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150年間変わらないシステム

昨年度、苫野一得先生の講演会を聞いた時に私がメモしたものが出てきた。

公的な研修会で苫野先生のお話が聞けるなんてびっくり。

教育長の仕業らしく、教育委員会も捨てたもんじゃないなと初めて思った。


メモは以下のようなことが書いていた。


◆公教育=150年間変わらないシステム。
上質で均質な兵士、労働者を作る。
→→落ちこぼれ、いじめ、空気を読み合う人間関係。

◆学びの構造転換
自分たちの学校は自分たちで作る意識が大切。

学びの「個別化「協同か」の融合。
小学生は、一斉の宿題と学力の相関関係はゼロ。個別化されたものは効果あり。

学びのプロジェクト化。探求すること。
相互誘発、失敗。
子ども自身がコントローラーを持つこと。

『信頼して、任せて、待って、支える』教育の基本。

ルールは自由を保障する。
「人に危害を加えるな」これだけ。


本当にその通りだと思った。

著者もいくつか読んだことがあるけども共感するものばかり。

教育長も本を読んだらしい。

そして、学校の先生たちに聞いてほしいと思ったのだろうな。

教育を変えていきたいと思っていたのかもしれない。


変えたいと思う人はたくさんいると思う。

だけど、150年変わらなかったものを変えていくのはとても簡単ではない。

教育は結局。

人がするもので。

人ってものは変わる時にエネルギーが必要だから。

恒常性が働く。


先生はとても忙しい。

勤務時間の適正化という動きがあって
上からは定時退勤日を守るように言われるけれども。

休憩時間も
ゆっくりトイレにいく暇もなく
子どものトラブル対応に追われる。

給食の時間は、できるだけ早く口の中にかきこんで
まる付けに時間を割く。

空き時間には、不登校の対応や
他のクラスのフォローに入る。

放課後には長い会議。
保護者からよろしくない連絡が入ることがあったりしたら
気分は一気に奈落の底
なんてことも。

次の日の学習準備は?
一人一人のことを考える時間は?


これは、持ち帰るしかありません。

帰ったら、母なのに。

残された時間は。

睡眠時間や余暇の時間から削り取るしかないです。


しんどいことばかりじゃないのも事実です。

でも、余計なことをするエネルギーがある先生は少数だなと思います。


それでも全国には素敵な先生方がいることも間違いない。

学校教育という型を維持しつつも

子どもたちに最高の教育を提供しようと

日々邁進しておられる先生方は素晴らしいのです。



エンドユーザーが子どもであること。

これもまた

大切。




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