クリスT

絵描きです。「そそる筋肉」を描くことが至上命題です。学生のころはダンサーを、今世紀に突…

クリスT

絵描きです。「そそる筋肉」を描くことが至上命題です。学生のころはダンサーを、今世紀に突入してからはアスリート、特にサッカー選手を描いています。そろそろ新しいモチーフを模索中。

マガジン

  • ジョカトーレをめぐる冒険

    ある下部カテゴリーのサッカー選手とサポーターの15年を描いたnoteを集めました。

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サークル・ゲーム

「試合に出なくても学べることはあるから. . .」 本当か?本当にそんなこと思っているのか? 「自分を無駄使いするの、もういいかげんに止めろよ。」 生業としてサッカーをしてきた一人のジョカトーレを15年見てきました。 最初の5シーズン位はいつもイライラしてましたね、あ、いや、彼じゃないですよ、あたしが。 (こんなところにいちゃダメだ。) 自分が愛してやまない下部カテを「こんなところ」呼ばわりしてしまうくらい、あの頃の17番の存在感は圧倒的だったので。 掃溜めに鶴、黒澤作品

    • You don't bring me flowers, anymore.

      朝からずっと寺尾の往年の動画や記事や裏話が山のようにSNSにアップされるのを見ている。 昨日の夜、錣山親方が亡くなった。 同い年。 寺尾が活躍していたころが一番大相撲をよく見ていた。 胸が痛い。 今日は相方の祥月命日。 十三回忌。 先月相方の実家に戻って法事をしたので今日は特別何もしない。 彼は両親よりも先に亡くなったので法事はいつも実家で執り行ってきた。 その義母も8年前、義父は4年前に亡くなり、その後コロナもあってお墓へ参るのも4年ぶりだった。 雨予報だったが当日は晴れ

      • 石と胃カメラとあたし

        2年ぶりの内視鏡検査。 検診なんだから、別にこれから手術とかじゃないんだから落ち着け、と何度自分に言い聞かせてもやっぱり緊張してしまう。 見るからに不安そうなあたしをリラックスさせようと採血したり血圧を測ったりしながら看護師さんが話しかけてくれる。 優しい ー 優しいんだが、話の内容が結構エキサイティングでますます興奮してしまって血圧が上がりまくってしまう。 薬剤を飲み込んだり、鼻から麻酔薬を流し込んだりしてからいよいよ診察台の上に横になる。 のどが渇く。薬剤の後味が苦い。

        • 今日はあたしのうれしい日

          ミッフィーちゃんでおなじみの「うさこちゃん」こと「ナインチェ・プラウス」のお誕生日。 32年前にあたしがお母さんになった日でもあるの。 最近こちらでも時々書くんだけど、誕生日って母親のものよね。 3人の子どもの生まれた瞬間はどれも思い出深いけど、第1子出産は一人の人間として、産む性である女として、やはり初めての衝撃的感動的経験だったし、「記念日」ということではこの日こそが「母になった日」だわね。 夏至生まれのおにいちゃん。 あの日も湿気の多い曇り空の日だったわ。 夜中に生ま

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        サークル・ゲーム

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        • ジョカトーレをめぐる冒険
          10本
          ¥500

        記事

          まだまだ、あまちゃんですが

          10年ぶりに朝ドラの「あまちゃん」の再放送をやってる。 10年前は一番しんどい年だった。 相方が亡くなって1年がたち、彼がいない生活というものに否が応でも慣れなければいけなかった。 あたしに父親の代わりはできなくても、可能な限りあたしが頑張るしかなかった。 アルバイトを掛け持ちし、時には1週間休みなしで、どこにも遊びに行かずに、とにかく働いた。 「無理しないでね。」とみんなが言ってくれた。 「人間無理しないといけないときがあるとしたら、あたしは今なんです。」と答えていた。 感

          まだまだ、あまちゃんですが

          諸行無常なあなたもあたしも

          去年の秋から大学で学んでいる。 アメリカのコミュニティカレッジで美術を専攻していたのに違う学部で編入を試みた結果、取得した単位数が卒業に必要な単位にカウントされないものもあり、思ったより卒業までに時間がかかりそうである。 それでも、年を取ってから学びなおすのは楽しい。 コロナ禍よりこっち、いろいろと息苦しい。 家に引きこもっているうちにどんどん技術は進歩し、あたしはいよいよひきこもる。 せっかく家にいるのだから、最近一般的になってきたリモート授業というやつで日本の学位を取っ

          諸行無常なあなたもあたしも

          少年を大人にするもの

          夜遅くにオシムさんが亡くなった速報を見た。 今思えばオシムさんが日本代表監督を辞めた後、もうあまり日本代表に興味がなくなったような気がする。 オシムさんと、南アフリカに行ってみたかった。 4月が忙しかったのは我が家に新しいメンバーが加わったからだ。 おにいちゃんが入籍した。 社会人になるとともに独立し、もう8年が過ぎたし、彼女とはもう2年以上一緒に暮らしていたし、式はまだ挙げていないので、こちらとしてはコロナ禍でもあり特別変わったことはないのだけれど. . .。 それでも両

          少年を大人にするもの

          あなたが会いに来るあたしになる

          今日朝ドラの最終回を見ていて思い出したことがある。 長い物語なのでものすごくざっくり1シーンをまとめると、現在英語のラジオ講座で教えている主人公が、英語を勉強したいと初めて思ったきっかけとなり、初恋の相手でもあり、英語が話せなくて悔しい思いをした相手と50年近くたって再会し、伝えられなかった言葉を英語で伝えるというものだ。 あたしは主人公と年が2つしか違わない。 15歳の時、父に連れられて渡米し、いきなり現地の公立高校に編入した。 当然英語は理解できず、毎日教室で誰とも話さ

          あなたが会いに来るあたしになる

          志願兵最後の夏

          Volunteerというのはアメリカでは「徴集兵」に対しての「志願兵」という意味があり、日常でも動詞として「志願する」と使われることも多い。 一方日本でボランティアというと福祉活動や人助けを率先して行う人、というイメージが強く、ことそれを募集するサイドからすると「喜んでただ働きする人たち」ととらえているのではないかと危ぶんでいる。 政治的なクレームや社会的な問題提起をするつもりはないが、東京五輪はとてもがっかりなものであった。 もちろんTVで中継されていれば視聴したし、好き

          志願兵最後の夏

          December

          サッカーを、日本で下部カテゴリーを応援していると12月というのはしんどいことが多かった。 過去形なのは最近は地域リーグチャンピオンリーグは11月中に終わるし、オリンピックやワールドカップやらの大人な事情でリーグ戦や天皇杯もさっさと終わってしまうからだ。 でも、何年か前までは「地決」の決勝ラウンドは12月第一週末の3日間で開催されていて、天皇杯も年明け元旦決勝戦に向けてまだ準決勝や準々決勝で下部カテゴリーのチームが勝ち残ってたりして、リーグ戦も最終節あたりが残っていながら早

          みんなのほんとうのさいわいをさがして

          「カムパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ。」 ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、その今までカムパネルラのすわっていた席に、もうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。          「銀河鉄道の夜」宮沢賢治 飼い犬が死んでしまった。18歳になるまで、あと2週間というある朝に、大親友に見守られて、虹の橋を渡った。 初めて飼った動物は猫だった。あたしは3歳くらいだったと思うのだが、夏のある夜、熱いので窓を開けるとそこからその黒い

          みんなのほんとうのさいわいをさがして

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          デッサン

          デッサン

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          梅雨のひとりごと

          梅雨の巣ごもりの暇つぶし、と描き始めた平成を振り返る思い出話も3週間でエンディングを迎えました。 こうしてみるといろいろあっても10年なんて1週間もあれば振り返れるってことかしらね。 昭和の25年間は独身時代、平成は家族を築く30年間と、あたしの人生はとても分かりやすく分割されております。 令和はどうなるのか、まあ、老境ということは確実なんだけどね。 実は胆石をやったときに膵臓の機能が傷んだみたいでね、令和元年に久しぶりに受けた健康診断で指摘され、以来運動と食事を指導される

          梅雨のひとりごと

          さよなら平成

          生き直そう、と思うまではこどもの誕生日を祝うくらいで、それ以外の記念日や年中行事などは3年間ほどはすべてスルーしてたの。 絵も全然描けなかったし描きたくなかった。 サッカーもしばらくは見に行かなかったわ。 でもね、たまたま平成24年の全社は東京が会場だったのよ。 いろんなチームの関係者が一堂に会して、応援仲間とも会えて、選手は大変だろうけど毎日サッカーが観れる、サッカー的にはある意味あり得ない大会が全社なの。 1回戦、兵庫のチームの試合を観に多摩会場まで行ってみたら勝っちゃっ

          さよなら平成

          母親としての人生

          平成25年の秋に実母が亡くなりました。 末っ子の入学祝に通学用の自転車を買ってくれたまではしっかりしていたと思うのですが、夏ごろから何度も同じ用件で電話をかけてきたりするようになりました。 関西に住む姉が何度も広島に通って介護認定を受け、訪問看護やヘルパーさんを手配してくれました。 あたしも何回か様子を見に行きましたが、あのきれい好きでおしゃれだった母がちらかった家の中でオムツ一丁で座り込んでいた時は胸が痛かったです。 あたしは施設に入れたほうが良いのじゃないかと姉に訴えまし

          母親としての人生

          木蓮の涙

          平成24年からの3年間は本当につらかったです。 もちろん、リストラに遭い、転職後間もなく病を得てしまって闘病することになった相方をそばで見ていた3年間もつらいものがありました。 でも、相方は生きていたので、あたしはひとりではありませんでした。 生きてさえいてくれれば、あたしはつらくてもがんばれました。 毎日毎日、朝目が覚めると(ああ、また、この1日を生きねばならない)と重い泥がまとわりついたような体をベッドから引きずり出していました。 相方が亡くなってから半年くらいはとても

          木蓮の涙