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みんなのほんとうのさいわいをさがして

「カムパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ。」

ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、その今までカムパネルラのすわっていた席に、もうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。          「銀河鉄道の夜」宮沢賢治

飼い犬が死んでしまった。18歳になるまで、あと2週間というある朝に、大親友に見守られて、虹の橋を渡った。

初めて飼った動物は猫だった。あたしは3歳くらいだったと思うのだが、夏のある夜、熱いので窓を開けるとそこからその黒い子猫は飛び出していって、二度と帰ってこなかった。

5歳くらいの時には白い雑種の犬を飼っていた。でもその子もいつの間にかいなくなっていた。大人になってから、母が捨ててきたと言っていた。

姉の二十歳の誕生日に父がショッピングモールでシーズーの子犬を衝動買いして帰ってきた。この男は自分で世話をしないのに動物を飼いたがるのだ。恐らく前述の動物たちも父が勝手に連れ帰ったものを結局世話をしなければならない、さして動物が好きでも得意でもない母が持て余したというのが事実なのだと思う。ところがこのシーズーはパピーの時期の1年余りは姉とあたしがめいっぱい世話をし、しつけも施したので、母もかわいがるようになった。ところがその後姉は就職、あたしは進学で家を出てしまい、その後10余年は母が一人でその犬の面倒を見ることになってしまった。

元々あまり動物が好きでもなかった母は可愛がりこそすれ、その後すっかりだらしない飼育をして、食べ物は人間の残飯、あまり健康診断も受けないという状態に陥ってしまった。12歳に亡くなった時、その犬は体重オーバーの上、ありとあらゆる生活習慣病を患っていた。

17年前に動物保護施設からメスの子犬を譲渡してもらった時、(この子は愛情と責任をもって最後まで健康に大事に飼うんだ。)と決心した。それまで途中で放り出してしまった子たちに対する償いの気持ちも込めて、この子には元気で長生きしてもらおうと思った。

18年近い一生の間に5回も引っ越させてしまった。転校を繰り返し、なかなか友達ができない我が家のこどもたちの素晴らしい仲間、仲良し、旅の同伴者となったその犬は、物静かで賢く、いつも優しい目で我々の話を聞いてくれていた。彼女の前半生はそんなふうにあわただしく流れていった。

後半生は一転した。あたしの相方が病死し、転勤生活は終わったが、彼女には「家族の傷ついた心を癒す」という役目が加わった。特にあたしにとってずっとそばに寄り添ってくれる彼女の存在はかけがえのないものであり、あの辛い日々を乗り越えられたのも彼女のおかげであり、決して子供の前では泣かなかったけれども彼女と二人だけの時にはいつもわんわん声を上げて泣いていた。

最後の転居先の近くには「名医」がいたのも幸運であった。それまで病気知らずだった彼女も、12‐3歳を過ぎるころにはあちこちに問題が起こり、病院通いが始まったので信頼できる主治医を得たことはとても心強いものであった。もともと股関節に障害があり、おなかもすぐに下す体質であったが、いたって健康であり、亡くなる直前まで自分の足で立って歩き、自分の口できちんと食べていた。

昨年末に親族に不幸があって3日ほど預けた後からどうも歩行が困難になってきた。ふらふらと懸命に歩いていると散歩中に「がんばってるね。」「これはずいぶんと高齢の犬だな。」などと道行く人に声をかけられるようになった。それまでは親ばかではあるかもしれないが本当に年齢を感じさせない愛らしさと毛並みをキープしていて、家族の中では「美魔女」と呼ばれていたのである。ところが犬はやはり歩行がおぼつかなくなると老けてしまうのか、とたんによぼよぼした感じにはなってきた。そうこうしているうちに新型コロナと猛暑がやってきて、ますます活動量が減り、8月の末には腎機能障害が出てきた。それからは3週間ほど一日おきに増血剤や点滴を投与することになり、医療費も半端ない額に跳ね上がっていった。足の障害もあって(そんなに長生きしないかもしれない)などと言われたのを真に受けて動物保険の類には入っていなかったし、そもそも彼女を飼い続けるために相方亡き後もあたしには少々高すぎる家賃を払ってでもいまの家に住み続けていたのである。でも、やるだけのことをやらないと絶対後悔する、なんとしてもこのピンチを乗り越えて誕生日をむかえるぞ!とばかりに定額貯金を解約した現金を握りしめてあたしは覚悟を決めていた。

でも彼女はあっさりと天国に行ってしまった。ある日、午前中はなんとか立って歩いていたのに、お昼寝から目覚めるとさっぱり自力では立てなくなっていた。そしてごはんも全然口にしなくなり、大好きな「〇―ル」すらちょっと舐める程度だった。その夜は一晩寝ないで付き添ったが、結局翌朝大好きな末っ子が起きてきて挨拶をするのを見届けると、静かに息を引き取ってしまった。

「自分が仕事でいないときには死なないでほしいな。」

ちょうど数日前に末っ子がポツリとつぶやいていたのを聞いていたのか。犬も18年も生きると日本語がわかるのか。彼女は大親友との約束を守って逝った。相方が亡くなって10年。この間、彼女はあたしが立ち直るのを支え、3人の子供の受験や就職を励まし、祖父母が旅立つのを見送り、相方が一番心配していた末っ子の就職というところまでをこの春見届け、相方のところへ旅立ったのだ。まったくもって見事ではないか。やはり彼女は特別な犬だったのだ。

この17年半の間、毎日朝夕、彼女と散歩してきた。雨の日も風の日も、彼女は散歩に行きたがった。相方が死んだ朝も、彼女と散歩した。どんなに辛くても、嬉しそうに歩いている彼女を見ると(ああ、散歩、楽しいな。)と思えた。彼女となら、ほんとうにどこまでも歩いて行ける気がした。

ありがとう、どんぐり。


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