「一生ものなんて無い」のか?

なんか「一生ものなんて無い」みたいな論陣張る勢を最近よく見るな。言ってることは分かる部分もあるけど。

一応言うと40歳で急に痛くなるのではなく若い頃から既に痛いのだけど若さボーナスタイムでダメージがカウントされない。未熟さへの温情で許されてる。
その間にトライアンドエラーで学び経験値上げないとボーナスタイム過ぎた瞬間に忌憚のない意見される(むしろ「今迄はボーナスタイムで許されてただけなんだ」そう気付けない、あくまで被害者意識な態度にアスペ感など伺えてゾッとする。「ああ、(痛い服を着る人というのは)やっぱりやっぱりなんだ」そう確信する)。
あと若いうちはギフテッドな容姿で決まるが、40あたりになるとその人の経験値でむしろ決まるような気がする。経験値の目方で許されたり許されなかったり(「痛い」と言われた場合は経験値の足りない線も疑えば。大屋政子やアパホテルの女社長系な線を)。

閑話休題。じゃあ「一生もの」ではなく「オーセンティック」とかいえばいいのでは。リーバイス501やラコステのポロシャツやコンバースのオールスターなどがオーセンティック。ほらね?普遍性あるでしょ。今も10年前も印象変わんないし、おそらく10年後も残ってて同じような印象でしょ、その時々のトレンドでスリムやワイドのマイナーチェンジなどはあるかもしれないけど。
ロレックスやエルメスやマッキントッシュも同様に。たぶん「飽きる」など受け手側の理由もあるでしょ。普遍的なものを一生身につけ続けるより、すぐ陳腐化するナンセンスなものを次々と消費したい、そんな非本質的な消費を望む人の方が多い。またそういう欲望のニーズがファッションの主流だから。つまり問題は人間側。
ハイカルチャー的(本質的)にファッションを消費できる人はあまり多くはない。
この事は(誰も気付いてないため)言及されないし無意識だろうけど、ノームコアってファッションのハイカルチャー化の側面もある。

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