透けTシャツ

紹介するほどのものではない。強いて言えば、ラーメンが食べたいぐらいだ。

透けTシャツ

紹介するほどのものではない。強いて言えば、ラーメンが食べたいぐらいだ。

最近の記事

4/27

大事なもの、それ以外はどうなっても構わない。どうとでもなれと思っているもの以外が大事なものである。私にとって大事なものはなにか。 紙とペンと本である。無人島にもっていくならば、これ以外にあり得ない。 これさえあれば、一人でいても大丈夫だ、というものが大事なものである。誰にでもそういうものがあればいいな、と思う。 そうあるように願っている。

    • 4/26

      今週も私よく頑張った!褒めよう!讃えよう!というのは、自分を他者化している。 週末のご褒美にビールを飲んでいる。だから陽気であるが、少し水をさす。自分を奴隷にしていないか、と。 もちろん、ご褒美は大事だ。バイトも大学も頑張った。だからビールを飲むのは至極当然のことだ。 褒美というのは、かつて王から授けられるものであった。私は私を王として、その叙勲としてビールを私に授けている。 私は王でありながら、私はその大臣として、あるいは主人でありながら、私は奴隷として、報奨を受け

      • 4/25

        眠い、後少しだけ、と思いながらも愛する寝床に別れを告げこの日を出発した。 大学の授業は居眠りが暗黙の内に了解されている。単位認定の条件の内のひとつに、3/1以上の出席がある。居眠りが厭われながらも、了承されているのは、こういった背景がある。 ただ居眠りばかりしているわけにはいかない。試験で点数を取るには講義をちゃんと聞くのが大事なことのように思われるからである。 そこで画期的な方法を思いついた。受け寝である。講義を受けながら寝るのだ。一見不可能のように思えるが、そして実

        • 4/24

          頑張っているのに一向に成果は確認できない、一体いつまで頑張ればいいのだろう、と悩んでいる時期がかつても今も昨日も、多分明日も明後日も10年後も20年後もあるのだとする。 その答えをひとまず、一生としておく。例えノーベル賞を受賞しても、私は研究をやめないだろう。やめた時は死ぬ時である。毎日何かしらの研究に没頭して、そのまま生涯を終え、伝記が残され、ドキュメンタリーが公開され、教科書に載るのだ。 そんな事にはならないのだとしても、また研究なんぞ一切行っていないが、今頑張ってい

          4/23

          今この瞬間に失われては、作られているもの、それが私である。 同じものは、二度とない。だからこんな感じだったかもというような具合で私が作られているから、たとえ私がしたことでも、今となれば阿呆か!と突っ込みたくなる私がいてもなんら不思議はない。 後悔先に立たず、とはよく言ったものであるが、後悔すべきところでしているのなら、それはまさに今立っているのであり、それは先には倒れるかもしれないという、こともあると思うけれども、まあそれはそれで後の祭りである。大いにはしゃぐのが吉か。

          4/22

          学生は軽んじられている。主に働く人によって。 学校に行く前、親は職場に向かっていて、家にいないが、起きて携帯を確認するとLINEの通知が一件。  ご飯冷凍庫にいれといて 人に言われるとやる気がなくなる天邪鬼を飼っているので、めんどくさいと思ってしまった。仕方なくやるが、またやる事は当たり前なのだが、言わなければやらないと軽んじられている。 バイト終わりに携帯を確認すると、友人からLINEの通知が一件。  今何してる?〜で飲んでるけど来てよ! バイト終わりだから、時

          4/21

          バイトまでの時間、ほとんどベッドから離れなかった。ベッドから離れていないが、私の意識はあれやこれや色々な事に向いている。 生きている限り、動かないということはない。直立不動のように見えていても、その重心は揺れ動くように、見かけは動かなくても、動いていないということはない。 何にもしなかった休日でも、私は絶えず戦っていた。すべき事は山程あるが、そのほとんどをしないように戦っている。 どうせいつかはやるのだと、先延ばしをした挙句留年したことをまるで反省していない。 来週か

          4/20

          プロ野球の試合を神宮球場にて観戦した。 テレビ中継では感じることができない人間の熱狂を球場では感じることができる。白球の行方に一喜一憂している人間の様をより感じることができる。 ビールは高いが、また観にいきたい。それは応援している球団が勝ったからという単純な理由であろう。

          4/19

          3月に大学を卒業した友人と飯に行った。 向こうは社会人で、私は学生。留年したからである。皆が社会の荒波に揉まれている間、私は学部で燻っている。 ただ燻るつもりはない。燻された鶏肉は美味しいように、私はスモークチキンのように燻るつもりだ。

          4/18

          この日、バイト中にお客様からご説教を賜っていた。 こちらの不手際はなく、私はその間人格を著しく貶められていたのだが、久しぶりの困ったお客様に楽しんでいる私がいる。 他のお客様と同様の対応をしているのに関わらず、つっかかってくる客はこの日のように、ごくたまにいらっしゃる。 ポケモンでいう色違いのようなものだ。遭遇率は低い。違うのは、遭遇しても嬉しくないことぐらいだ。 次のシフトに出たくないぐらいは嫌だった、といっても毎回出たくないのだが。

          4/17

          待つということは、誰でも経験があると思うのだが、この場合において、待たせるという事をする誰について、何か申し上げたい。 何かしらの予定をお互いに了承した上で決めたとする。例えば映画をみることにしようか。集合の時間まで、こう過ごそうとか、洗濯物は干してからいこうとか、その時間まで映画を楽しみにして過ごす。 映画を見る前は、映画の事で頭がいっぱいなのだ。当日は、映画を見ないことになるとは全く考えない。映画を見るために、雑事を済ませていると言っても過言ではないぐらいにルンルン気

          4/16

          私という感覚は、途切れることなくずっとあるものだが、全く同じ私というものは不可能である。 常に私というものを作り続けている。今の私と10年前の私はもちろん違うが、今の私にはその時を思い出すことができる。 複製している。そして、それに上書きしている。それをさらに複製して、上書きをというのを繰り返している。 思い出せる4月16日は、昨日過ごした4月16日ではない。今まさに作り出した4月16日である。

          4/15

          私はこれまでたくさん間違えてきた。これからもたくさん間違えるだろう。 それならば、間違える事を上手くなっていくしかない。転んでも手をついて転べば顔に怪我をしなくて済むように、間違えたとしても取り戻せるように間違えるしかない。 ミスをして迷惑をかけたとして、すぐさま素直に謝ったり、そういうような技術を身につけていきたい。 取り返しのつかない要素も多々あるだろう。そういうのをできるだけ避けれるように、日々間違えていこうではないか。

          4/14

          もし偶然そうなったとして、それを必然だと思ってしまうのだろう。努力をしていたから、そうなったということの類である。 だからといって、辞めることはない。偶然そうなるとしても、それが全く努力のおかげでなかったとしても、続けながらそれが来るのを待つのだ。棚からぼたもちが落ちるのをただ寝て待つより、スクワットをしながら待っていた方が、性に合っている気がするのだ。 なりたい自分に多分なれない。そうであったとしても、なれるように頑張ることをやめる理由にはならない。

          4/13

          できることは常に目の前のことでしかあり得ない。それならば、やるべき事は目の前に置いておけばできるのではないか、と考えた。 YouTubeや、 Netflixに時間を取られるのが嫌であれば、携帯を捨てるがいい。一生かかっても見切れない程の膨大なコンテンツに、今すぐにでも負けを認めて、放棄するのである。 やりたくないことでも、目の前におけば、机の上に置いて、椅子に座り、鉢巻を巻いてさあやるぞと意気込めば、時間は多少かかるができるようになるはずだ。椅子に座りたくなければ、寝なが

          4/12

          今しかない、というのは思い込みである。ただ、今という瞬間にやってきた事が積み重なり、それが人生というものになるらしい。鏡に今写っている自分が、それまでの自分の総決算である。 いつ死んでもいいように丁寧に生きるということができれば、問題はないのだが、目先の事に囚われて今になっているのであるから、負債がとんでもない事になっている。 返す時はいっぺんにやらないと、利子だけを払っていて、一見したら問題はないのだけれど、先送りにしているだけで、返済は全く進んでいないという事になって