噂は「する」より「される」ほうがいい

人間の大好きなものの一つである『噂話』

この噂話について、最近思うことを書いてみます。

目次
1.噂話の定義
2.なぜ噂話をしてしまうのか
3.なぜ噂「される」ほうがいいのか

1.噂話の定義

「噂話」と一言で言っても、色々な捉え方があると思います。

・ニュースなどで見聞きした情報を他人に伝える
・今いる環境と違う環境で接している人についておしゃべりする(例:会社の上司について友達と話す)
・よくわかんないけど、うっすら頭に入っていることについて話す
などなど。

色々あっていいと思いますが、ここでは、

その場にいない第三者について話すこと

と限定させてください。
そのほうが、話を構築しやすいので。


2.なぜ噂話をしてしまうのか

「あの人、〇〇らしいよ」「この前の出来事、〇〇になったらしいよ」
このような噂話、世の中の人は全員したことがあると思います。

当たり前です。
色んな人がいる世の中で生きているのだから、色んな情報が入ってくるので。

そういう意味では、噂話は人間生活につきまとうものなのかもしれませんね。

では、なぜ噂話をしてしまうのか?
自分なりに考えてみましたが、

「他人の時間を生きている人が多いから」

な気がしました。

学校、会社、サークル活動など、他人がいなければ成立しない環境に身を置く人がほとんどなので、
他人の時間を"生きなければならない"人がほとんどだと思います。

他人の時間を生きることは決して悪くないのですが、
この「他人の時間を生きる」ことへの意識の差が人間力に大きく関わるような気がしています。

この章の結論を言うならば、「他人の時間を生きているから」ということになります。

意識の差について、次の章につながります。

3.なぜ噂「される」ほうがいいのか

これははっきり言えます。

「話題の中心になれるから」

です。

噂を「する」側はあくまでその場にいない第三者の話をしているのであって、
その場で自分が主役になることはありません。

ですが、噂を「される」側は、自分の知らないどこかで主役になっているのです。

この二つを比較したら、噂「される」ほうが良いように思えませんか?

個人的には、その噂話の内容はネガティブなものでも、小バカにされるようなものでも構わないと思っています。
そんな内容でも、「他人が噂したくなるような人生を歩めている」という証明になるからです。

小さいながらも、色は悪いながらも、スポットライトに当たっているのは事実です。
スポットライトに当たっていれば、照らされ方を良い方向へ修正することもできちゃいます。

一方、噂「する」側の人について。
冒頭で噂話にも色んな種類があると書きましたが、正直ほとんどがネガティブな内容だと思っています。
愚痴とか悪口とか。

なぜそういう噂話をしてしまうのか。
それは、「他人の時間"しか"生きられていないから」「自分の時間を持っていないから」でしょう。

他人の悪口を言ってしまう人は、他人をサゲて相対的に自分を認めることしかできない人です。

他人を認めることができないばかりに、誰の目にも見えない自分の相対的な立場を気にしているのかもしれませんね。

最近本当に思うのは、
「他人の噂話をする人は何歳になっても多くいる」 ということです。

何歳になっても、そういう視点は変わらないものなのでしょうか。
正直、残念に思いました。

いわば、他人に支配された人生を送り続けているということです。

そういう人生と、バカにされながらも話題の中心になる人生と、
あなたはどっちを送りたいですか?

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結論を言うならば、
噂「される」ほうがいい理由は、

自分の時間を生きている証拠

だからです。

他人の時間ではなく、自分の時間を生きて他人の時間をも凌駕する人生を送っていきましょう!

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