電気グルーヴがつまらない理由について。

まあ面白い面白くないは究極的にはセンスの話になる。数値化出来ないから誰の目にもはっきり分かる決着が無い。また多数決で面白さが決まるのでもないし。

端的に語りやすいので、電気グルーヴのギャグ漫画を読むリテラシーの低さでお笑いのセンスの無さを説明しますね。
電気グルーヴはゴールデンラッキー下げで、漫☆画太郎上げだったかな確か。
榎本俊二の『ゴールデンラッキー』は新井英樹の『宮本から君へ』と共に嫌われる漫画のツートップでしたね。
今振り返ると宮本から君へはストーリー漫画版の地獄のミサワだと思う。イラッときたら読者の負け。でも当時、地獄のミサワみたくハイコンテクストに面白がる漫画など存在しなかったので馬鹿正直にマジレスしてしまいイラッときてしまったのでは。真っ直ぐに見過ぎてしまう。斜めに見ていなすみたいなのはまだ時代的に難しかった。

ゴールデンラッキーは不条理漫画ですね。メタギャグ漫画。吉田戦車の『伝染るんです』は許容されてゴールデンラッキーは許容されないその差はなんなんだ、そう腑に落ちないのだけど、シュール漫画というジャンルの元祖なオリジンである、そう伝染るんですは解釈された。「こういう分からない漫画がシュールという新しい価値観なんだな」そんな納得の仕方で切断処理された。でもオリジンでないゴールデンラッキーについては(シュールというジャンル発明による切断処理が出来なくて)向き合わねばならない為に「はたして君に分かるかな」そう挑まれるプレッシャーで嫌われたのかも。お笑いというのは誰にでも分かるという思い込みがあるので、分からない笑いというのに出会うとショックを受ける(バカにされた気分になりヒステリーしてしまう)。
伝染るんですは分かるがゴールデンラッキーは分からないケースというのがやはり想像できないので。両方分かるか分からないかな二択だと思う。
だから大多数には本当は伝染るんですも分かって無かった。ブームの勢いで分かったつもりになってた、あるいは分からないと言い出せなくて周りに合わせて分かったフリをしてた。

あともしかしたらキャラ消費という逃げ道が伝染るんですにはあったのかも。カワウソや河童くんをただ素朴にヌルかわいいキャラとして愛でる。一方ゴールデンラッキーのキャラには不穏さがあり、ただ愛でて消費するという逃げ道がなかった。
そういうヌルい読者に逃げ場を与えない容赦のなさとかも嫌われたのかも。作者の意図しない解釈を許さない厳しさが。
意外とコンテンツというのは正しく作者の意図は伝わらず誤読されるのだと思う。もしかしたら当たるコンテンツのキモというのは「誤読の許容さ」だったりするのかもしれない。

そして電気グルーヴは漫☆画太郎については上げなのだけど、その解釈がナイーブなのね。
『東大一直線』『おぼっちゃまくん』とギャグ漫画を何本もヒットさせてる小林よしのりと電気が漫☆画太郎について対談する場面があり、電気は「天下のジャンプにこんなデタラメでヘタクソなコロコロクオリティの漫画が載ってるのが面白い」というナイーブな解釈なのに対し「ああ見えて漫☆画太郎は漫画をよく知ってる。けっこう批評的なアプローチで脱構築的?脱臼?なギャグを試みてる(意訳)」とさすがは腐っても鯛な、ヒットギャグ漫画家ならではな鋭い分析で漫☆画太郎のギャグの真髄をしっかり見抜いたんだけど、「えっ漫☆画太郎ってそんなに奥深かったんだ…」とショックを受け、舐めたニヤニヤ笑いは消失し、まるで借りてきたネコのように、あるいは屠殺された豚のようにすっかり押し黙ってしまった電気をオリは見逃さなかった。

電気グルーヴ的な解釈でなら『珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-』『まんゆうき 〜ばばあとあわれなげぼくたち〜』の二作品で漫☆画太郎という作家はライト層には消費され切ったのだが、実はその後月刊ジャンプに移り描いた『地獄甲子園』で漫☆画太郎の試行錯誤してた脱構築脱臼的な漫画メソッドというのはやっと完成した。誰にも気付かれずひっそりと。世間からは一番注目されてない、ある意味「もう終わった漫画家」と思われてた頃に。

まあそんなカンジ。

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