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信仰というのはどういうものだろうか。

宗教的なものに限らず、もっと素朴なもの、例えば、スロットを打つ時に台にお辞儀をすると当たりやすいなど、非科学的であったり、オカルト的な信仰というのは誰しもが持っているのではないか。

また科学ですら信仰めいたものがある。科学的に効果が認められている、眠りの質を向上させる乳酸菌飲料を私は信じている。量より質だと言い訳をして、夜更かしをしている。

人は何かを信じなければ生きられない弱さを抱えた生き物なのか。それとも信じられる強さを持った生き物なのか。

私は後者であると思う。

明日大地震が起きて死ぬかもしれないのに、テレビを見て笑っていられるのも、何か信仰するものがあるからである。

それの正体は、宗教を持っていない人からしたらわからない。私は何を信じているのだろうか。すくなくとも神や仏ではないほかの超越的なものだろう。

信仰の怖さについても考えて見たい。

宗教の歴史は戦争の歴史である。宗教戦争や多宗派との争い、信じるものが違うだけで攻撃していい対象になりうる。

自分が価値を置いているものの価値を高めるため、それ以外の価値を低俗なものとする。

自信がある男は、そんなクソ男より俺と付き合えよ云々いうが、そんなことはない。人の評価は年収で決まるものでも、容姿の良さで決まるものではない。大事なのは心意気だ。ウルフルズもそう歌っている。

信仰の排他性というのは、信仰それ自体高めるものだが、それが他を下げる相対的な見方に囚われているということは注意すべきであろう。

信じるものは救われるが、救われたことが何になるのだろうか、常に考えていきたいものだ。

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