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女子会と喫煙所は似ているという話

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。

女子会と喫煙所は一見非なるものだが、本質は似ているという話をしたい。

先日、仕事でイベントを開催した際に、私を含め10名ほどで午前中から準備を進めていた。

その10名は同じ会社に所属するメンバーではなく、3社から老若男女が集まった状況であり、お互い気を遣いながら準備にあたっていた。

一番下っ端であった私は、会場内のレストランの席を予約し、午後から始まるイベントの前に打合せと称したランチ会を開催した。

年齢は30歳以上60歳以下の男性6人と女性4人。そして、予約された席は6名掛けテーブルが2つであったため、誰が何も言わずとも、自然と男女でテーブルが分たれた。

私が座る男性席では、皆がリラックスしている素振りを見せつつ、言っていいこととそうでないことを選別しながら、お互いに気を遣っていた。

そんな中、隣のテーブルからは大爆笑。さっきまで、会社間の垣根を気にしていたメンバーたちが一変し、周りが見えないくらいに話し込んでいた。

いわゆる女子会が始まっていたのだ。隣のテーブルのはずなのに、次元が違うところに居るように感じた。

なぜ、利害関係があるはずのメンバーたちが、その場では利害関係を忘れて話せるのか?

気を遣ってしまいがちな私には、まるで理解できなかった。

ただ、私は過去に、利害関係があるのに一時的にその呪縛が解除される空間を見たことがあるような気がした。

無礼講と言いつつも、実際にそうではない飲み会とは違う…。

あ、思い出した…喫煙所だ!

会社の仲の良い喫煙者の先輩と外で会ったときに話が盛り上がってしまい、私はタバコを吸わないけれど、先輩が向かう喫煙所までついていってしまったことがあった。

タバコの煙が苦手な私でも、「まだ会話をしたい」という誘惑に勝つことができなかった。

ただ、私は喫煙所に入ったことを後悔した。そこには、見たくもない会社の経営者や上司たちもいた。

でも、喫煙所に入ってから数秒で私は気づいた。そこにいるのは、席でいつもふんぞり返っている人たちとは、まるで別人であるということに。

喫煙所には、同じ会社内の上下というポジションを忘却させる魔法陣が敷かれているようだ。彼らは、利害関係を気にせず、話し込んでいた。

そして先輩も、吸い込まれるようにその輪に入っていった。

先輩の目には、飲み会でゴマスリするような心の澱みが感じられず、純粋に会話をしたいという光に満ち溢れていた。

私は隣のテーブルの女子会を見て感じたことは、この喫煙所内で起きた私だけが理解できないミステリーと同じものだったのかもしれない。

前置きが長くなってしまったが、ここからが本題だ。

なぜ、私はこんな話をエッセイとして綴っているのか。

それは、ハードモードであるはずの仕事の人間関係を、あっという間にイージーモードに変換できてしまうあの場が、羨ましくてしょうがなかったからだ。

いや。もっと言えば、あの場にいる彼ら・彼女らが特別なのかもしれない。表面上は堅く接しているように見せかけて、内心ではそんなに深く考えずに、仕事で人付き合いをしている。

その一方で、相手の言葉を真正面に捉えてしまい、内心も堅くして相手に接してしまう私は、己の不器用さを恨んだ。

気を遣わずに仕事の人間関係をいなせる場所もなければ、そんなスキルもない。

そんな私には、利害関係のないところで居場所が必要なんだと、最近気づいた。

毎晩スタバに通う私は、コワーキングスペースに行く方が安いという真実に気づき、家から近くのコワーキングスペースに通うことにした。

そして、通い始めたコワーキングスペースが、奇しくもゆるいコミュニティっぽくなっていた。気づけば作業を終えて、コワーキングスペースを出る前に、3〜4人で軽く会話するのが日課になっていた。

ふと振り返ると、家族や友達、恋人と話すのとは違った形で、自分のメンタルに好影響がもたらされていることが観測された。

私はこのままずっと、あの女子会や喫煙所にいた人たちのように、仕事の人間関係をイージーモードに変えられることはできないのだろう。

だからこそ、利害関係のないところで、居場所が必要なんだと思った。

ニンゲンといると疲れる私は、野良猫のようにソロで生きるのが本望だ。

けれど、そんな私でも「群れ」の存在を肯定できた、今日この頃であった。

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