コーチングで話しているテーマ

最近は大枠ではアウトプットというテーマで話している
その一環としてこのnoteがある
とにかく未完成品を出すということを意識的に行いそれに対してどのように感じるかということをつぶさに見ていこうとしている

未完成品を出すということに対する忌避感は自分はあまりないはずで、facebookの十何年前の投稿とかが出てくると恥ずかしげもなくSOUL’dOUTを歌った動画をあげてたりする
チェロ動画をYouTubeにあげたり、ヘッタクソな絵をあげたり、クソゲーを作ってみたり、Podcastで好き勝手喋ってみたり、よくまぁ恥ずかしくもなく出来るなぁと思うことを結構やってる
なんならちょっと誇らしいまである

なんだけども、事文章になると何かこう急に恥ずかしいと感じてしまう部分があるなというのがコーチングを通じて明らかになってきていたところだ
自分の中でその違いはなんだろうかというと、文章というものはかっちりしていなければならない、一度公開したならば同じことは書いてはならないみたいな固定概念がある気がする
これを書いている今も、あれ、この話つい最近書いたばかりじゃなかったか?と思っている自分に気づく
違うんだと
文章なんて適当でいいし、同じこと何回書いたって良いし、書きながら少し前のことを訂正する文章を次に書いて、ひと段落の中に違う意見が混ざっていたっていい
それぐらい自由なもんなんじゃないか
実際書くのと喋るのの違いは訂正可能性ぐらいなんじゃないのと思うし
喋る感覚で書いていけばいい
そういうトレーニングを最近コーチングを通じてやって、書くということをもっと自由に取り組みたいと思っている

コーチングに話を戻すと、コーチングで何を目指していくか?という話になる時があるがよくよく考えていくと何も目指してないになる
なぜならば今のままでいい
ありのままでいいというふうに思っているからだ
これは、そう心の底から思っているというよりはそうある状態が理想状態だという理性的な側面が強い

ありのままとは何か?
一見すると停滞を意味するように思うが自分のイメージは違う
変位が一定ではなくて加速度が一定というイメージを持っている
なんらかの方向に動き続けようとしている状態だ
より良い状態を目指し続けている
結果としてその場にとどまっていたとしても何か良い状態っぽい何かを目指している状態に今なれているか
ということが大事ということだ
そして、何か良さそうなものというのも実はずっ同じじゃない
ある時は+xの方に向かったり+y方向に向かったりはたまた-xにいってもよい
その時々でなんかこっちが良さそうと思えていることに向かえている状態でありさえすれば良い

どこの方向に進もうとするかは出来るだけ多くの選択肢があった方がよく、その中から選びたい
となった時にコーチングが非常に良い
この前のセッションで、要望として「何か自分の意見を言った時に、同調ではなく必ず否定してみて欲しい、あるいはこういう他の考え方があるのではというのを無理くりにでも捻り出して教えて欲しい」というようなことを言った
かなり無茶を言っている気がするけれど、そういう自分では絶対やらなさそうな考え方を教えてもらい試してみる
そのことが何か自分としては良い方向に向かおうとしている状態として、ありのままを受け入れられていれば、それは良い状態だろうと思い今はコーチングを活用させていただいている

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