託に迎えられた。これは球界では稀なケースで、メディアでの衣笠さんの評価が突出していたことを物語っている。

衣笠さんは同紙で定期的に「鉄人の目」と題されたコラムを執筆されていた。山藤章二氏のユーモラスな似顔絵がタイトルに添えられたそのコラムを読むのが楽しみだった。それは内容もさることながら、衣笠さんの言葉を直接目の前でお聞きするような親近感が行間から感じられたからだろう。

球界の先輩では広岡達郎氏もそうだったらしいが、衣笠さんはコラムを自身で執筆されていた。多くのプロ野球解説者が談話の文字起こしであったり、記者に代理で書かせたりが当たり前な世界で、衣笠さんは文章修行までして自分で書くことにこだわった。

だから時折、文章の流れに淀みがあったりしたものだが、打撃に例えれば「ちょっと詰まったった感じ」がいかにも衣笠さんらしくて、いい味わいになっていた。

衣笠さんが秘めていた野球愛、エネルギッシュな野球魂は、バットの替わりに言葉を与えて健筆を振るわせたのだろう、とにかくありとあらゆるところから「野球」がほとばしり出ていた。

時折いただいた礼状にも、簡単な時候挨拶と要件の後に、直近で書かれた長大な“自分コラム”を添付されることがあった。それは在籍されたカープのことにとどまらず、全球団に及ぶ守備範囲の広さで、衣笠さんの野球愛にあふれた佳作ばかりだった。

そんな礼状とか書簡とか、何通か手元に残されたものを、あらためて読み返してみると、いかにもいま衣笠さんが目の前で語っている、そんな錯覚に陥る。

これらの封書やハガキとともに、衣笠さんがまだ身近にいるような気がするのだ。

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