「東京科学大学」の名に見る日本の科学研究は当面二流のままである理由

東京工業大学と東京医科歯科大学が合併する、という話が昨今の国立大学界隈ではホットトピックスです。どちらも、我が国を代表する大学の一つですから、「あのクラスの大学でも合併するのか(つまり、より小さな国立大学は・・・)」と取るか、「素晴らしい大学が出来る(大学の大規模化)」と取るかは、人によるんじゃないかとおもいます。

今回話題にするのは、こうした合併そのものの是非等ではなく、新大学の名称(仮)です。東京科学大学とする方針のようです。大学名に「東京」がつくのは地理的にいいとして(すずかけ台のことは忘れましょう)、問題は「科学」という点です。
何やらFラン大学臭がするとザワつかれているという報道もありますが、そこは大した問題ではありません。それに、それを言えば旧首都大学東京のほうがFラン大学臭がしませんかね・・・。

どうして科学大学なのか

そもそも、「科学大学」とした理由は次の通りのようです。

特に、新大学の目指す姿として、基本合意書には、「両大学の尖った研究をさらに推進」「部局等を超えて連携協働し『コンバージェンス・サイエンス』を展開」「総合知に基づき未来を切り拓く高度専門人材を輩出」「イノベーションを生み出す多様性、包摂性、公平性を持つ文化」を謳っています。これらのことを具現化するためには、伝統ある両大学の専門分野、自由な発想や対話から生み出される未知の領域はもとより人文科学・社会科学的視点をも含めた「科学」の発展こそが原動力となります。新大学がこれからの「科学」の発展を担い、社会と共に活力ある未来を切り拓いていくという、強い意志を名称に表現したいと考えました。

https://www.titech.ac.jp/news/2023/065718

いかにも国立大学の事務が作った感じのするフワフワ文章ですが

1)両大学の尖った研究の推進
2)「コンバージェンスサイエンス」を展開する(多重スケールで学際的という意味だそうです)
3)高度専門人材を輩出する
4)イノベーションを生み出す文化を作る

の4点が理由であることが解ります。
1)と2)は実質的には殆ど同じ意味ですし、3)と4)は1)と2)を受けた結果といえるでしょう。したがって、1)が主たる理由であると考えてよいのではないかとおもいます。

このうち、1)の「尖った研究」とは何を指しているのでしょうか。東京工業大学、東京医科歯科大学共に複数の学部があり、またそこには様々な専門をお持ちの方がおられますので、それらを一くくりにすることは適切ではありません。しかし、「尖った」というからにはやはり両大学の名前に象徴される「工学」と「歯学」を念頭に置いていると考えるのが自然であるかとおもいます。
実際、私は専門外ですから又聞きですが、工学と歯学はその領域が重なるところも多いらしく、両者の研究から刺激を受ける形で学生が育つメリットはそれなりにあるように思います。

科学≠工学≠歯学(医学?)

一方で、それらは「工学」「歯学」であり、「科学」とはその本性が異なるものであることには着目せざるを得ません。
「科学とは何か」というのは非常に難しい議論ですが、例えばイムレ・ラカトシュ(Imre Lakatos)という人は、大雑把にいうと「科学とは、みんながある程度重要だと思っている考え方を攻撃し論破しようとする人と、その考え方を防御し守ろうとする人が攻防を行った結果様々な知見が広がっていくもの」と規定しています。

これは、例えば20世紀までの間にニュートンの古典力学がいくつかの現象を説明できないじゃないか!と攻撃側が突きつけ、いやエーテルで説明できるんだ!と防御側がニュートンの古典物理学を守り、その繰り返しの結果特殊相対性理論が登場した・・・という具体例が想像しやすいのではないかと思います。

一方、少なくとも東京工業大学工学院の考える「工学」は次のように規定されます。

工学は、人類を幸せにするための枠組である「文明」に貢献する学問です。工学院は、機械系、システム制御系、電気電子系、情報通信系、経営工学系の5つの系と、その先の大学院課程からなり、人の生活が豊かで快適なものとなるための工学技術を学び、さらにそれらを進化させていく研究活動を体験します。

https://www.titech.ac.jp/about/organization/schools/organization02

また、上記ほど明瞭に断言されてはいませんが、東京医科歯科大学の考える歯学は次のようなものです。

https://www.dent.tmd.ac.jp/research.html

口は私たちが生命を維持するための外界との接点であり(中略)高齢化社会の到来とともに、口腔機能が低下することにより、心身機能の低下に拍車がかかることが問題となりつつあります。さらに、口腔がんなどの難病により奪われる尊い命の数は年々増えつつあり、生まれながらの頭蓋、顔、あごの形成異常とともに口腔関連の難病の解明は急務です。つまり、より健康に長生きするためには口腔環境を健康に保ち、口腔関連疾患の治療法を開発することが重要になります。

上記、東京医科歯科大学HPの「研究」より

どちらを読んでも、いわゆる応用・技術を強く志向していることは明らかです。そうすると、統合の目的にあった「3)高度専門人材を輩出する」も、そうした専門性を持った人材であると解釈するのが妥当でしょう。
直接的に応用を志向しない、いわゆる基礎工学・基礎歯学(という言い方をするのかは知りませんが)のようなものもあるのだとは思いますが、それらにしてもやがては「人の生活が豊かで快適」にしたり、「口腔環境を健康に保ち、口腔関連疾患の治療法を開発する」ためにあるのだ、ということになります。

見てわかる通り、「科学」と「工学」「歯学」は全く異なるものなのです。そのやり方の一部が類似していたり、影響を与えるのは確かでしょう。しかし、基本的には全く別の営みなのです。

最大限に譲歩して、「工学」「歯学」は科学の部分集合であると言ってもいいかもしれません。しかし、真部分集合(完全に包摂されているという意味)ではないのは、上記の引用からも明らかです。科学は「人の生活が豊かで快適になるようにする」ことを直接的に意図した営みではないからです。むしろ、その違いこそが「工学」「歯学」が学問領域である所以であり、存在意義なのではないでしょうか。
(蛇足ですが、それ故に科学の発展は原子爆弾の開発のような不幸な事態をも招き得るわけです。実際に、アインシュタインは戦後に科学という営みを反省していたとも言われます。)

科学技術という言葉の大罪

私は何も、「自然科学がエラくて工学のような応用学問は下劣である」というような、古典的な教養主義を述べようとしているのではありません。実際、私の家族は歯学の発展によって非常に救われたことがあります。
「工学」には工学の、「歯学」には歯学の、「科学」には科学の営みと本性がそれぞれあって、同一視はできないということを指摘したいだけです。
これらを同一視することで、例えば「(少なくとも当面の間)人の生活が豊かで快適になりそうにない」科学の営みを切り捨てるということに繋がりかねません。また、実際に「競争的資金」という名目で繋がっているからこそ我が国の論文数・研究数・それらの質は大きく下がっていっています。

http://k-hata.jp/wp-content/uploads/2019/11/48407aa665d25b144ee948db49878290.pdf

しかし、もしかすると世界的な傾向もそうなのかもしれませんが、特に我が国は役人から学生に至るまで、この点を大いに勘違いしていることが危惧されます。
この勘違いの原因の一端を担っているのが「科学技術」という言葉ではないでしょうか。これも「科学」と「技術」という本来異なる本性のものを区別していません。

例えば上記は現在の我が国の総理大臣である岸田文雄氏のHPですが(ちょっと古い記述ではあります)、「科学振興」「技術開発振興」などの言葉ではなく、「科学技術政策」という言葉を用いています。

上記科学技術振興機構のポータルサイトはもっと拙いことに、「科学技術の最新情報」サイトなのに、Science Portalという名前を付けています。ただしくはScience and Technology Portalとすべきですし、実際に科学技術振興機構の英訳は「Science and Technology Agency」となっています。

つまり、猫も杓子も「科学」に「技術」をはじめとする「工学」「歯学」などの異なる本性の単語をくっつけて同一視しているのです。このような慣行が、歴史的に「科学技術」という言葉から始まったかどうかは筆者は知りません。しかし、「科学技術」という言葉が2023年現在でもっとも広く悪影響を与えるといっても言い過ぎではないかとおもいます。

これが英語の場合は、「Science and Technology」のように、「and」がつくことで両者の違いを一応は残しています。したがって、本来「科学と技術」「科学・技術」「科学/技術」などの表記を使うべきなのです。
多くの日本人がこのような無遠慮な単語を使っているのは、科学に対する社会、政治、文科省をはじめとする官僚組織、そして何よりも嬉々として自分たちの学問のよさや特性をかなぐり捨てて科学という言葉にまとめようする浅はかな大学人の、科学に対する無理解が原因なのではないでしょうか。

私は工学・歯学ともに全く関係のない領域の研究者ですが、それぞれの研究領域に対しては今でも敬意を持っていますし、それらを我が国の先頭に立って先導してきた東京工業大学・東京医科歯科大学にも敬意を持っていました。しかし、実際にはこのような浅はかな大学であったことを自ら露呈しまう結果となり、大変失望しています。勿論、大学の命名については非常に難しい事情があるのも承知はしています。しかし、それを差し引いても、繰り返しになりますがあまりにも浅はかで無理解な名称です。

今からでも遅くありません、大学の名前をもう少しお考えになられてはいかがでしょうか。

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