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好意の見返りが手に入らないと見切りをつけてしまう人々。

少し前に好きではない人から告白をされた。正直に言って、全然好みではなかったからお断りしたけど。その時は嬉しかったという気持ちよりも、申し訳ないなという罪悪感の気持ちの方が強かった。

けど、そんな告白をしてきた彼も数ヶ月後には新しい彼女を作っていて。それを知った自分がなぜだか傷つくように感じていた。好きではなかったはずだったけど、きっと「あの時の気持ちって、そんな程度に儚いものだったのか。」と感じてしまったからだろう。8月も終わり、9月に入って。彼は結局、自分の許容範囲内の相手だったのなら、誰でもよかったのだろうかというかという疑問を心に残していった。

誰とでも幸せになれる世の中であるけど。誰とでも幸せになれてしまえる世の中なんだと、ちょっぴり寂しさを覚えている。

そうやって、私には彼から告白された過去が出来てしまった。だからこそ私は、なんだか上手くいっていない今の自分が情けなく感じてくる。彼はスグに忘れてしまえて良かっただろうが。あいにく、忘れられてしまえるくらいの出会いをするくらいだったのなら、私は別に、彼とは出会わなければよかったとさえ思わされている。思い出も、何一つ残さないで、幸せを想像してしまえた瞬間さえも、人生の一部には不要だったのだから。

私は決して、高望みをしているわけではないだろうし。ただ素朴に好きな人と一緒にいたいだけだと思っていたけど。そんな純粋な気持ちを真面目に抱えていたとして、ほんの少しのすれ違いをしただけで、終わらせられてしまう恋愛というものもあるんだと。そもそも恋愛なんて、その時の気持ちの高まりや、偏りで。気持ちも無ければ、誰かに依存してしまおうと思える理由すらも無くなってしまうくらい脆いものなのだと思う。

彼は、気持ちを無くしてしまうことを選んだのだ。別にそれが間違ってはいない。でも、それはきっと自分の見返りがないと判断して切り捨てた事と同じように感じるのだ。「幸せにします」なんてセリフが蔓延っていても、どこかしら幸せにする理由の奥に、自分の欲が綺麗な言葉と混ざっているように見えてくる。認めたくない本音の汚さは、どうにも言葉へと出さないように。

着飾れば素敵な出会いに変えられるのだろうし。着飾れば汚い本音も綺麗に映えて置き換わるのだろう。本当は別に彼が、私のことを好きではなかったのかもしれない。

純粋に生きていたら、馬鹿を見てしまいそうな世の中だ。

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