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「絶対に、変わりたくなかった」私のお話

タイトルそのままに、自分の経験を少し書き残しておきます。


ここで言う私の「変わりたくない」とは、自分にとっての本当の「幸せ」を掴むために、今までの自分でいることを「やめる」か「やめないか」ということ。

「幸せ」になるために、私は「変わるの?」「変わらないの?」ということ。

以前、これらの記事でも少し触れてきたように、私は、「自分の人生をなんとかしたい」と思って今の師匠と感情の感じ切りに出会ってから、早くも6年ほどが経とうとしています。

その間の自分の心情を語るには、もはや記憶が曖昧な節もありますが、当時を振り返って最初に思い出せるのは、「お金さえ払えば、何とかして貰えるんでしょ?」という、相手への期待ばかりがとにかく大きかったということ。

そんな状態で、「答え(だけ)を貰おう」とするものですから、師匠の教えやアドバイスなんて、どれだけ私がお金と時間をかけたところで、ほぼ「入って来ることがありません」でした。(私自身、聞く気が無かった)

「それ、前にも説明した」と、何度も何度も師匠に同じことを言わせては、その度に私は「どういうことか分かりません」「出来ません」と、「感情に向き合ってみる」ことから、もうそれはありとあらゆる口実を使って、逃げ続けて来たのです。

理由はただひとつ、「怖くて」しょうがなかったからです。
自分の感情に向き合うことで「今まで知らなかった、見たくもなかった自分が出てくることに、これ以上耐えられない」と、思っていたから。
そして何より、そんな自分を知ってしまったら、「今までの自分で、いられなくなる」って、思っていたから…

だからこそ、「私って、人より劣ってる」と感じるような、自分にとって都合の悪い現実を見ようものなら、「いや、相手が悪い」と、現実を「ありのまま」受け取るのでは無く、自分にとって都合のいい解釈をし続けました。

常に、私に対する他人からのアドバイスを、「私ってダメなんだ」と勝手に否定的に受け取り、何より私が私にダメ出しすることで、その先にいるであろう、もっと最低最悪な自分を、自ら見なくて済むようにもしてました。

そして、途中幾度となく、考えました。

「何とか(嫌な自分から)逃げ切る方法はないか」
「もっと、楽に(自分のペースに合わせて)、出来ないものか」
「何とか痛い思いをせず(今の自分を失わずに)、幸せになれないものか…」

しかし残念ながら、そんな「簡単に出来る」方法なんて何処にも無く、むしろそれらを何年と繰り返すうちに、私の被害妄想はどんどん強化されていたようで、「こんなに苦しい思いをしてきた私は、誰よりも(感情に)向き合ってる」「出来てる」という間違った自己肯定感が頭角を表すようになり、そのことがより一層自分を苦しめることにも繋がっていたと思います。

しかし、そんな私の横暴ぶり、師匠の前では一切通用しません。
どれだけ私が、表向きは「変わりたい」積極さをアピールをしようとも、「本気でやる覚悟が無いなら、辞めた方がいい」と、何度も叩きのめされました。

その度に無性に腹が立った私は、内心深いところでは「ここで諦めたら、人生終わり」と思いつつも、どうにか師匠を自分のペースに巻き込みたくて、どうにか今までの自分を認めて貰いたくて、どうにかして師匠を負かしたくて、何度となく相手をコントロールしようもしてきました。(師匠には全て呆気なく、交わされましたが…)

何よりその、「覚悟を問われる」事が、今思うと一番キツかった。
なぜなら、それを決めるということは、すなわち、今までの慣れ親しんだ自分で生きることを、「やめます」と宣言するということだから。

そしてその、「決して幸せとは言いきれないけど、でも、最低ではない」今までの自分がなんとか持ち合わせてきた、私の場合は、めぼしい貯金も、両親という家族も、仕事も、更には、ギリギリ保ってきたであろうちっぽけなプライドさえも、全てを失うことになるかもしれないから……

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……書いているうちに少々力が入ってしまい、長くなりました故、続きは明日にします。


必要な方へ、届きますように―






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