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宇宙人との交信

 ピポピポピポ……ピポピポピポ…こちら地球…宇宙人、応答せよ、応答せよ…。 
 私は毎日、宇宙人との交信を試みています。
 その宇宙人のいる惑星では、ペンギンは魚で、卵からは産まれないそうです。アリの足は四本です。おしっこは我慢しているとうんちになるそうです。でも、不思議なことにこれらの情報は数時間後の調査ではまた変わってしまいます。再度調査が必要です。
その宇宙人は、宇宙流のレシピでご飯を作ります。煮魚は焼きます。焼き魚は煮ます。麻婆豆腐の素は袋から出したらもう完成、豆腐は入っていません。炊飯器は半日前からスイッチオン。宇宙ではお肉は生でも大丈夫。揚げ物は少なめの油を使って、低温でじっくりと。そうして、できあがった料理をカピカピのご飯粒がついたお皿にのせて、「ご飯ができたよ」と私に差し出してきます。
 その宇宙人は、私のお母さんなのです。 

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私のお母さん

 お母さんは、高校生の時、通学中に交通事故に遭いました。
 身体には右半身麻痺が残り、移動する際には杖かシルバーカーを使っています。加えて、高次脳機能障害も残りました。高次脳機能障害とは脳が損傷を受けた際に起こる障害全般を指し、人によって様々な症状が現れます。私の母の場合は特に記憶力に障害があり、今日の日付が答えられない、同じことを何度も聞く、迷子になる、さっきまでしていたことを忘れてしまうなどの症状があります。本人は嘘をついているつもりはありませんが、経験していないことを経験したと話す作話と呼ばれる症状もあります。その他、注意力や判断力、物事を順序良く進める力(遂行機能)も一人で生活するには十分ではありません。まるで小さな子供のようです。運動靴を買いに来たのにヒールが高いかわいいサンダルを欲しがるので、お母さんは麻痺もあって普段履くのは難しいよと言うと、家に着くまで駄々をこねます(なんでそういうことだけケロッと忘れてくれないのか)。外出先でも、音楽が流れてくると楽しそうに歌いだします。     
 お母さんには自分なりのルーチンがあり、それが崩れると拗ねてしまいます。例えば自分が一番にお風呂に入りたいのに私が先に入ってしまうと、その日はもうお風呂に入らない!と言って寝てしまいます。父や私が仕事や学校に行くために急いでいても、お母さんのマイペースは変わりません。今置かれている状況がわからず、いわゆる「空気を読む」ことが苦手なのです。私が机に資料を広げて作業をしていても、ご飯ができたら構わずに私の目の前に置いてしまいます。父が出かける前に急いで歯磨きをしたいと思っていても、自分が洗面台のところに行きたいと思ったら関係なく向かってしまいます。
 東日本大震災の時、我が家は水道が止まってしまいました。それでも少しだけ水を集めることができたので、お風呂の浴槽とトイレのタンクに貯めていました。ところが少し目を離した隙に、お母さんがお風呂を沸かして入っていたのです。トイレの水も流されていました。
 他にも、少し言葉が出にくいことや、何でもないのに大声をあげたり、私を呼んだりすることもあります。そしてなにより、お母さんは自分に障がいがあるということをよくわかっていません。自分が忘れっぽいことや、普通の人と同じように物事をこなすことができないということには気が付いていないのです。こちらから見たら明らかに変な言動をしていても、本人はとても堂々としているので、こちらがおかしいんだろうか?という気持ちにさえなってきます。
 

不思議なお母さん

 幼い頃の私は、母の言動が不思議でなりませんでした。特に洗濯物があるわけではないのにコインランドリーにずっと居たり、知り合いというわけでもない高校生がブラスバンドの発表会のリハーサルをしているところに入っていったり、しめ鯖を焼いてしまったり。
 なんで?と思うことがたくさんありましたが、小学校低学年くらいの私にとっては、一応母は身近な大人ですから、大人がやっていることなのだからとそれで納得していました。
 でも、私は成長していくとともに、母の言動に疑問を抱くだけではなく、「恥ずかしい」と感じるようになりました。母と出かけると、人が入っていて鍵が閉まっているトイレのドアを叩きます。「人が入っているんだから叩かずに待って。」と私が言わなければわからないのです。公共の場でも大きい声で話し、あろうことか「見て!あの人、すごいハゲだよー!(クソデカボイス)」などとと言ってしまうこともあります。何度も何度も注意していますが、直ることはありません。
 なんでお母さんはみんなが守ることができるルールやマナーを守ることができないのだろう。なんでお母さんはみんなができることができないのだろう。本をうまく読めない。電子レンジや炊飯器の使い方がわからない。お風呂の追い炊きができない。今日が何曜日か何回人に聞いてもわからない。スマートフォンやお財布をすぐどこかに無くしてきてしまう。洗い物はきちんとできておらず、油汚れやご飯粒がついたまま食器棚にしまわれている。なんで?なんで?なんで…?
 お母さんは簡単な日本語ならばわかりますが、少し難しくなると通じません。例えば、「今日はいい天気ですね。」「そうですね。」くらいならばなんとか会話が成立しますが、町内会での話や、病院の診察や美容室の予約、市役所での手続きは全くできません。最近は新型コロナウイルスについてのニュースを毎日見ていますが、「えっ?コロナってうつるの?」「これはいつまでやっているものなの?」と毎日言っています。私はお母さんに学校であったことを話すときには、「運動会があったんだよ。」とか「文化祭があるから準備をしているんだよ。」などお母さんが聞いてもわかりそうなことだけ簡単な言葉で話して、詳しい話はしませんでした。
 お母さんが私の話を聞いてもそんなに理解できないのと同様に、私がお母さんの話を聞いてもあまりよく理解できません。お母さんは、「そうでしょ?」と聞けば、「そう。」と答えて、「違うでしょ?」と聞けば「違う。」と答えます。好きな物や、欲しい物も、最近テレビで見たとかで新しく記憶に残っているものを答えてみたり、そうかと思えばどこから思い付いたのかわからない突飛なことを答えたりします。
 以前、2週間近く足が痛いと訴えていたときには、「足ね、治ったの!うん、痛いの!」と言ってみたり、「あまりにも痛いので病院に連れて行って」と言うので車に乗せたら、「何を買いに行くんだっけ?あ、お父さんのビールか!」と言ってみたり。話すことに一貫性がなく、数時間後にはまた違うことを言い出すので、何が本当のことだかわかりません。お母さんが本心でそう言っているのか、障がいによってそう答えざるを得ないのか、判断がつかないのです。“お母さん”が“お母さん”として安定して存在せず、コロコロと形を変えてしまうような感じがして、「さっきのは本当なの?それとも嘘?」と悩んでしまいます。

お母さん、宇宙人だった説

 なんでお母さんは他の人と同じように行動できないんだろう。
 なんであまり話が通じないんだろう。
 ずっとずっと、ずっとずっとずーーっと、考えてきました。
 そして、もっとも有力な説を見つけました。 

お母さん、宇宙人だった説。

 例えば欧米では靴のまま家に上がるし、インドでは手でご飯を食べる。


そんな感じで、お母さんはどこか違う惑星の出身で、そこのルールに従って生きているのでは??

お母さんは宇宙人語が母国語で、日本語は不慣れなのでは??


22年間、大真面目に考え続けた結論です。


 私は地球人。お母さんは宇宙人。
地球の常識は、お母さんの惑星では当てはまらない。
何万光年と離れているなら、それは当たり前だと思う。地球人の常識を宇宙人に当てはめて、なんで同じようにできないのかなんて、考えても無駄だ。怒っても、悲しんでも、恥ずかしいと思っても、むなしいと思っても、全部意味は無いんだ。
私は地球人だけど、お母さんは地球人にはなれない。
住んでいる星が違うんだ。それ以上、どうしようもないんだ。

 私はお母さんが何をしでかそうとも、「宇宙人だからしょうがない。お母さんはこういうもん」と納得することにしました。

 お母さんが高次脳機能障害の診断を受けたのは私が大学生になってからでした。お母さんが事故に遭った三十年前には高次脳機能障害は今ほど注目されていなかったのです。

私も宇宙人になりたい

 宇宙人お母さんとコミュニケーションを取るには、話が通じないこと以外の苦悩もあります。修学旅行でお土産を買ってきても、すぐに忘れられてしまい、「これは何?」と聞かれてしまう。一緒に出かけると、転ばせたり迷子にさせたりしないように気を遣うのに、「もう疲れたよー。帰りたいよー。」と言われてしまったり、後日出かけたことを忘れられてしまったりします。お母さんにお土産を買いたいとか、お母さんと出かけたいと思うのは私の勝手なエゴかもしれません。でも、今年で51歳のお母さんが、ずっと家に居るだけの生活であることを、どうしても良いとは思うことができないのです。他の同年代くらいの女性は活動的に生活しているし、私は世界中どこだって行こうと思えば行けて、いろいろな経験をすることができるのに、お母さんには狭い家の中の世界しか与えられていないのは悲しいことだと思ってしまうのです。もちろん、お母さんがそれでいいと思っているならそれでいいのですが、宇宙人語が話せない私にはお母さんがどんな風に思っているのか知る手段がありません。それに、例え宇宙人だとしてもお母さんがそこに居るのなら喜ばせたいとか、一緒に過ごしたいと思う娘の気持ちが芽生えてしまうのです。 

 うまく表現できないけれど、お母さんとは、一見、同じ場所にいて同じ景色を見ているようでも、気持ちを共有できていないような気がします。

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 大学二年生の時、私はオーストラリアに行きました。
異国の景色を見て一番最初に思い浮かんだのは母のことでした。
母はおそらくこの先一生、自分で異国の景色を見に行くことはないでしょう。だから私が感動したことを全て伝えたいけれど、集中力の無い母は最後まで私の話を聞き続けることができないと思います。
どれだけ嬉しいことがあっても、お母さんには分かってもらえない。
何を感じてもお母さんと共有することはできないのだろうなと思いました。 
 同じ景色を見て、「綺麗だね」と言えば母は「綺麗だね」と返してくれるとは思いますが、心の底から同じ気持ちにはなれず、お母さんの答えにどこか疑問を持ってしまう気がします。他人なので完全に同じ気持ちになることは不可能ですが、お母さんの気持ちと重なり合う部分が少ないような気がするのが寂しいです。

ねえ、お母さん。お母さんの住む星はどんな景色が広がっているの。
私もお母さんの住む星の景色が見てみたい。

そして、お母さんにも地球の景色を見てほしい。
私の見ている世界を見てほしい。

同じ場所に立って、同じ景色を見て、同じ気持ちになってみたい。

どうしたらお母さんの星に行けますか。
どうしたらお母さんの星のことがわかるんだろう。
お母さんはどうしたら地球に住めますか。
どうしたら地球のできごとをわかってもらえますか。

どうしたら私たちは一緒の星に住めますか。

 私は高次脳機能障害になる前のお母さんを知りません。元々はどんな性格の人で、何が好きだったのか。私が学校であったことを話したら、どんな風に聞いて、どんなことを言ってくれたのか。
 障害は個性、という意見もあるし、そう思う部分もあるけれど、私にとって母の高次脳機能障害は、私と母の間にある一枚のフィルターのようなものです。フィルター越しに見る母は、はっきりとは見えず、そこに居るのはわかるけれどぼんやりしています。 

フィルター越しのお母さん

 でも、ごくたまに、フィルターの小さな隙間から、向こう側にいるお母さんの姿がちらりと覗くことがあります。
 ビビビビビビビ・・・・!それはまさに宇宙人との交信です。
例えば、最近、大根おろしを作っていたときに自分の手まですりおろしそうになったので思わず「痛い!」と声を上げたら、その様子を見ていたお母さんが、「大丈夫?絆創膏いる?」と言ってくれました。そこまで大きな怪我をしたわけではありませんでしたが、「痛い」という言葉を聞いて心配してくれたのは、きっと本当の"お母さん"としての気持ちだったと思うので、とても嬉しかったです。
 同じように、「今日は寒いね」などと私が言うと、お母さんはすぐにストーブをつけてくれます(本当は私はガス代を気にしてるから我慢しようと思っている)。お母さんは、娘に痛い思いや寒い思いをさせないようにしようと思ってくれているようです。
 またある時、私がなんとなく「もっと綺麗な顔にならないかなぁ」と言ったところ、お母さんは「顔は変わるんだよ!」と言いました。どういうことなのか詳しく聞いてみると、「いろんなことを一生懸命やってるうちに、顔つきが変わってくるんだよ。」とのことでした。私の思っていたこととは少し違いましたが、母がそんなことを言うと思っていなかったのでびっくりしました。でもきっと、お母さんとして子供に一生懸命に頑張ってほしいという思いがあったのだと思います。
 それから今でも覚えているのが中学三年生の一学期の終業式の日のことです。私が親に見せようとテーブルに置いた通知表や部活の賞状に、お母さんがコーヒーをこぼしてしまいました。全部私が頑張ったものなのに、とか、休み明けに提出しなければならない物もあるのに汚れていたらみっともない、などと思うとふつふつと怒りがこみ上げましたが、宇宙人相手に言っても仕方が無いと思い、黙ってコーヒーを拭きました。するとその晩、私の机の上に一枚の小さな紙を見つけました。
「ごめんなさい」
それはお母さんからの手紙でした。普段は自分がやることは間違っていない!と頑固なお母さんですが、このときは悪いことをしたから謝ろうと思ってくれたようです。私も、今度からは母の手の届くところに自分の大事なものを置かないようにしようと気をつけることができるようになりました。
 

こんな風に、時々ではありますが、宇宙人との交信、お母さんとの母娘の会話が成功することがあるのです。 


 お母さんは宇宙人ですが、私のお母さんです。


 自分の年齢は答えられなくても、娘の年齢は間違えません。


 今日の日付がわからないことはあるけれど、7月18日が娘の誕生日であることは覚えています。


 毎朝、でかけるときには必ず「そんなに大声でなくても聞こえるよ…」と思うほどの声量で「いってらっしゃーーーい!!!」と送り出してくれます。

  お母さんが宇宙人である以上、これ以上精度の高い交信は不可能なのかもしれませんが、これからも私はアンテナを立てて、少しでもお母さんと交信できる可能性を探っていきます。

宇宙人との共存

  ピポピポピポ…こちら地球。今日も我が家の宇宙人は朝食の準備をしています。ココアはちょこっとの粉にたっぷりのお湯で。コーヒーはたっぷりの粉にちょこっとのお湯で。

 私は地球人。宇宙人にはなれない。お母さんは宇宙人。地球人にはなれない。でも私たちは同じ屋根の下今日も一緒に暮らしている。

宇宙人。本当にいたら、地球人と仲良くなれるといいな。
きっと共存していけるはず。私とお母さんのように。

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