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【教員妻の夫観察日記】#4教員妻が思うインクルーシブ教育

こんにちは。
今日は、仕事の合間に知人に教えてもらった手話を共通言語とするスターバックス店舗を訪れています。

毎度、夫のことばかり書いているので、今日は教員を夫にもつ私の考えを中心とした記事にしますね。

私は今、仕事をふたつ掛け持ちし、趣味にも全力で没頭しながら、ぼちぼち主婦業をしています。
ちょうど昨日、疲れてソファでぐったりしている笑、ところ夫に「何足もわらじを履きすぎだよ〜」と心配されました。
実はこんなにアクティブに動いているのは数年ぶりでこの変化に自分でも驚いています。
もともと、知的好奇心みたいなものが強いので、学生時代、もっと勉強しておけば良かった!という後悔が今爆発しているような感じです。

学生時代から興味があることのひとつが、福祉の分野、とりわけ社会における障がい者(児)と健常者の共生についてです。
急に堅い話になってしまいますが、大学時代もそれに関係するテーマで研究をしていました。
現在の仕事のひとつも、聴覚障害者をサポートする仕事です。

というわけで、今日は手話にまつわるこのスタバにやってきたというわけ。
私自身、聴覚障害者が集まる場で、手話での会話が飛び交うのはもう見慣れています。
ただ、変な言い方ですが、何のくくりもない、開けた空間での聴覚障害者も健聴者も関係ない、音声言語、手話、筆談がミックスされたコミュニケーションをみているとなんとも言えない気持ちになりました。
これが、多様性が尊重された姿なのかな、と。

教育現場では、「インクルーシブ教育」がひとつの目指すべき教育の在り方として提唱されています。
我が家では、私の関心事ということもあり、このインクルーシブ教育や特別支援学級に関することが話題にのぼることもしばしば。
(ちょっと変な家庭ですね笑)

これはあくまで私が最近思うことですが、今の教育現場では、その現場が若ければ若いほど、この障がい者も健常者も隔たりなく、合理的配慮のもと、同じように教育を受けるその在り方が自然と実現しつつあるように思います。教員や子どもたちのマインドの部分では特に、です。

教員も子どもたちも良い意味で何も意識していないように感じるのです。通常級でも支援級でも同じ生徒。同じように褒められ、同じように注意され、同じようにふざけあう。そんな形が当たり前に存在しているように感じます。

これは全くの私の持論ですが、多様性を認め合う教育がなされてきた、その成果が今、現れ始めているのではないかと思います。いろんな子がいて当たり前。お互いに助け合うのが当たり前。そこには障がいも差別も隔たりもない。

もちろん、すべての社会、すべての学校でこれが当たり前になっているとは言えません。
教員も私のような福祉従事者でさえも、きっと、どうすることが一番多様性を認め合える環境につながるのか、悩む部分はたくさんあると思います。私たち大人が全く介入しないのも違うし、過干渉なのも違う。一体どこまでが合理的配慮なのか。判断はとても難しいです。
その判断に迷っている間に、障がい者を孤立させてしまう、そんなことが起こってしまってもおかしくありません。

ただ、夫を含めた教員陣や、子どもたちが何の疑問もなく通常級、支援級を隔てていないと感じる瞬間が一瞬でもあることが、私は日本の教育が素敵な方向に進んでいるその証拠だと思っています。

夫は正真正銘の教員ですが、妻である私は教育者ではありません。
実際のところ、「インクルーシブ教育」について正しく理解できていないかもしれません。
ですが、夫が言うように教育が未来をつくるのであれば、私が夫を通してみた教育現場に垣間見える、先生方や子どもたちによる「無意識のインクルーシブ教育」はきっとよりよい未来をつくるのではないかと思います。
そしてそれがもっともっと広がれば良いな、と思います。

真面目な話ばかりすると、読者が読みづらいと夫に忠告を受けたのですが、かなり堅めの内容になってしまいました。ごめんなさい。

次回はもっとポップな記事にしますね。
さぁて、夫がもうすぐ帰ってくるぞー。


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