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自分の在り方

2022年9月5日(月)

今朝の瞑想の中で、私の過去を思い返した。
あれは年長さん4歳の思い出。
私は保育園に通っていて、好き好き給食週間的な期間に私は当時人参が苦手で、シチューを残してしまったエピソード。

その日は私だけがそれを残し、給食が終わった後で、私だけが舞台でシチューとにらめっこ。
その後のチャイルドブックのポストカード入れを作るのを楽しみにして来た私にとって、このシチューを食べないからには、そこに辿り着けない!
意を決して、鼻を摘まみ食べ終えた私。その後、保母さんがやって来た時には、ちょっと自慢気だったのを記憶している。

でも保母さんの反応は想像をはるかに超えてきた。
何処に捨てたの!
えっ!食べました。
嘘を言っちゃいけない、何処に捨てたの!って
どういうこと???
私は、ちゃんと食べたのだ、鼻は摘まんだけれども。
でも信じてはもらえなかった。

保育園中のゴミ箱を手を引っ張られながら連れて行かれて、しまいにはトイレにも連れて行かれて、何処に捨てたのかと聞かれまくった。
保母さん専用のトイレまで、そこは行っちゃいけない場所だから行かないって思ったけど。

そして最終的に、嘘をつくこはいけませんってギロチンカッターの場所に連れて行かれて腕は引っ張られて、手がいいの?って。

手はやだ!手はやだ!
足がいいの?
足はやだ!足はやだ、

今度嘘ついたら~~~。ここはあまり記憶があいまいだ。

その後、教室に戻った私はポストカード入れを大人って大人ってっと、黒のマジックってぐるぐるに塗りつぶした。

家に帰って、母に、なぜにこのカード入れは黒く塗られているの?って聞かれたけど、このエピソードを母には言えなかった。

このことは、ずっとトラウマになっていた。
真実を言っても信じてもらえなかったこと。私のことは私にしか分からないって、心を閉ざしてしまったこと。大人を見る目が変わったこと。大人だからって出来た人ばかりいる訳ではないって子供心に思っていた。

人は年齢ではないし、基準なんてない。

私はこれからも私が心地よいと思う人とだけ深い交流をしたいし、楽しく人生を送りたいっていうか送るので、その為の環境だったり、人との付き合いってとっても大事だって思う。

今朝は、ここの掘り下げをしていた。
4歳の私の中に思っていた想い。
目の前の現象は私が創っている。
私は、子供らしい子供ではなかった。自分を腹黒いって思っていたし、世の中を斜めから見てるってずっと思っていた。
甘えることができなくって、甘え方も分からなかった。でも本当は誰かに甘えて生きたいって思っていて、ずっと悩んでいた私もいた。

今はそれが出来る人になれた(笑)
そんな自分が愛しく感じる。
子供の頃にできなかった。人に甘える。大人になった今、子供のように、地べたにはいつくばって、駄々をこねることは流石にね~出来ないけど(笑)

私なりに人に甘える、頼るを実践してもっともっと軽やかに楽しい人生を送ろうって今決めました(笑)

ここまで。
自分の思った思いのままに綴ってみて、アウトプットの大切だを感じつつ、過去の自分によく頑張って生きてたってギュッて抱きしめてあげたいって思いになりました。

人生色々、本当に色んな経験が今の自分を創っている。

私は今、自分にやられて嫌だったことは人には絶対にしないって思って生きている。そうじゃない人も出逢ったけど。それじゃ自分が可哀想だから。
自分を幸せにできるのも自分。自分のことをコントロールできるのは自分だけだから。
私は、いっぱいいっぱい苦労して来たから人の痛みも分かって今の有難さも分かって、ここが天国だって思えて、日本に居られることが夢みたいで。

これからも今ここを感じて楽しい毎日を自分で創っていく。


今日はこんな感じで締めましょう。
最期までお付き合いしてくださった方、どうもありがとうございます。
誰かの何かの気付きに何かのきっかけになれたら嬉しいです。

ではでは~~~まってね~~~バイバイキーーーン。

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