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好きなもの 田中達也③

2004年に悲劇がおこる。 達也が足を骨折した。 骨折の瞬間の写真は、達也の足の向きは明らかにおかしく、 誰の目から見ても折れていた。 とんでもない大怪我だった。 その後、怪我から復帰し、活躍は続いた。 しかし、2012年、わたしの中の最大の悲劇が起きた。 浦和からの戦力外通告だ。 わたしはそれをネットニュースでみた。 仕事が始まった時間にyahooのトップページで天気予報や時事ネタを見ているときに、見出しが目に入った。 仕事中にもかかわらず、そのニュースのページを開き、

    • 好きなもの 田中達也②

      達也をきっかけに浦和レッズを応援し、Jリーグを見るようになった。 このことが私の人生を大きく変えた。 まず、埼玉まで1人で行けるようになった。 なんだそんなこと、と思われるかもしれないが、 町に電車の駅がない田舎育ち、中学生のときやっと電車に乗れるようになったが、乗り換えはできなかった。 そんな人間が埼玉まで夜行バスで東京に行き、あの関東の電車網の乗り換えをこなして1人で埼玉スタジアムまで行ったのだ。 自分の中では革命的だった。 1人で埼玉スタジアムで試合を生で観戦できたと

      • 好きなもの 田中達也①

        好きなもの サッカー、というか田中達也さん 「田中達也さん」なんていうのはよそ行きの呼び方だ。 普段は「達也」と呼んでいる。恐れ多くも今日は普段の呼び方をさせていただく。 達也の肩書はサッカー元日本代表。 帝京高校卒業後、浦和レッズに入団、アテネ五輪の代表、日本代表にも選ばれ、アルビレックス新潟で現役生活を終えた。 私は達也のおかげで人生が変わったといっても過言ではない。 達也との出会いは、高校2年生のとき。アテネ五輪が開催された年だ。 もともとサッカーは兄の影響で代表

        • 100円セールのお土産の行方

          高校時代、電車通学をしていた。学校から駅までは歩いて20分ほどかかる。1人で歩くには長い距離、でも友達と喋りながらには短い距離。 2年生の途中で部活を辞めて帰宅部になった私は、帰宅部仲間と一緒に放課後を過ごし、駅までの短い道のりを帰った。駅前にはミスドがあった。教室で喋り尽くしたはずが、歩いていると不思議と話題は湧き出てくる。そんなときには「100円セールしてるし、ミスド寄る?」が合言葉だ。当時、定期的に100円セールをしていたミスド、「せっかくセールをしているし家族へのお土

        好きなもの 田中達也③