自分の考えるお笑いについて

電気グルーヴの喋りに初期の伊集院光は影響を受けたみたいな話はよく聞く。
最近、お笑い芸人の土田晃之も電気のオールナイトニッポンを何度も聞いて喋りの研究をしたみたいなTwitterのツイートを見かけた。
まあ他にも幾人かのお笑い芸人の電気ファン?影響を受けてると思われる人も散見する。

自分は電気グルーヴアンチなんだけど電気のオールナイトニッポンを一度も聴いたことがないのね。
より詳しく言うと電気がコンビでお笑いの掛け合いみたく?喋ってるものをテレビなりラジオなりで視聴した事も全くない。あくまでテキストに起こされた文字でしか読んでいない。なので電気の笑いのセンス?みたいなのはテキストのみによる判断なのね。

「ラジオは誤魔化せない。本当に面白い芸人しかラジオでは通じない」みたいな話がある。
それはラジオは声だけだから視覚的な雰囲気によるオモシロ風味で誤魔化せないよ、みたいな話だと思う。
面白い動きや表情やユーモラスなルックスなんかでは視覚表現なテレビではウケても言語表現だけなラジオでは通じない。
視覚的な笑いよりも言語的な笑いの方が実力であり上だから尊いのだ、てな具合。

チャップリンあたりのサイレント映画の頃からのスラップスティックな笑いの系譜。トーキー誕生以前の時代には視覚的表現によるそんなプリミティブな笑いしか出来なかったから。
まあ現代では子供向けな笑いがそんな傾向だよね、ドリフとか志村けんとか。ドタバタ。
視覚的笑い=身体表現な笑いは子供向け=幼稚、みたいな。だから下に見られる。
ナイナイの岡村なんかもそういう系譜だからいまいちオールナイトニッポンでは真価を発揮できないのかも、資質とは違うから。テレビでより輝くタイプ。
また身体表現の系譜な笑いなので松本人志信者な人らは言語表現的な笑いの松本が優位という根拠にするのかも。子供向けな笑いの岡村よりも大人向けな笑いの松本の俺らの方が偉いのだ的な。
太田光VS松本人志の他に岡村隆史VS松本人志というアングルがある(ナイナイが売り出してダウンタウンを追い抜きそうになった時、あくまで後輩の岡村は先輩の松本を立てて慕ってたのに松本の方がライバル意識剥き出しでナイナイを貶めたので、ダウンタウン信者もならい内面化してそのムーブをなぞるのだ)。

で、ソレを踏まえより解像度上げて笑いについて分析すると、「テレビよりラジオ、そしてラジオよりテキストで面白いほど本当に面白い芸人だ(ラジオで聴くと面白いのにテキストに起こすと面白く無くなるのは喋りのペーソスに頼ってるからだ)」みたく言える。
落語なんてのは喋りのペーソス芸そのものだよね。同じネタ話を皆でする、だからそこにあるのは噺家のペーソス芸の良し悪しだけで。
要は身体表現的なペーソス芸と言語表現的なペーソス芸の違いであり、ペーソスだけを味わってる意味において同質なのね。

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