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「THE・新聞配達員」第3話

今日も朝刊の配達が終わった。
朝の6時。

優子さんが作ってくれたご飯を
みんな食べている。

ご飯は配達がある時にしかない。
朝刊を配れば朝食があり、
夕刊を配れば夕食がある。

昼ご飯はもちろん無く、
月に一回の朝刊の休刊日にも
ご飯は無い。

優子さんが唯一休める時間だ。

本当にありがたい。
自分の母親に食事の文句を
言っていたのがバカみたいだ。

自分の食べるご飯を自分以外の人が
準備してくれる。

それが奇跡だと気付いた。

毎日の奇跡。
一日二回の奇跡。
月に一回だけ休む奇跡。

そんな奇跡を噛み締めて
飲み込んでいた。

今朝は雨だったので
みんな遅く、
食堂は少し混んでいた。

みんな黙ってご飯を
噛み締めている。

「ただいま」
「おかえりー!」
「なんだ、いっぱいか。チッ」

目つきの悪い攻撃的な先輩が
食堂を覗いて「チッ」っと言って
すぐ2階の階段を上がっていった足音が
聞こえた。

わざわざ見たのではない。
音が大きいから聞こえてくるのである。

どうやら食堂の真上が部屋らしく
なんか頭上がドタドタと言っている。

そしていきなり始まった。

物凄い重低音。
多分音量を最大か80%くらいまで上げて
ベースを弾き始めたようだ。

消防車のホースから
勢いよく出る水くらいの勢いで
アンプから重低音が鳴り響く。

私の正面に座って
ご飯を食べていた女の子達が
嫌な顔をした。

私も奇跡を忘れた。

でも私は何とも嫌な感じはしなかった。
むしろ喜んだ。

このお店にいる全員、
音楽系志望なのかな?

この爆裂な重低音のベースギターに
合わせて誰かドラムでも叩き始めるのかな?

結構腕がいい。
チョッパーとか言う技を使って
弦を思い切り指で殴りつけている。
弦を切りたいんだな。

優子さんが珍しく小さい声で言った。
「寂しいやつ。人がいっぱいになったら
弾き始めるんだよね。」

そらそうだ、と私は思った。
ライブの客は多いほうがいい。

ただ彼は聞きたくない人達に向けて
弾いていた。

みんな迷惑そうだった。
そうか。
あの先輩は迷惑がられているのか。
あちら側に行かないように気を付けよう。
私にもその気(け)がある。
まだ女の子達に嫌われたくない。

女の子達が話すのが聞こえた。

「大野先輩だったっけ?怖いよね、あの人。」
「ほんと、ほんと。」

大野というらしい。
叩きつけている指が見てみたい。
指サックは外したのだろうか。

鳴り止まないベース音に
みんな食事のペースが早くなった。

早くこの場を去りたくなってきたのだ。
なるほど。
彼はライブがしたかったわけでは無く、
早くご飯を食べたくて
みんなを追っ払っていたのだ。

じゃあ音量は最大だろうな。

彼が有名になった時のインタビューの
光景が浮かんだ。

「大野さんはどこでその黄金のベース音が
出せるようになったんですか?」

「これはですね。猫が嫌がる音というのがありましてね。
その超音波的な周波数があるんですよ。それと同じように
人間にも食事が喉を通らなくなる超重低音の周波数があり、
それをヒントにして出来たのが、この【大野チョッパー】です。」

雨の日は【大野チョッパー】が聞けるかも。


一週間が過ぎた。
もう先輩は側にいない。
私はひとり立ちした。

坂井みたいに青白い顔になることもなく
両手で両膝を掴んで倒れないように
上半身を支えるようなポーズをすることも
しなくて済んだ。

ビールを飲む量が増えた。運動しているからだ。
絶好調である。

向いてるのかも知れない。
いや、向いている。
私は一人で暗い夜道を相手に仕事を
することに・・・向いている!

太陽よ、さようなら。
潮風が吹く青い海岸よ、永遠に。
海のような青々とした草原が波打つように爽やかな風の中、
白いワンピースを着た女の子と
シロツメグサの首飾りを作るなんてのは永遠の憧れに終わった。

私はモグラのように地下でなら
大きく息を吸い込める。
目に力が宿る。
一緒にこの暗い土の中を潜ってくれる
女の子を見つけなければならない。

昼間は単なる夜の準備時間へと変わった。
夜に備えて昼に寝る。
しまった。
私は学生だった。

学校で学ぶ音楽はクソだ。
ロックは学ぶものではない。
学びにツバを吐くのがロックだ。
ありとあらゆる既存の存在に
中指を立てるのがロックだ。

だから夜のロックの為のネタでも
仕入れに学校に行くとしよう。
反抗するべきものを
見に行こう。
それくらいでいい。

私は多分ビール臭い息を吐きながら
電車に乗って学校まで行った。

早稲田の駅から高田馬場で乗り換えて
野方という駅で降りた。
目の前に牛丼290円!とある。
食べた。

夜にひと仕事終えて
朝ご飯をたっぷりと食べて
部屋に帰ってビールまで飲んだのに
牛丼を食べちゃった。

眠気が襲ってくる。
学校でなら寝れるだろうか。

私は牛のような顔をして
学校の中に入った。

小さなテーブルと椅子が何個か置いてある
休憩室のような部屋があった。

ケースに入れたギターを壁に立て掛けて
なんやら話に夢中な奴らがいた。

近くの椅子に座り
コーヒーを飲みながら
聞き耳を立てた。

音の話でもなく
音楽家やアーティストの話でもなく
音楽業界についての話が聞こえてきた。

こうすればデビューできるかも知れない。
こうすれば売れるかも知れない。
こうすれば人気者になれるかも知れない。
誰々はこうやって売れた。

そんな話ばかり。

淀んだ空気を感じる。

よくよく考えたら
この学校には
先生も含めて誰も
音楽家として世界に名を馳せた者も
売れっ子になった者も一人もいない。

ほんの少しの基本を学んで
音楽の技術を学んで
行く末は音楽学校の先生だ。

音楽家を目指して音楽に反抗すると言う
なんとも矛盾なロック魂が発生した私。
アルコールが多いのか、それとも少ないのか
分からなかった。

雑居ビルのような作りのその学校に
良い予感は全くしなかった。

私は手ぶらだった。

ここが私の通う学校。
私が所属している学校。
私の席があり、
私は生徒として出入りを許されている。
でも、
居場所は無かった。

なんでこんなにも冷めているのか。
ワクワクもしない。

わたしはもう
家族のように温かい新聞店に所属している。

それだけで十分だった。

きっとそのうち
素晴らしい曲が仕上がるだろう。

夕刊が午後3時には来ている。
早くお店に帰ろう。

ドラマチックな配達の旅が
待っているに違いない。



ある夕刊の時に珍しく所長がお店にいた。
「今週の土曜日に新人のみんなに説明会を開くから
昼の13時にお店に来なさい。」と言う。

そしてその土曜日。

今年の新人7名が
昼下がりの電気の消えた薄暗いお店に集まった。
男子が4名。女子が3名。

所長が姿を現した。
ちゃんとしたシャツを来ている。

「みんな集まったか。では中に入って。
えーと、玄関から入ろうか。」

そう言うと、普段はお店の中から入るのに
その扉は閉めて、みんなで一旦自転車置き場から
お店の外に出て
タバコを売っている窓口の横の玄関から
もう一度お店に入った。
なんやら重々しい。

ぞろぞろと8人は一列に並んで歩いた。
お店から出て
お店に入った形になる。
私はいったい何をしているんだろうと思い
少し笑けた。

通りすがりの人がジロジロと見ていた。

初めて来た日に通された応接間に
みんなで入った。

立派な皮のソファーに座った。
全員座れた。
テーブルの上には人数分の缶コーヒーが置いてあった。

所長が言った。

「まずはビデオを見てもらいます。
新聞奨学生とは何なのかと言うビデオ。
新聞販売店での仕事について分かります。
それから
契約書を確認してもらいサインをしてもらいます。
集金という業務をするかしないかでお給料が変わってきますので
ビデオを見終わった後に決めてください。
では流します。」

この初日にやるべきだったオリエンテーションが
今始まった。

女の子たちは小声でおしゃべりしている。
集金をするかしないか相談しているのだ。

ようやく全貌が明らかになった。

新聞奨学生の仕組みと
このお店の仕組み。

私が払うべき学費はもうすでに
新聞店が1年分は払い済み。

それを労働で返していくわけだが、
返す以上にもらえる分がある。

毎月のお給料である。

つまり、
お給料から
学費
住居費
食費
光熱費
を引かれても
まだもらえる分があるという見方も出来る。

素晴らしい。
いくらだろう。
いつ、もらえるのだろう。
早く欲しい。先に欲しい。

しかし、
学校に行けて
住むところがあり、
ご飯も食べさせてもらえて
うんこも流せる上(光熱費の水道代の部分)に、
銭湯代や牛乳代やビール代や
本を買ったり楽器を買ったり
どこかに遊びに行ったりするお金まで
もらえるという事である。

最高だ。
まるで所長からお小遣いをもらえるような感覚。
私は親元から離れてまもない感覚で、そう思った。
雨の日も風の日も槍の日も新聞配達をすることを忘れて。

お給料という名のお小遣いの体系は2つ。
集金をしたら9万円のコースと
集金をしなかったら7万円のコース。
選べる2つのコース。

2万円の差がある。

新聞の配達業務は必須だが
新聞代の集金業務を
するかしないかは選べたのだ。

女の子たちは悩んでいた。
悩んでないのかもしれない。
おしゃべりをしたくて
悩んでいるかのようにしていたのかもしれない。
私は悩まなかった。

9万円に決まっている。
何に使おうか想いを巡らせた。

まずは部屋を充実させよう。
テーブルを買おう。
コタツがいい。
テレビとテレビ台も買おう。
本棚も。
先に絨毯を敷かなければ。
カーテンは緑色にしよう。

漫画を全巻揃えよう。
お茶が好きなので
お湯を沸かすポットと急須。
湯のみも買おう。
ギターも新しいのが買える。
冷蔵庫もいるかな。

9万円もあれば
1ヶ月で全部買えてしまうだろう。
ウハウハとはこの事だ。

さらに次の9万円の使い道も
考えておかなければならない。

貯めるという選択肢は思いつかなかった。

ビデオが流れ始めた。
新聞販売店とはなんぞやと言う
見本のような人たちがテレビに写っている。

みんなまだテーブルの上の缶コーヒーに
手を出していない。
出さないつもりか。
気になってしかたない。

所長もなかなか勧めてこない。

ここは私の出番だ。
留年した私は20歳。
みんなはまだ18歳。
ここは人生の先輩として
先陣を切ろう。

私はみんなが気付くように
ゆっくりと手を伸ばして
缶コーヒーを手に取った。
ブルー・マウンテンだ。

ちょうどビデオが静かになったタイミングで
部屋にパカーンという
プルタブを空ける音が響き渡る。

そして飲もうとした
その瞬間、
竹内が2番手を名乗り出た。
沈黙の名乗りを上げた。

私がまだ一口目のコーヒーを
喉に通しながら
竹内がブルマンを手に取っているのを
左目の視野の中に確認した。

他のみんなも続いた。

そうか。
みんな飲みたかったんだな。
誰も飲んでないから
飲まずにいたんだな。

私はこのメンバーの為に
切り込み隊長になる決心をした。

竹内は私のすぐ後ろをついてきた。

私が悩む事なく9万円のコースに丸をすると
彼もした。

坂井は悩みに悩んだ結果7万円のコースへ。

女の子たちも3人とも9万円のコースを選んでいた。
いつの時代も女性の方が強いのだ。

もう一人男が居る。
影が薄いのを通り越して
自分の気を完全に消している
全く心がここに無い男がいた。
彼は7万円のコース。
学業に専念したそうだった。

私は彼のことが全く気にならなかった。

他のメンバーには非常に興味がある。
もちろん女の子達にだけ。

ビデオが終わり
所長が電気を付けて
書類を回収した。

「お給料からちゃんと銭湯代と
交通費を取っておくんだよ。
全部使い切ったからって借りに来ちゃダメだからね。
あと、休日はウチは週2日あります。
休みが多いからといってお金を使いすぎないように。
お休みの日に関してはあなたたちの
代わりに配達してくれる先輩がいるから大丈夫。
安心して、ご飯だけ食べにおいで。
では夕刊までまだ時間があるけどこれで終わりです。」

オリエンテーションが終わり
応接間からお店の方へ移動した。

もうすぐ夕刊が来るので
このままお店で夕刊を待つことにした。

誰も自分の部屋には戻ろうとしない。
ちょうど新人全員が集まっている。
気になっていたことが聞けるチャンスだった。

私はみんなに向かって聞いた。
どこから来たのか。そして
どんな学校に通っているかを。

気を消せる男は大学生で北海道出身。
どこの大学かまでは聞かなかった。
隣人の坂井はヴィジュアル系のボーカル志望で
私とは別の音楽学校に通う青森出身。
竹内は建築士の学校に通う茨城出身。

長すぎた。
男どもに時間を割きすぎた。

さて次は女の子たちだ。
長くなりそうだ。

みんな新聞配達の準備をする作業台の上に
座っている。

女の子達3人は仲良く並んで座っていた。
男どもは自分の担当区域の場所にそれぞれ座っていた。
竹内だけ立っている。お似合いだ。

聞きづらいが
ここは先ほどのコーヒーの先駆者となった気持ちを
思い出して私は女の子3人に向かって聞いてみた。

「3人は、どこの出身なん?」

何の迷いもなく大阪弁で素の自分の言葉で話した。
なぜかもうすでに笑ってくれている。
いや笑われてしまっている。

3人の中で一番手前に居る一番私に近い場所に座っていた子が
応えた。

「えーと、真田くんだったよね。真田くんは大阪なん?」

おっ!と私は思った。
この子が関西なまりだったからだ。

「あらら?関西弁な感じが?」

「あっ、わたし?私は宮崎。」

「あー、九州の!なるほど・・・宮崎から来て・・
えーっと・・・ごめん、名前が・・・」

「あー、私は本城由紀。それから、この子が千尋ちゃんで
この子が麻里ちゃん。」

由紀ちゃんが代表して女の子全員の名前を
教えてくれた。

私はもっと質問した。
「千尋ちゃんと麻里ちゃんは出身はどこなん?」

「えーっと、・・・どこだったっけ?」

由紀ちゃんが代表して答えようとしてくれたけど
出身地までは忘れてしまったようだ。

「私は新潟。」
「私は福島。」

二人は恥ずかしそうにニコニコ照れ笑いしながら
二人でチラチラ目を合わせながら答えた。手短かに。

本当に二人は仲が良かった。姉妹のようだ。
また良い質問が出来たな。

私は聞いた。しつこいかもしれないと思いながら。
「二人は仲良いけど、元々友達なん?幼馴染とか?」

二人は声を出して笑いながら
「ちがうちがう」と言った。

「こっち来てからだよね。同じ日に来て寂しかったから
そのまま同じ部屋に二人で住んでるんだよね。凄いよね。」

由紀ちゃんが説明してくれた。

「え?!!
二人でひとつの部屋!狭くない?!」

うおっと!
当然、私の真後ろに居た竹内が大きな甲高い声で
言ったのでビックリしてしまった。

他の男どもの存在を忘れていた。

東日本が5名。
西日本が2名。

関西の血なのか。
大阪の私は宮崎の女の子の
ちょっとだけ関西寄りのイントネーションに
なじみを覚えて、その子とばかり会話をしてしまった。

向こうも話すのが好きそうだった。

他の先輩がお店に入って来た。
もう夕刊が来る時間だ。

(何だこいつら?急に仲良くなりやがって)
的な視線と空気を感じたので
会話が止まった。

間も無く夕刊が来た。
夕刊をトラックに取りに行きながら
私は誰に言うでもなく言った。
「早く配り終えて、ごはん食べよう。」

みんなうなずいていた。
そう感じた。

まだまだ寂しさが心の中に残っていた
新入りの私達。

でももっと楽しいことが起こるかも
しれない期待も持ち始めた。


仕事が終わり、
自分の部屋に戻った。

まだ何もない畳の四畳半の部屋。
来た時に持ってきたカバンとギターと
大阪から宅急便で送った布団が敷いてあるだけ。
壁にはお店からもらったレインコートを掛けてある。

テレビがない静寂は好きだが
何故か寂しさを感じてしまう。

その寂しさを紛らわせるために
読んでいた漫画はもう擦り切れてしまった。

たぶん
アパートの壁が薄すぎて隣のクソッタレ部屋から
テレビの音が聞こえてくるからかも知れない。

テレビの音だけではない。
ポテトチップスの袋を開ける音やら
ジュースの缶を開ける音まで聞こえてくる。
もちろん坂井の独り言も。

電話の音が鳴った!
テレビからか?リアルすぎる!
「あ、もしもし」
坂井の声でもしもしと聞こえてくる!
あいつ部屋に電話を引いたのか?
このボロアパートに電話を引けるのか?

部屋を見渡した。
あった。
壁の柱の所に電話の線を挿すところがある。

用意がいいな。坂井は。
きっと親がしてくれたのだろう。

「@$%&」
生粋の青森弁だ。
何を言っているのか、さっぱりわからない。

「@$%&青森@$%&東京@$%&」

固有名詞のところだけしか聞き取れない。
これは大変だろう。
今まで使っていた言葉と違う言葉を
話さなければならないだけで、ものすごくストレスのはずだ。
しかも仕事は新聞配達。
倒れても仕方ない。
しかし新聞配達の仕事は話す必要が全くなかった。

「うんうん。@$%&」

英語くらい何を言っているのかわからない日本語が
隣の部屋から薄い壁を突き抜けて聞こえてきた。

それを聞きながらビールを飲む私。
全然寂しくないではないか私?

しかし
音声しか聞こえてこないテレビが
余計に見たくなってしまう。

テレビを買おうか。
お給料で買うのももったいない気がする。
実家にあるからだ。
私専用のテレビデオが。

実家に連絡して私の部屋にあるテレビデオを
送ってきてもらうことにしよう。
送料だけで済むではないか。

テレビの台も。ついでにギターのアンプも。
ポットもコタツもカーテンも。
実家の私の部屋の物を丸ごと
送ってきてもらおう!

新しく買うより安く済むだろう。
よし、それでいこう。
早速、実家に電話だ。

こんな時のために
ずっと使わずに取っておいた
お土産にもらったテレホンカードが
2枚ある。

500円分が2枚。
何分話せるだろうか。

私は外に出て
公衆電話を探した。

結構歩いた。
銭湯まで歩いたけどなかったので
コンビニまで行こうとしたら
途中の道の角にあった電話ボックス。

中に入って緑色の電話機にカードを入れた。
50と表示された。
電話番号はまだ覚えていた。

掛かった。母の声だ。
「もしもし。」

「もしもし、あ、俺。あのさー。」

「おー、直樹か。元気なんか?
ご飯食べてるか?大丈夫か?」

「うん元気やで。
ご飯も新聞屋さんの人が作ってくれるから
腹いっぱいや。」

「そうか。良かった。
またお店になんか送らんとあかんな。
ハムでええかな?」

ガチャン・ガチャンと音を立てて
見る見るテレホンカードの残高が減っていく。

こんなに早く減っていくとは思わなかった。
用件を先に言わないとあっという間に
残高が0になってしまう。
もう45になっている。
あ、44。

「あのさー。俺の部屋の物で色々と
送ってきて欲しいものがあるねん。」

「あー。そのことやけどな。」

母の話が長くなりそうな出だし。

「あんたの部屋、今度、フミが使うから
ちょうど良かったわ。全部送ろうか?」

「いや、全部は厳しい。あのさ、
めっちゃ電話代が凄いから
今から言うのだけ送って欲しいねん。メモしてくれる?」

「お、わかったわかった!ちょっと待ってや!
紙とペン、紙とペン・・・」

とうとう実家の私の部屋は妹が使い
私はもうどこにも帰る場所がなくなるのだな。

それが自立というものか。

退路を絶てば成長するとかなんとか
聞いたことがある。
母がそこまでの計画で私の自立のために
退路を絶っているとは思えないが。

「ええよ。何から行こう?」

寿司屋の注文みたいだ。

「えーっと、テレビとテレビ台。コタツ。
ギターのアンプってわかるかな。スピーカーみたいなのがあるやろ?」

「なんや、デッカいのばっかりやな。送れるんかな?
まあええわ。なんとかする!それから?」

「いや、それくらいで。」

「いやいや、本とかCDとか雑誌とか
邪魔なもんがいっぱいあるねんけど、
捨ててええか?あかんのか?送ろうか?」

「いや、それはちょっとこっちも狭いから無理やわ。
押入れにでも入れといて。」

「あと、あれや!あんた、あの太鼓はどうすんの?
一回も叩いてるの聞いたことないけど・・・」

ミニドラムセットの事か。
安かったので勢いで買ってしまったが、
確かに一回も叩いていない。

「す、す、捨てといてー!
んじゃ、よろしく!!」

「わかった!風邪とか引かんように!気をつけーや!」

テレホンカードの残高が20を切ったところで
電話を切った。

残高が無くなっていくスピードに
会話のスピードも早くなり、
なんか盛り上がったような気分。
なぜか大きな声を出していたような気がする。
汗をかいてしまった。

一回の電話に300円か。高いな。
ビールのロング缶が飲めるな。

まあでも、ミニドラムセットを買わなければ
たらふく飲めたな。

テレホンカードを使い切ったら
手紙にしよう。



ある日の、それは突然だった。

間違えて母は私の下宿先の住所ではなく
お店の住所に大量の荷物を送ってきた!
ハムと共に!

しまった!
大迷惑だ!

ツギハギだらけのダンボールで
ガッチガチに梱包された
テレビやテレビ台やらが
お店に置かれている!

みんながジロジロとみている。
恥ずかしい。

「あー、いや、なんか母が間違えて
お店の方に送ってきたみたいで・・・」

部屋の住所を伝えなかった自分のせいだとは
言わなかった。

優子さんが言った。

「とにかく先に夕刊を配って来て!
帰って来てからみんなで運ぼう!」

「す、すんません!」

なんとも恥ずかしい限りだ。
みんなが私に届いた荷物を横目で眺めながら
出発していく。

女の子達がクスクスと笑っている。

コタツなんか最悪だ。
梱包の荷姿が、かっこ悪すぎる。

母は私の部屋にあった小さいコタツではなく
リビングにあった大きくて丸いほうのコタツを
送ってきていた。
丸くて大きな天板がニコニコと
こちらを見て笑っている。

こんな大きなチャブ台、部屋に入れたら
寝るところあるのか?

寝る度にチャブ台を壁に立て掛けている
自分の姿を思い浮かべた。

そんなこれからお世話になる荷物達が
スーパーでもらってきたであろう
ダンボールでガッチガチに包まれて
ガムテープでベッタベタに守られている。

そうか。
そうだよな。

簡単に「送ってきて」と頼んだけれど
母が自ら梱包して送ってきてくれたんだな。
重たくて大きくてさぞかし大変だったろうな。
すまん!
でも恥ずかしいぞ!

そして夕食後。
荷物を運ぶのを手伝ってくれる先輩三人が
荷物の前に集まってくれていた。

そこには
大人な細野先輩と篠原先輩は居なかった。

クールな細野先輩と
マッチョな篠ピー先輩は休みで居なかったのだ。

クール&マッチョの不在!

大丈夫なのか?
無事に終わるのか心配になった。
しかも優子さんも用事があるからと
早く帰ってしまった。

その代わりに
騒がしそうな先輩達が手伝ってくれることになった。
こちらがお騒がせした分がちゃんと返ってきている。

お三方の名前は
朝っぱらから爆音でベースを弾くチョッパー大野先輩(26)と
チリチリ・ロン毛の沢井先輩(24)と
サラサラ・ロン毛の松本先輩(19)だ。

学校を卒業しても
就職先が決まらずに
プロにもなりきれない先輩達は
ずっとこの居心地の良いお店に
居座っている。
最高齢が40歳のチラシを作っていた大西さん。

さて、沢井先輩は痩せ細っていて
その体は今にも折れそうだ。

この先輩はそういえば
食堂でご飯を食べているのを見たことがない。

話を聞くと
優子さんの美味しいご飯を食べない代わりに
その分の食費を給料に上乗せしてもらい
自炊という名のカップラーメンで節約して
浮いた分を貯金に回して
音楽の高額な機材を買うのに当てているそうだ。

メシより音楽。
音楽のPAエンジニアを目指していた。

松本先輩もロン毛だったが
サラサラのツヤツヤの髪だったので
後ろから見たら女の子と間違えそうだ。
彼はベーシストだ。
坂井と同じ音楽学校に通っている。

松本先輩はいちおう先輩だが
歳は19歳なので私より歳がひとつ下になる。
微妙な遠慮が間に挟まっているのを感じる。
後輩なのに年上というややこしい奴と
どう接すれば良いのかあぐねている感じだった。

突然、
何も気にせず我が道を行く
チョッパー大野が叫んだ。

「これアンプじゃん!
どこのアンプだ?結構デカイぞ。
ねえねえ、開けてもいい?」

「あ、はい。」

アンプの梱包だけ
背面の大きな空洞を塞いでいなかったので
アンプだと気づいたのだ。

開梱の手間が省けた。

ガサツに荒々しくダンボールを
引きちぎるチョッパー大野が
アンプに興奮していた。

私は、そのもらい物のアンプが
どこのメーカーかも分かっていなかった。
私は音楽に興味はあるが
音楽関係には興味が無かった。
メーカー名なんかはからっきし疎かった。

アンプにデカデカと
【 HIWATT 】というロゴが書いてある。

沢井先輩とチョッパー大野が
メカニックな会話をしている。
音質についてだろう。
専門用語すぎて分からない。
どんな音が出るのか気になるのだろう。

「ねえ、ちょっとギターあったよね。
弾いてみていい?」

「あ、はい。」

「シールド持ってる?」

「あります。」

好きにされるしかない私。

早速ギターをアンプに繋いだ先輩達。

キュイーンというハウリングする音で
みんなが「うわっ!」と言ったその瞬間、
チョッパー大野がギターを弾きだした。

空気が一瞬で変わった。

街の雑音や生活の音やら会話が
全て搔き消された。

上手かったのだ。

私は感動した。
口を開けたままにした。

私のもらい物のギターと
私のもらい物のアンプで
こんな音楽を奏でられるなんて。

持ち主として恥ずかしい気持ちもしたが、
練習していないのだから当然だ。

錆びたギターとアンプから
こんなCDから流れるような音が出るなんて。

ガサツで野蛮だと思っていた
チョッパー大野先輩を見る目が変わった。

楽しそうに弾いている。
左足をアンプの上に乗せて。

「スティーヴィー・レイ・ヴォーンか」
沢井先輩が言った。

「Mr.Big弾いてよ」
松本先輩が言った。

窓全開の四畳半の下宿部屋から
轟く新聞奨学生の魂。
その魂はまだ誰かの真似しかできずに
もがいている若者の、自分の未来の姿が見つからない
心の葛藤が指先からギターを通して鳴り響いていた。

これは「新聞奨学生ブルース」だ。

ギターを新聞に持ち替える時間まで
あと僅か。

神社の境内に響き渡るブリティッシュ・ロックは
しばらく続いた。

やはりカワズは飛び込んだ池の色に染まっていくのだな。

私はなんだかちょっと
ミュージシャンの仲間入りをした気がして
嬉しかった。


〜お元気ですか。〜

送ってきてくれた荷物のお陰様で
部屋に生活感が出てきました。
快適です。
しかも冷蔵庫を買ったんです。
四畳半の部屋のテレビの真横に置きました。
これでいつでもキンキンに冷えたビールが飲めるというものです。
テレビを置いて冷蔵庫を置いてギターを置いて
バカでっかいコタツを置いて座椅子に座っても
まだ布団を敷くスペースがあります。
押入れもあります。

そんな僕の冷蔵庫を見た隣の部屋と
その隣の部屋の二人の住人は、
早速僕の真似をして冷蔵庫を買っていました。
これが20歳と18歳の違いとでも言いましょうか。

部屋が充実してきたので
ゆっくりとギターが弾けます。
そのうち絵画でも描こうかと思います。
芸術家になる僕をお許し下さい。

それではお母様。
お体に気をつけて。
またCDデビューしたら連絡します。

直樹より


そんな妄想手紙を脳内でしたためていたら
隣人たちが部屋から出ていく音が聞こえてきた。

もうそんな時間か。
調子が出てきた所なのに。
さてと!
配達にでも行くか。

一日があっという間に過ぎていく。

その日の夕方、
食事を終えて明日の朝刊分のチラシを整えていたら
本城由紀が声をかけてきた。

「真田くんさ。この前すごい荷物届いてたよね。」

「あ、いや、お騒がせしまして。
実家から送ってもらったんですよねー。お恥ずかしい。」

「どんな感じになったの?部屋。」

「ん?えーと、充実して来たよ。快適・・かな。」

「ふーん。いいね。
ねえねえ、今度、真田くんの部屋、どんなだか見に行ってもいい?」

なんと大胆な!
女の子の方から部屋に来たいという申し入れだ。

「え、あ、いや、うん。いいけど。」

辛うじてなんとか受け入れられた。
いつもの照れからくる拒否をしてしまって
後で後悔するという事態は防げた。

生まれ故郷から遠く離れた場所だと
少し違う自分になれる。

「じゃあさ、日曜日だったらいい?夕刊も学校も無いし。」

「お、いいね。」

「じゃあ今度の日曜日、お昼頃かな。千尋ちゃんと麻里ちゃんと
3人で行くね。楽しみー!」

なんだ、3人で来るのか。

楽しみだと言ってくれたけど。
特に何か特別な物は置いてない。
もてなすことも出来ない。

UNOかトランプでも用意しておくか。
布団は押し入れに入れて
掃除機をかけて洗濯もしとかないと。
ゴミもビールの空き缶も捨てよう。

後はなんだろう?

お菓子とかジュースとかいるかな。
いやいや、
女の子が自分の部屋に遊びに来てくれて嬉しいという
心の奥の興奮が表に出てしまっている。

何か用意するのはやめよう。

ギターを弾いてくれと言われたら
どうしようか。
練習しとくか。

んー。
後は野となれ山となれだ。

そして日曜日の昼。

変な噂が立たぬように
隣人の二人には女の子たちが来ることは
言っておこう。

隣の部屋をノックした。

「うえーい。」
生ぬるい返事がしたのでドアを開けた。

テレビを見ている坂井。

「なんか本城たちが3人で俺の部屋見たいって言うから来るねんて。
もうすぐかな。」

「ふーん。」

全然興味がなさそうな坂井。

竹内にも言っておくか。

ドアをノックした。
返事が無い。
居ないようだ。

あいつは実家が茨城で近いから
しょっちゅう帰っている。

しばらくすると
窓の外から砂利を踏む足音が聞こえてきた。
笑い声も聞こえてきた。
自分の部屋に戻って窓から外を見た。
3人はお寺の境内を眺めている。

部屋の窓から声を掛けた。

「おーい。ここここ。
この下の階段から上に上がれるから。」

私の顔を見て3人は笑いながら階段を上がってきた。
私はドアを開けて上がってきた3人に言った。

「どうぞ、どうぞ。こちらです。」

「おじゃましまーす。
うわ、冷蔵庫がある!すごい。」

存在感のあるデカい冷蔵庫が急にウイーンと
音を立てて冷やしに掛かったようだ。

私はお茶を淹れた。
急須で玄米茶を用意した。
紙コップは用意しておいた。

「あ、ありがとう。」

3人は私の部屋のあちこちを隅から隅まで
見ながらコタツの周りに座りながら言った。

「なるほど。こうしたら部屋っぽいね。」
「やっぱテレビ要るよね。」
「冷蔵庫大きいね。」
「押入れが広くていいね。」

「え、この押入れが広い?」

「うん。私の部屋の押入れなんてこれの半分しかないよ。」

「へぇー。」

「絨毯って自分で敷いたの?」

「あー、うん。」

「なるほどね。」

感心してくれている。
本当に部屋を調査しに来た感じだ。

由紀ちゃんはずっと話をしてくれている。
千尋ちゃんはテレビを見たり下を向いたりお茶を飲んだり
キョロキョロしたりしている。
そしてなぜか、
麻里ちゃんが先程からじっとこちらを見ている。

その視線が気になる。
私の顔をじっと見ている。
何か付いてるのか。
知り合いに似てるのか。
それとも私の事を好きになってしまったのか。

そしてついに麻里ちゃんが言葉を発した。

「あのさ、真田くんの髪ってカツラ?」

どっかーん!!

みんな大爆笑。

そういえば、
私はこちらに来てから
一度も散髪をしていなかった。

もう髪の毛が倍ほどになっている。

すっかり忘れていた。
私の癖っ毛は伸びずに膨らんでいくのだ。
私は自分の頭を指差して言った。

「いや地毛なんですけど。でもよく言われる。早くヘルメット脱ぎやって。」

「ヘルメットかぶってるみたいだって!はっはっはっ!」

みんな笑ってくれた。

良かった。
楽しそうだ。

かろうじて持ち堪えた冷静さ。
自分を保っている私。

恥ずかしいような照れくさいような
なんとも言えない感じが全身を包んだけれど、
髪の毛を切った時の爽やかな自分自身を私は知っている。
それに2つも私は年上だ。
自分をネタにして笑ってもらう余裕が少しだけあった。

その後は学校のことや将来なりたい職業を
話した。

由紀ちゃんはフランスに行きたいそうだ。
小説家になる学校に行っている。

千尋ちゃんはジャーナリストになるべく
ジャーナリズムの学校へ。

麻里ちゃんは漫画家になるそうだ。
絶対なりそうだ。
似合っている。
天然な感じと奇抜なセリフが
全身から滲み出ていた。

私のギターとアンプを見て
どんな音楽が好きかを聞かれた。

誰も知らないような洋楽の外人の名前を答えた。
自分でも何を言っているのかわからない。

私は3人に好きな音楽は何かを聞き返した。

由紀ちゃんはJUDY AND MARY。
千尋ちゃんはミスチル。
麻里ちゃんは中島みゆき。

みんなそれぞれ自分の容姿や
雰囲気にあった音楽が好きなのだな。

私はこのまま、わけのわからないままに
歳を取るのだろうか。

みんなに合わせて
みんなの知っている音楽を答えるなんて
私には出来なかった。

そんなこんなで、
飲んでいるお茶も無くなりかけた頃。

何事にも素直で正直な天然の麻里ちゃんの首が
急にカクっとなったかと思ったら
半分寝掛けの顔になっている。

眠たそうだ。

なんども首をカクっとさせている。
そんな麻里ちゃんに気づいて
千尋ちゃんが言った。

「そろそろ帰ろうかな。なんか麻里ちゃん眠そうだし。」

(え、もう帰るの)という顔をしたのは
私ではなく由紀ちゃんだった。

今にも横に倒れそうな麻里ちゃんに
笑いながら「大丈夫〜?」と肩を叩いて言う千尋ちゃん。

「布団敷いてもらったら?」と由紀ちゃんが言った。

今すぐにでも布団で横になって眠ってしまいたい
麻里ちゃんが布団はどこかとキョロキョロした。

しかし突然「やっぱり帰ろう!」と
一気に立ち上がった麻里ちゃん。

不思議で面白い子だ。
漫画のキャラクターみたいな言動をする。
やっぱり漫画家になる人は漫画の中から
出てきたのだな。

3人は立ち上がった。

「ありがとう真田くん。また来るね。」

由紀ちゃんがそう私に言っている時には
もう麻里ちゃんは境内の砂利を踏みしめていた。

3人は帰った。

UNOもトランプもギターも
必要なかった。

ただ話をしただけで
楽しかった。

そんな素朴な関係が
新鮮で嬉しかった。

隣に坂井が居る事なんて
これっぽっちも忘れていた。



月の行事がお店に小さく貼ってある。
壁のホワイトボードの右端に。

専門用語すぎて何が書いてあるのか
文字は読めても内容がわからないものばかりだ。

・拡張デー
何が拡張されていくのだろうか。
・本社担当訪店
なんとなく誰か偉い人が来るのは分かる。

他にも書いてあるが
意味がさっぱり分からない。

・喰止め強化月間
・増刷あり
・縛りカード目標5枚

なんのこっちゃ。

おや?
第二日曜日に
新人歓迎会と書いてある!
そしてその次の日には
新聞休刊日と書いてある!

新人とは私のことだ。
これはすぐに分かった。

なるほど!
新聞配達が休みの前の日に
我々新人を歓迎する会が開かれるのだな。

素晴らしい!
楽しみだ!
みんな知ってるのかな?
誰もそんな話をしてないぞ。
私は忘れられてないだろうか心配になった。

しかし一体どんな会をするのだろう。
今更ながら自己紹介とかしないといけないのかな。

昼間にやるのかな。
まさか。
休みの前日にするくらいだから夜だろう。
夜遅くなるのだろう。

食べ物や飲み物が出るのか?
どこかに食べに行くのか?
お酒を飲むのか?
このお店でやるのか?

うおーっ!
詳細が知りたくてたまらない。

部屋に戻ってから坂井と竹内に聞いてみた。

「えっ、知らない。そんなのあんだ。」
坂井は一体何に興味があるんだろう。

「どっか行くんじゃない?俺行きたくないなー。
もう地元で飲み会に行きまくってるからさー。飽きちゃったよ。」
本当は行きたいと顔に書いてある竹内。

しかし二人とも何を言ってるんだろうか。
主役だぞ。
主役になれるのは最初で最後の一回だけじゃないか。
ピッカピカの一年生じゃないか。
歓迎されようじゃないか。

二人に聞いた私が悪かった。
よし。
次の日、朝ご飯を食べてる時に
優子さんに聞いてみた。

「優子さん。今月の予定の再来週の日曜日の所に
新人歓迎会と書いてあるけど、どこで何するのでしょう?」

「あー!新人歓迎会もうすぐだね!楽しみだね!
言ってなかったね。」

「どこか行くんすか?」

「行くよ!
いつもは焼肉屋さんだったけど、
今年は洒落たお店予約したよ。
食べ放題飲み放題だからね!
好きなだけ食べられるから!
いっつも少なくてごめんね。」

いや、十分すぎる量です私には。

私は両手を上げた。
「やっほーい!飲み会じゃないですか!
全員参加ですか?」

「もちろん。みんな来るよ!
所長は来ないけど。
私と優(すぐる)さんは行くよ。」

ほほう。
お店のメンバー全員で
食べ放題飲み放題か。
結構な大所帯だぞ。
めちゃくちゃになりそうな予感。

しかし楽しみだ。
しかもその次の日の朝の朝刊が無い。
飲みまくれるじゃないか!

いや待てよ。
全員来るということは
騒がしい先輩達にいじられる可能性がある。

あまりにも浮かれて楽しんでいたら
私に嫉妬する先輩が現れるかも知れない。

注意しよう。
大人しくしよう。
大人しく飲みまくろう。

それから毎日、
壁に貼ってある予定を眺めて過ごした。
何も変わらないのに。

そして待ちに待った朝刊休刊日の前日の日曜日。
朝の朝刊が爽やかに終わった。
今日は新人歓迎会の当日である!

この日のために
少しマシなシャツを洗って干しておいた。
散髪も完了している。

新人たちは夕方の5時にお店に集まった。
優子(ゆうこ)さんと優(すぐる)さんが
一緒に連れて行ってくれる。

他の先輩たちは、おのおので行くらしい。

バスに乗って新宿まで出るのか。
住んでるこの場所も新宿区だが
新宿の駅からは少し離れている。
新宿に住んでいるのに
新宿のことは何も知らない。

大阪でもそうだ。
生まれも育ちも大阪なのに
大阪のことなど何も知らなかった。

バスを降りた。
新宿の駅のお祭りのような人だかりに
非日常を感じながら
我々田舎者様ご一行は優さんと優子さんの後ろ1メートル
を保ちながら歩いていた。

「あ、ここだ!このビルの5階だって。綺麗じゃん。」

背の高い綺麗なビルの自動ドアが開いて
入っていく二人。

私と坂井は少し遅れて離れて歩いていたので
自動ドアは一度閉まった。

そのときである!

私の前を歩いていた
青森で一番の美男子は
あまりにも綺麗で透明すぎた
自動で開くガラスのドアに
顔から突っ込んだ。

ゴンっ!
「痛てぇ!」

しゃがみこむ坂井。

透明すぎてドアが見えなかったのである。

大丈夫。
この事件を見ていたのは私と
少し後ろを歩いていた竹内だけだ。

女の子たちはまだ、
だいぶ後ろの方を歩いている。
私たちが見えてはいるが、
坂井がまさか自動ドアが透明すぎて
顔から突っ込んだことには気付いていない。

今ならまだ誤魔化せる。
イメージがある。
坂井にはヴィジュアル系バンドのヴォーカルになるというイメージがある。
クールでかっこよくないといけないのだ。

新人歓迎会のネタにならぬように
黙っておこうとしたその時、
竹内が言った。

「坂井。お前の田舎ってさ、自動ドア無いの?」

「うん。無い。」

ダメだ!
面白い!

あまりにも素直すぎる二人の会話に
私は声を出して笑ってしまった。

そんなこんなをしてたら
女の子達の足が
私たちに追いついた。

前に進まない私達に本城由紀が笑顔で聞いてきた。

「ん?どうしたの?」

「いや、なんでもない。」と私は
笑いを噛み殺して言った。
竹内が私の顔を見て察してくれた。

「行こう。5階って優子さんが言ってたよ。」

エレベーターに乗って
5階に着くと優子さんが見えた。
お店の前で入らずに待ってくれていた。

「もうみんな来てるよ。はやく!」

「はい、すいません。
下で坂井の端正なヴィジュアル系の顔面が、、、」

「えっ?なに?」

「いえ、何でもないです。」

優子さんになら話してもいいかなと思ったけど
やめた。

中に入って奥に進んでいくと、
横一列に長いテーブルに
先輩たちが座っていた。

このテーブルだと
左端と人と右端の人が会話できる確率は
ほぼゼロで、
60年ぶりに見える彗星のごとく
まず出会うことはないだろう。

上座のど真ん中にさすがの優さんが
堂々の三席分をひとつのケツで
埋めるという着地をされていた。

一番右端に居たチョッパー大野が
勢いよく席から立ち上がると
新人の私たちにどの席に座るかを
言いに来た。

「優子さんは優のとなり。
男どもはあそこの席。
女子達はここ。」

しっかりと指をさして
席を教えてくれた。

左端に新人の男どもの席があり
右端に新人の女の子達の席があり
チョッパー大野と沢井先輩は
女の子達の正面を陣取っている。

他の大人な先輩たちは
センターの優さんと優子さんの向かいに座っていた。

これでもう
左端は存在しないものとなった。
無い物と化した。

北海道の大学生も来ていた。
一番左端の上座にポツンと座っていた。
そういえば彼も私達と同じ新人だ。

存在が無いもの同士だ。
せっかく彼に気がついた私は
どうやってここまで来たのか聞いてみた。

「・・ニキの・・じょが・・」

声が小さすぎて全然聞こえない!
細野先輩より小さい!

ふと細野先輩が気になったので探してみた。
篠ピー先輩となんやら会話しながら
水を飲んでいる。大人な雰囲気だ。
私はあそこに混じるべきだろう。

細野先輩は会社員の経験があるから
26歳。チョッパー大野と同い年だ。
その一つ下の篠ピー先輩。

その右横に座っていた
女子の先輩が二人居る。

二人とも20歳だと聞いた。
歳は私と同じだが、
ここでの経験年数は2年だから
2つ先輩になる。

そうだ。
存在のない男に質問していたのに聞いていなかった。
もう一度しっかりと聞こう。

聞こえなかったと伝えると、
もう一度話してくれた。

「兄貴と兄貴の彼女がここまで連れて来てくれたんだ。
兄貴がもともと、このお店の新聞奨学生で昨年までいたんだ。
それで付き合ってる彼女が志賀さんで・・」

「志賀さんって、確か、あそこに座ってる先輩?」

「うん、そうそう。兄貴も一緒に近くまで来たんだけど。」

「ほうほう。兄貴が近くに居るんやな?」

「うん。自分で部屋借りて近くに住んでる。」

「あ、そっち?
へぇ。かっこいいなぁ。お店に頼らんと自立したんやな。
ところで何やってる人?」

「パチンコ」

「パチンコ?」

「うん。パチンコが好きでパチンコ屋で働いてる。」

「なるほど。好きを仕事にしたんやな。
素晴らしいじゃありませんか。じゃあ学校もパチンコ関係の?」

「そんなの無いよ!真田くん!」

竹内が突っ込んでくれた。
聞いてたのだ。

存在の無い左端組も
なんとか素敵な時間を過ごすことができそうだ。

食べ物や飲み物がどしどしと運ばれて来た。

坂井は優子さんの隣の席で
ずっと黙って食べ始めている。
酒は飲んでいない。

優子さんは優さんの右隣だから
私たち左端組に近い位置に居る。

優さんが大きな声でみんなに言った。
「みんな、どんどん食べろよ!今日は飲んでもいいからな!」

こちら左端組にまで騒がしい先輩達の大きな声が聞こえて来る。
しかし右端を見る気には、なれなかった。
竹内はずっと右端を気にしている。

「おい!竹内!」
とうとうチョッパー大野が竹内を呼んだ。

もう酒が回ってきたのか。

竹内は無事、
右端組に移行した。
待ちに待った花形の右端組。
呼ばれた瞬間にはもう、私の隣から消えていた。

ネタに詰まった先輩達は
新しい話のネタが欲しかったのかも知れない。

ネタになった竹内。
星になった少年。

私は左端組で良かった。
何も考えずに、何も気にすることなく
飲んだり食べたり出来る。

しかしもうお腹いっぱいだ。
なのに、まだまだ料理は運ばれて来る。

しばらくすると
少し静かになっていることに気が付いた。
チョッパー大野がトイレに行っているからだと
わかった。

私は何も気にすることなく次のビールを頼もうと
店内を見渡した。
できるだけ可愛い女の店員さんに頼もうと
キョロキョロしていた。首が痛い。

その時ちょうど後ろに
トイレから戻ってきたチョッパー大野が
テーブルの隙間に入ってきて
空いていた今は亡き竹内の席に座った。

「ねえねえ、飲んでる?」

「はい。」

「空じゃん!頼みなよ!すいませーん!」

店員さんを呼ぶ手間を省かれてしまった。
店長みたいなオッサンが注文を取りに来た。

チョッパー先輩もこんな左端の存在の無い我々に
絡んでくるんだから、だいぶ飲んだのだろう。
トイレも長かった。
それにも関わらず話は上手かった。
飲み慣れてるようだ。

「ねえねえ、ここの女の子の中で好きな子とか居ないの?」

なんとも突然、私の心の部屋に土足で入ってきた。

「いや、まだ来たばかりだし、誰が誰とかよく分かんな・・」

「んじゃ、君は?誰が一番可愛いと思う?」

今度は坂井に聞いていた。

「いや、可愛い子は一人もいませんねー。」

さすが男前。

つまらなさそうな顔でもう一度私の方を見た
チョッパー大野がニヤリとして言った。

「じゃあさ、この中の誰かと付き合わないといけない
としたら誰にする?」

こいつ。
その答えを右端組に持ち帰って土産にして
何かする気だな?

よし。
一番無難で誰も傷つけない答えが出来た。

私は答えた。
「優子さんで。」

下品な質問に私は上品に答えることが出来た。

「いやいや、そうじゃなくて!
新人の女の子の三人の中で!」

「いやー、僕は優子さんがいいですねー。」

もう一度言ってしまった。

優子さんをチラリと見た。
どうやら聞こえてはいないようだ。

私は飲みが足りないようだ。
頭の中では三人とも付き合いたかったからだ。
一人になんて決められない。

元気で活発な由紀ちゃん。
大人しくておしとやかな千尋ちゃん。
何を考えているのか全く分からない不思議な麻里ちゃん。

見事に三人とも個性的だった。
誰かだけを知りたいというよりも
三人とも知りたかった。

そんな頭の中の答えを口から出せないなんて
まだまだ飲み足りなかったのだ。
もしくは年齢が足りなかった。

チョッパー大野は、つまらなさそうに
元の右端の席に戻って叫んだ。

「おい!竹内!もっと飲めよ!」

我ら左端組の領地からは
何も持ち帰ることが出来なかったようだ。

もうお腹いっぱいの私達に
優さんの大きな声が響いた。

「お前達、全然食べてないじゃないか!
もっと食べろよ!」

それはまるで、
一人で三席分座れるようになれよ!
と言っているようだ。

優さんは思い出したように言った。

「そうだ!二次会どこ行きたい?」

なんと?
二次会があるのか。

優さんが言ったのだから間違いない。

しかし、
どこに行きたいと聞いて来るということは
何も決まってないのだな。

右端組からチョッパー大野の声が聞こえて来る。
「ねえねえ、二次会どうする?カラオケ行く人!」

ありきたりで多分毎年恒例らしき、
そのやりとりを聞いて
私は左端組に居ることに感謝した。

優さんは
我々左端組を心配してか、
一番年上の私の方を見て聞いてきた。

「二次会どこか行きたい所あるか?」

私は何も考えずに
空っぽの頭でなぜか行きたい所を言った。

「ストリップ・・・
ストリップを見に行きたいです。」

口が勝手に喋っていた。
自分でも驚いた。

坂井と弟くんが
顔を上げてこちらを見てきた。
まばたきをせずにこちらを見ている。

その瞬間、優子さんが言った。

「あ、私も見てみたい!行こう!」


な、なんてことだ!



〜つづく〜


↓第4話


いただいたサポートで缶ビールを買って飲みます! そして! その缶ビールを飲んでいる私の写真をセルフで撮影し それを返礼品として贈呈致します。 先に言います!ありがとうございます! 美味しかったです!ゲップ!