ヒロシマ・未来の記憶

宮角氏記事

「8.6 」翌日のきょう8月7日の中国新聞朝刊「この人」に、知人のカメラマン宮角孝雄氏が紹介されていた。

見出しにあるように彼は「原爆ドームを背景に肖像画を撮り続ける写真家(もともとはファションカメラマンです)」で、毎年8月6日前後の1週間ほど、東京からやって来ては原爆ドーム前でレンズ越しに被写体を通してヒロシマと向き合ってきた。

記事を読んで、その営為がすでに20年に及ぶことをあらためて認識して驚愕し、また敬服もしている。

たしかその最初の夏だったろう、彼からの電話で呼び出された僕は試行錯誤しながらシャッターを押しはじめた現場を目撃している。それからは僕もまた原爆ドームの前に毎年のように通うようになって、彼の作業を見守りながら僕なりに「祈りの代替行為」をしているつもりになっていたのだった。

そのうち宮角さんのこの作業を記録に残さなければと、写真集「希望の神話 GROUND ZERO」刊行をお手伝いさせてもらうことにした。10年前、被爆65年のことだった。

彼の営為をいま現在からふり返れば、ちょうど中間地点に当たる。そのときの思いを写真集の巻頭に載せているので、ここに転載してみたい。

以下

1002.Pier&Corlote イタリア

業火の記憶は浄化の記録となった

その写真を個展会場で目にした私は、原爆ドームが悲惨な記憶の廃墟から、希望のシンボルへと昇華した神秘的な瞬間に立ち会ったような興奮を禁じ得なかった。

背景に霞む原爆ドームを前に、異国のカップルが抱擁し唇を重ねている写真……。

だれもが息をのんだはずだ、カメラがとらえたその〝不謹慎〟な構図に。そんなとまどいをあっけらかんとぬぐい去ってしまった写真のチカラに。

原爆ドームという聖地を前にして、かつてこれほど〝不謹慎〟な写真を撮ったものがいただろうか。こんなピースフルな魂が出現したことがあっただろうか。

ずっとずっと、この神聖な場所では〝不謹慎〟はゆるされなかった。だからその呪縛から、だれもが逃れられないできた。

祈り、ねがい、抗議…。

あらゆる表現をこころみてきただれもが、しらずしらずにこの桎梏(しっこく)に縛られつづけてきたのだ。

その呪縛からやすやすとぬけ出てしまったのが、あの一枚の写真だった。

悲惨を客観視するための時間。鎮魂が成就した空間。それが交点をむすんだ時空に神の手がのびて、おもわぬ奇蹟があらわれた。

その瞬間に、宮角さんは立ち会うことがゆるされたのだ。ヒバクの記憶が刻印されたDNAによって、そして、あの夏と同じ暑いドームの前に身をおいてシャッターを押しつづけた日々のはてに …。

いまあらためて、この写真をながめてみる。

悲惨のシンボルは霞んだまま背景に定着され、その前にひとの姿を帯びた未来の光がまばゆいばかりに輝いている。

ふたりの頭上に注がれた陽光の、なんと祝福にあふれていることか。

目をこらしていると、このふたりが創世神話の男神と女神に化身してゆくのがみえるようだ。

そう、きっとわれわれはこの写真にあらわれた希望にたくして、あたらしい未来を創っていくことになるのだろう …

以上

宮角さんが引き寄せられるように原爆ドームの前に通うようになった頃、それまで頑なに沈黙を守っていた被爆者が重い口を開きはじめていた。そして、二度と見たくないと忌避していた原爆ドームの前に現れて家族と共に、吹っ切れたようにポーズを取られた被爆者の方もいた。

それまでネガだけだった被爆の記憶に、ポジの記憶が加わりはじめたとき、それを掬い取るように宮角さんはシャッターを押しはじめていたのだ。

その変性した記憶たちがいつか融合して、新たな未来への希望となることを願わずにはいられない。


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