教育の場の多様性の捉え方を考えなおす。

担当している子のお母さんが
最近通い始めた
オルタナティブスクールが
テレビで紹介されていたのでと言って
テレビ画面を動画に撮って
送ってくださいました。

自然の中でヤギを追いかけたり
絵を描いたり。
好きなことをして過ごしている。

学校ではできなかった友だちとの繋がりが
そこではできていて
楽しそうでした。

なぜ学校ではうまくいかなくて
そのスクールでは楽しく過ごせるのかというと

好きなことができるということ。
これをもう少し掘り下げていえば
それぞれの好きなこと
多様性を尊重してもらえる場所だから
だと思いました。

学校は決まった時間割とカリキュラムがあって
それに沿わないと尊重はしてもらえない。
国語の時間にお絵描きはダメだし
図工の時間に計算でもダメ。
休み時間は短く自由が少ない。

それらをうまく乗りこなす人は評価されるが
そうでないと評価されない。

あまりに長い間それが当たり前だったので
それに沿って生きることが正解で
そうじゃないと不正解というのが
暗黙のものになってしまっていて。
先生も友だちも
誰もが口にしなくとも
その評価基準そのものが
誰かを排除するのだと思います。

特別に支援が必要な人ですというとか。
つっぱりとかになっちゃうとか。

みんな違ってみんないいという
金子さんの詞は
三年生の光村に出てきてましたが。。


学校で多様性教育に
取り組んだこともありました。
道徳が教科化される前の話です。
教科化後はそういったことさえも
できなくなりました。

だけど
断片的に価値を教えて込もうとしても
根本的なものを変えないといけないのだと
今は思っています。

その子のお母さんが

 いろんな学び方を
 選択できるといいなと思います。

と言われていました。

本当にそうだと思います。

そのために
今日も
明日も
少しずつ少しずつ
かけらを集めていこうと思います。

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