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諸行無常なあなたもあたしも

去年の秋から大学で学んでいる。
アメリカのコミュニティカレッジで美術を専攻していたのに違う学部で編入を試みた結果、取得した単位数が卒業に必要な単位にカウントされないものもあり、思ったより卒業までに時間がかかりそうである。

それでも、年を取ってから学びなおすのは楽しい。
コロナ禍よりこっち、いろいろと息苦しい。
家に引きこもっているうちにどんどん技術は進歩し、あたしはいよいよひきこもる。
せっかく家にいるのだから、最近一般的になってきたリモート授業というやつで日本の学位を取ってやろうと思った。
そして日本語で学び、日本での知識を増やして、理論武装して、この息苦しさをなんとか言葉で言い表して心のコリを解きほぐしたいと思ったのだ。

学校を卒業し、社会に出て組織や個人、雇用されたりフリーランスだったりで働き、結婚して3人の子供を育て、親を送り期せずして相方も失ってまた一人になった。
この40年近くの間に本当にいろんな経験をした。
そうしてまた学生に戻る。
40年前は早く世の中に出て自分の力を試したくなって自ら学ぶことを辞めてしまった。
今は誰かに何かを教えてもらう、と言うよりは、ああ、あれはこういうことだったのか、これはああいうことだったのか、と、新しく得る知識一つ一つが腑に落ちる。
いい年をして学歴を得ても、今後世の中の役に立つとも思えないが、何の役にも立たないことを学びなおすことで今後老いていく自分の人生がより楽しいものになれば幸いである。

あともう一つ、これは意外な気づきだったのが、40年もブランクがあるとその後いろいろ研究が進んだり、新発見や新技術が出てきて、物事の解釈や表現も変わってきたということ。
若いころのあたしはある意味純粋で、歴史上の人物や先生や親、とにかく「大人」はみんな立派で正しく、教えられていることが真実でありあるべき姿なのだとある程度は信じていた。
ところがどうだ、鎌倉幕府の成立年は「いい国作ろう」ではなく、明治維新はテロリストによるクーデターという解釈もあり、あの頃レーガンが悪の帝国呼ばわりしたソビエト連邦は崩壊したけど一周回ってまた戦争している!
あの頃の日本のお父さんたちは家庭を顧みず24時間働いてこの国を目いっぱい豊かにしてからはじけさせて死んでいった。
男女均等雇用法一期生のあたしはパワハラもセクハラもうまく払いのけたりジョークに丸めて捨てるのが「いい女」だと思ってた。
でも、いまじゃそういうのが男女差別を助長するみたいに言われんのよね。
そうやって冗談で済ましてきたからダメなんじゃないか!?
ごめんね、あたしだって必死だったのよ。
まともに受け止めたらみじめじゃない、女だからって小ばかにされた自分がさ。
カッコよくすり抜けたかったのよ、若い女である自分、っていう時間を。
息子の世代の若いお父さんたちが気の毒でね。
今までの時代のすべての理不尽はお前ひとりのせいだ!って押し付けられてるみたいでね。
だったら、どうしたらよかったんだろう。

. . .あら、話がずれちゃった。
とにかく、世の中は変わっていくんだって実感してるんだけど、逆に変わるのが当たり前なんだからあんまり過去のいろいろにこだわることもないかなあって。
あたしね、比較的リアルな肖像画を描くのが好きで、10年かけてサッカー選手を自分のイメージ通りに描けるようになった!って思ったところで世の中がやたら「肖像権」だなんだってうるさくなってきたわけ。
最初はまじめに取材許可とったりしてたんだけど、一方でどんどんネットが普及してきて世の中には勝手に発表しちゃってる人が増えてきた。
なんか真面目にやってるのがばからしくなってね。
そのうち描くこと自体紙と鉛筆ではなくタブレットでCG技術を駆使して、ネットでガンガン発表する人が増えて、スピードで追いつけなくなってった。
(ああ、もう、自分は時代遅れだ。)
そんな風に思ってすっかり自信がなくなって、そこに老眼が追い打ちをかけてきて、最近はあまり描いていない。
でもね、AIがチャットで指示したらきれいなイラストを仕上げてくれるのが出てきたじゃない?
あれでね、もう、あきらめがついたっていうか、もう本当に時代が変わったんだって確信して、嫉妬心も焦燥感もなくなっちゃったんだ。

今ちょうど芸術の歴史を学んでいて、そりゃあどの地域でも、どんな分野でも、その時々の社会の動きや世の中の文化的流れと芸術ってのは切り離せなくて、流行りすたりもあれば解釈の違いもある。
その時は社会全体が盛り上がって、これこそが至高の芸術!ってなってたくさんの人たちが夢中になってもちょっとタイミングがずれれば評価は全然反対だったり。
だからね、あたしはもう他人の評価を気に病むような年齢でもないし、あたしはあたしが楽しいことをやったらいいんだ、って素直に思えたの。
昔はこうだった、ああだった、こうあるべきで、ああいうのが正しかったのだ、としがみつきたいのはわかるし、この高齢社会では一緒に懐かしんでくれるお仲間も結構な人数がいるでしょう。
でもそれを今を生きる若い人たちに押し付けてもしょうがない。それでは進歩がない。面白味もない。

自分を認めてもらいたいからと周りを変えようと思っても人は変わらない。
変えられるのは自分だけ。

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