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"普通"って言葉に、正確な定義はありません。
"幸せ"の定義も、人それぞれ違っているものだと思います。

誰かが決めた"普通"、誰かが決めた"幸せ"に踊らされて必要以上に下を向いて生きている人もいるのかもしれません。

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27年生きてきて、誰かが決めた"普通"や"幸せ"が必ずしも自分に当てはまるわけではないと感じています。

確かに、僕よりも幸せそうに生きている人はたくさんいて、実際幸せに生きているのだと思います。
家族からたくさんの愛を受けていたり、「最高の家族」だと胸を張っていたり、
友達がたくさんいたり、彼氏彼女がいたり。

幸せに生きられている人はそのまま幸せに生きてください。

その姿を見て、僕も劣等感を抱くときがたまにあります。
ですが、僕は僕はある程度幸せを感じられています。

無い物ねだりをするのではなく、
「自分はいつどんな時に幸せを感じるのか?」と考えることで自分なりに納得できる解が見えてくるのです。

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誰かにとっての普通は僕にとって普通じゃないかもしれないし、
僕にとっての普通は誰かにとって普通じゃないかもしれない。

だから、普通かどうか、幸せかどうかなんて、
自分で決めればいいのです。

自分が幸せだと思えば、それが幸せなのです。

いくら他人が羨ましくても、自分の幸せは誰にも奪われません。

そう、他人がどうとか関係ない。

全ては自分次第

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いつも甘えた家庭に包まれ
友達が100人いて
恋人が何十人いたって
満足できない人もいて
自らある種の地獄へと向かって行く
でも僕は違う
家庭に憧れ抱いたままでも
まだ上手く友達も作れずに
恋愛に臆病なままでも
前を向いて生きている
幸せも感じている
全ては自分次第

7日目の決意/UVERworld

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