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世界樹リプレイ日記Ⅱ(プロローグ)

(↓前回の話)


真冬の凍えるような日だった。
戌神ノ月二十七日。
鈍色の甲冑を身に纏う一人の兵士が山奥へ向かう街道を急ぎ馬を奔らせていた。
見上げれば、分厚い雲が空を覆い、辺りは薄暗くなり始めている。
これはじき吹雪くと兵士が覚悟したと同時に、鼻先に羽根のような白く冷たい雪が触れ、次第にちらちらと降り始めた。
山に近付くにつれ視界は白くなっていく。
昨夜も深々と降り積もったのだろうか、山々の木々は雪に覆われ枝葉は煉瓦のような白い塊を重たそうに支えている。
このような僻地においても人の往来は多少ながらあるようで、うっすらと雪化粧された山道には馬の足跡と馬車の轍が微かに残っていた。
しかしそれも今夜のうちには跡形もなく消えてしまうだろう。
雪の勢いはだんだんと強くなり、肌を刺すような冷たい風が吹き付けてくる。
馬が走れる程度の雪であるうちに急がなければ。
こんなところで立往生はごめんだと、兵士は手綱をぐっと引いて走る速度を上げた。

やがて兵士は、山の中腹あたりに位置する小さな村に到着した。
一面の雪景色の中、点々と灯った家の明かりが温かく、兵士はほっと息を吐いて束の間の安らぎを得た。
しかし、ゆっくりと身を休めている暇はない。
なんとか日が暮れるまでには辿り着けたものの、辺りは蒼みを帯びてすっかりと暗くなり、村人はみな各々の家に閉じこもっている。
用件は手短に済ませたい。
兵士は村の入口に一番近い家の戸を叩き、村長の居場所を尋ねた。
扉から出て来た少女は兵士の身格好に最初驚いたものの、ハイ・ラガード公国からの使者だと伝えると素直に答えた。
警戒心の薄さは村の平和をそのまま象徴しているのだろう。このような辺鄙な村では野盗の類も近寄らないに違いない。
兵士は礼を言い、懐から銅貨を取り出して少女に握らせると、足早に村長の家へと向かった。

家の中に通された兵士は挨拶もそこそこに、目の前にいる枯れ木の如き老耄に用向きを切り出した。

『祖国より布令を伝えに来た。村の中央に高札(こうさつ)を立てるが良いか』

村の長は、ごわごわと白く伸び切った口髭を撫でながら呻き声のような声を上げて頷いた。目の焦点は合わず、白く濁った瞳に力はない。おそらくは盲(めしい)だろう。しわがれた声も相まってどことなく無気力な印象を受ける。

念の為、この村に文字を読める者はいるのかと尋ねると、村の長は牛の唸り声のような声を上げて首を振った。

『…では、今から祖国からの布令を話す。後で村の皆にも伝えておくように』

兵士がそう言うと、村の長は再び呻くような声を上げて頷いた。
はたして話の内容をどこまで理解しているのか、していないのか。
兵士には判断しかねることではあったが、やるべきことはやるだけだ。
後のことは知ったことではなかった。

口頭にて布令を伝え終えた兵士は、村長の家を後にすると、村の中央へと向かった。
身の丈ほどの木杭を脇にはさみ、手には何枚かの薄い木の板と小ぶりな槌を抱えている。
文字を読める者がいないにも関わらず立札を立てることに何の意味があるのか。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも兵士は口に出さず淡々と作業を進めることにした。
それが祖国から己に課された任であるがゆえに。
此度のお触れは大陸全土に伝えるのが国の意志。
であれば、このような大陸の外れにある山奥の辺鄙な村も例外ではなかった。

カンカンと慣れた手付きで釘を打ち木の板を組んでいく。
幸運なことに、頭上から降る雪の勢いは少しだけ和らいでいた。
それでも、山の空気はますます凍てつき、吹き付ける風が鎧の隙間を縫って肌を貫き、先程まで村長の家で暖炉の火にあたっていた兵士から体温というものをみるみるうちに奪った。
手はかじかみ、指先の感覚が徐々になくなっていく。
懐から取り出した釘が手のひらからぽろりとこぼれ落ちて雪の中へ消えていった。
小さく舌打ちをして手探りで探そうとした時、落ちた釘を横からひょいと拾う者が現れた。

「こんばんは!」

見上げると、屈託のない笑みを浮かべる少女の姿があった。
それは、つい先刻、村の入口で村長の居場所を教えてくれた少女だった。

「お手伝いしますね!ここを押さえていればいいですか?」

少女はさっと釘を手渡すと返事を待たずしゃがみ込み、木の板に手を添え始めた。
兵士は数瞬の間呆けていたが、はっと我に返ると、助かるよと礼を言い、少女の手を借りることにした。
何をしているか尋ねもせずに手伝いをしようとするとは、今どき珍しいほどの人の良さだ。
先程は警戒心の薄い子だと思ったが単に親切心が強い子なのかもしれない。

「雪、また強くなってきましたね。今夜は村長さんの家に泊まるんですか?」

少女は手に込めた力をゆるめないまま、カンカンと釘を打つ兵士に尋ねた。
これが終われば帰る、と答えると少女は『えぇっ!?』と血相を変えて驚いた。

「そんな!駄目ですよ!もう日も暮れますし、雪の降る山道は危ないです!」

泊まるところがなければうちに泊まっていってください、と少女は言った。
彼女の言うことは至極もっともであるし非常に魅力的な提案だったが、兵士は断った。
このような山奥だ。
雪で道が埋もれれば下手をすると何日も村に閉じ込められてしまうかもしれない。
まだ馬が通れるうちに帰る必要があった。
少なくとも、麓にあった山小屋までは戻りたい。
それに、このような僻地に派遣される程度の士卒と言えどこの身は公国の兵士、過酷な行軍には慣れている。

自嘲めいた所感は伏せてその旨を伝えると、『そうですか…』と少女は残念がるように言った。
…もしかすると、村の外の話を聞いてみたいという気持ちもあったのかもしれない。
見るからにこじんまりとした農村だ、旅の者もそう訪れるような場所でもないだろうから。

組み上げた木の板を木杭に取り付けて即席の高札は完成した。
少女が木杭の下の部分を抱えるように支え、兵士が上の方から槌で強く叩き、雪ごと地面に埋め込んでいく。
元々はもっと適当なものにする筈だったが、少女に手伝ってもらったこともあり、なかなか立派な出来映えに仕上がった。
ありがとう、助かったよ、と兵士が礼を言うと、少女は『どういたしまして』と人懐っこい笑みを浮かべた。

「これで完成ですか?」

いや、あともう少しだ。
公国からのお触れを記さなければならないからね。

兵士がそう答えると『おふれ?』と少女は首をかしげた。苦笑して、国が皆に知ってほしいことだと伝えると『へ〜…』と感心するような声を上げた。

「そうだ!じゃあ、その間に温かいものをお持ちしますね!ちょっと待っててください!」

言うやいなや、さくさくと雪を踏みながら少女は自分の家へと向かって行った。
兵士が呼び止める間もない。
降りしきる雪の勢いはだんだんと強くなり、一寸先も見えなくなってきている。
もう家に帰りなさいと言いたいところではあったが、まずは己の成すべきことを優先させた。
腰に下げていた角燈《ランタン》に火を灯し、それを明かりにして懐から取り出した筆を滑らせる。
既に何十回何百回と書いてきた文言はもはや目隠しをしていても書けそうだった。
そして、兵士が命を受けた時の原文を一言一句違わず立札に記した頃、少女が椀を抱えながら戻ってきた。

「お待たせしました!うちの畑で採れたじゃがいものスープです!よかったら召し上がってください!」

少女から差し出された木椀を受け取る。
器から冷え切った指先にじんわりと熱が伝わり、食欲をそそる良い匂いが温かな白い湯気とともにふんわりと立ち込めてくる。
有り難い。
兵士は感謝の念を抱きながら椀を口に近付けた。
熱い液体が舌に触れ、喉を通る。
臓腑に染み入るようだった。
一口飲むごとに、寒空の下で芯から冷えた全身が、身体の中心から温まっていくようだった。
塩と胡椒で味を付けただけのシンプルなスープだったが、優しい味がした。
時折入っているじゃがいもがほくほくと柔らかく、空きっ腹だった兵士の胃袋をいたわるように満たした。

黙々と食べ進める兵士を見てニコニコと目を細めていた少女は、何かに気付いたかのように顔を上げた。

「あ、書き終わったんですね。おふれ」

ああ、と兵士が頷く。
とにかくもこれで自分の仕事は終わった。
内容については後から村長が話してくれる筈だ。
もしかしたらこの村の人達にとってはあまり関係ないことかもしれないが。
雪の中わざわざ手伝ってくれた少女には悪いが何の意味もないことだったな、と一抹の申し訳無さを感じ始めた、その時。

「…遥カ……北ノ地……興リシ…我ガ祖国…ハイ・ラガード公国……其ノ…太古ヨリ…大地ニ根差シ神木……即チ………世界樹…」

少女が高札を撫でながら言葉を紡ぐ。
兵士は驚きで目を見開いた。
村長の言によれば、この村に文字を読める者はいなかったはずだが。
そう伝えると、少女ははにかむように笑った。

「前は私も、全然読めなかったんですけど、最近、ちょっとだけ読めるようになったんです。ちょっとだけですけど」

だから間違ってたら言ってくださいね、と言いながら少女は続けた。

「…其ノ…大ナルハ……峰ノ如シ……全貌…未ダ…明ラカナラズ………軈テ…天空ノ城ニ……至レリト……伝ワル…」

少女はちらと兵士を見た。
兵士は頷いた。
細かな装飾表現を除けばおおむね合っている。
ちょっとしか読めないと言っていたが、かなり読めている方だ。
なにせ原文は、本当に人に伝える気はあるのかと言いたくなるほど堅苦しく難解な文章と複雑な表現で構成されているのだから。
これを書いた者は、格調高い文章は難しければ難しいほど良いとでも考えているに違いない。
兵士が首を縦に振るのを確認した少女ははしゃぐように続きを読み上げていく。

「…然レドモ……此度……大樹ノ洞ニテ……未知ナル遺跡……不知ナル生物……広大ナル迷宮ヲ………発見セリ………彼ノ伝説……天空ノ城……其ノ存在………示ス…証左……ナリト……確信ス…」

読み進めるごとに、少女の声が弾む。
瞳が輝きを増していく。

「…求ム……冒険者……其ノ魂……其ノ志………汝……伝説ヲ……望ムナラバ……之ニ挑ミ……之ニ至レ………公国ノ…"世界樹ノ迷宮"ニテ………!こ、これって…!」

もはや少女は立札に釘付けになっていた。
瞳は爛々と輝き、熱い吐息が雪よりも白く吐き出されていく。
凍てつくような夜、一面の銀世界の中、少女の周りだけが篝火のように揺らめいていた。
それはまさしく、冒険に焦がれ、求める、無垢で純粋な想いそのもののようだった。

少女と別れた兵士は、雪の降りしきる山道を、馬をゆっくりと歩かせながら下っていた。
腰に吊り下げた角燈《ランタン》の灯りが馬の歩みに合わせて上下に揺れる。
道はだいぶ雪に覆われていたが、頭上に広がる木々の枝葉が傘のように遮っているためか、なんとか馬も通れるぐらいの深さに留まっていた。
しかし、それもきっと今宵の夜までだろう。
明日の朝になれば人も通れなくなるほどの高さまで積み上がるに違いない。
そう予感するほど、雪の一粒一粒は大きく、重たかった。
あの村の人達も、これから数日か、あるいは冬を越すまで山を下るのは難しくなると思われた。
空気はますます冷え込み、息を吸うごとに肺が締め付けられるように収縮する。
しかし、懐中には、少女が去り際に分け与えてくれた温石(おんじゃく)を忍ばせてある。
少女が家の暖炉の中から持ってきてくれたそれは、確かな熱を持って今も尚兵士の身体に温もりを与え続けていた。

『くれぐれもお気をつけて。道が塞がったりしてたら、無理はしないで村に戻ってきてくださいね』

そう言って彼女は大きく手を振って兵士を見送った。
短い間だったが、ずいぶんと世話になった。
禄に話もしていない相手にどうしてここまでしてくれるのか。
気になった兵士は兵士という身分を忘れ、個人として少女に尋ねた。
尋ねられた少女はきょとんと不思議そうな顔をした。
これぐらいのことは当たり前とでも言うように。
いや、真実、心の底からそう思っているのだろう。
きっとそのように、この平和で穏やかな村で健やかに育ってきたのだ。
無粋なことを聞いたと己を恥じた兵士は、右耳に付けていた耳飾りを外すと、少女へと贈った。
飾り気の少ない彫金で、サイズも小さく、落ち着いた意匠ではあったが、金色を基調とした細工の中で砂粒ほどの翠玉《エメラルド》が上品な輝きを放っていた。
驚いた少女は、こんなもの受け取れませんと固辞したが、私からのほんの気持ちだ、要らなければ捨てて欲しいと伝えると、両手で大切なものを包み込むかのように受け取った。

彼女は、訪れるだろうか。
我が祖国、ハイ・ラガード公国に。
天空の城を追い求め、世界樹の迷宮へ。

至難の旅。絶えざる危険。生還の保証なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。

そのような過酷な冒険へ、身を投じるだろうか。

白い息を吐く。
公国の兵士としては、来ることを願うべきなのだ。
その為のお触れだ、その為の布令だ。
それでも、片耳だけ耳飾りを付けた兵士には、どうしてもそうは思えなかった。

これまで何人もの冒険者を募った。
多くの街や村に赴き、冒険者を集めた。
しかし、どれほど多くの者が集まろうと、迷宮を踏破し伝説を解明する者は現れなかった。

それはつまり、不可能ということなのだ。

そして、人の身で至る事が出来ないならば、仮に至ったとして、行き着くところは地獄に決まっている。
ならば、そう思いながらも人を送り込み続けている己はさながら死神か。

首を振る。
これ以上は思うだけで不敬に値する。
この身は公国に捧げた命。
与えられた命令に従い、尽くすのみ。

ただ一つだけ。

あの村で出逢った少女が、我が祖国の領土に足を踏み入れませんようにと、強く祈った。

少なくとも、あの親切で心優しい少女が、その尊い命を無為に散らし、樹海の中で冷たい肉塊になる必要などありはしないのだから。

―――それでも、もし。
彼女が世界樹の迷宮に挑むのならば。
沸き立つ好奇心を抑えられないと言うのならば。
奇跡でもいい。
彼女が、彼女を守る盾と巡り合うことを願わずにはいられなかった。

頭上を仰ぐ。
花びらのような雪が深々と降り続けている。

空は分厚い雲に覆われ、願いをかけるべき星々の姿は無かった。




→(世界樹リプレイ日記Ⅱ(ギルド設立)に続く)


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