正月骨折記

12月28日
こんなご時世なので忘年会と呼べるほどでもないが、数人で集まって2020年を振り返っていた。ビールを何杯か飲んでハイボールにシフト、そこからはハイボールオンリーだった気がする。酒の種類は場に合わせることが多い。カラオケなんかもあって気分は上々。
たしかサライ歌ってたな……。これ酔っ払ってるときの典型的なパターン。老害にリーチ。

縁もたけなわとなり、解散の時間がやってきた。少し店から出るのに手間取っている様子を確認し、テンションの上がった自分は何を思ったか、膝くらいの高さの台に足をかける。ここからはあまり覚えていないのだが、たぶん台の上で少し動いていたのだと思う。するとその直後に台が横転。どうやら不安定なものだったらしい。左手から落下し激痛が走る。アルコールのせいでアドレナリンが出ているにも関わらず、一線を超えた痛みであったことは自覚していたようで、のちに話を聞くと
「折れてるまである! 折れてるまである!」
と連呼していたらしい。ウザい。この人10分前にサライ歌っていたのに。。
数分悶えたあとに落ち着き、気持ちも安定。駅での解散の際は、そこまで痛みがあったような覚えはない。家から近かったのもあって帰路も普通だった。

帰宅して落ち着くと痛みはあるものの、まだ耐えられる。追い酒が好きなので当然のように家で飲み直す。シャワーを浴び、ストロング片手にYouTube見ながらツィッターをいじり時間が過ぎる。2時を回ったくらいだろう、そろそろ床につこうか。
明日起きて痛かったら病院行くか。たぶん朝には痛みがひいているだろう。布団に入りほどなくして眠りについた。


12月29日
一度6時くらいに痛くて目が覚める。ぼんやりとさすがに病院行かなきゃダメなやつかもな…なんて思ったのを覚えている。ただ痛みで眠れないなんてこともなかった。
起床はいつもより早い9時過ぎだった。アルコールも抜け、眠気も覚め、いよいよ痛みが本格化してきた。
「これさすがに行かなきゃダメなやつだな…ってか、今日病院やってんのか!?」
近所の外科を調べホームページで確認する。やはり本日から休みに入っている病院が多いようだ。ホームページが更新されてない病院にも電話し3件目だったか、本日の午後まで整形外科の先生が診察してくれる病院を見つけた。
出来れば午前中にケリをつけたいと思い、起き上がろうとする。
「いや、起きれないんだけどw」
肋骨がクソ痛いから寝返りがうてない上に、起き上がろうとしても激痛が走る。さらに左手は使い物にならない。この状況で右手のみで起き上がることなんてできるのか?
試行錯誤のうえ、もぞもぞ乙女でベッドの端まで行き足をおろして、そのまま腰を床に流し立ち上がることができた。
一度立ち上がってからは肋骨の痛みがなくなり楽になった。寝起きって普段動かさないとこ使うんだな。
何かを腹に入れてから病院に行きたかったので、コンビニで肉まんとほうじ茶を買い公園のベンチで食べる。こいつ、まだ折れてるとは思ってない模様。

電車を使うのが中途半端な位置にあったので2kmほどの道のりをあるくことに。
病院につくとすぐに案内された。最終日だし混んでると思ったがそうでもないらしい。たしかに、この状況で外科にかかるってのも珍しいか。
診察室の前で看護師に経過を話す。腫れをみて驚いたのを覚えている。そして、ほどなくして診察室に入る。右手で引き戸を開け、入ってすぐ右に先生がいた。中央にある椅子に座ろうとしたその時
「これは折れてますね」
はやw いや、座って患部見せてくれとかないの? もう一目でわかるレベルだったらしい。うん、わかる。
捻挫という望みが絶たれたのと同時に今日病院に来てよかったと心から思った。救急以外は、この日がほぼ最終日となるため、そうなったらおれは病院に行くという選択肢を取らなかった可能性が高い。酔っ払って骨折して晦日~三が日まで捻挫を信じて一人悶えるという地獄のような正月を送っていただろう。病院大事。無理は禁物。

レントゲンをとった結果、かなり複雑に折れていたらしい。わからないなりにレントゲンを見て頷いていると、
先生「このままにしておくのはまずいんで骨の位置を元に戻しますね」

おっ! 何が始まるのでしょうか? 注射打っちゃうやつ??

先生「腕と手を両側から引っ張って無理やり戻すんで痛いと思います」

!?!?!?!? 物理???? いや、外科なんて全部物理なのだけど。。ってか、麻酔は??

おれ「それめっちゃ痛そうすね」
先生「めちゃくちゃ痛いと思います」
おれ「www」
笑うしかなかった。

先生「じゃあ肩の方持って」
看護師「こんな感じですか」
看護師さんが腕の付け根あたりを両手で持つ
先生「よし…」
先生が両手でおれの左手を掴む。
おれの手首は今現在触れただけでも痛いし、曲げようとするだけで悶えるほどの激痛が走るのだが、なんだこのフォーメーションは??

先生「いくぞ」
看護師「はい」
次の瞬間、先生がおれの手を思いっきり引っ張る。
おれ「ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
叫んだ。
先生「そっちの力弱いな、もっと引っ張って」
看護師「はい」
いや、死ぬって死ぬ死ぬ。両方から引っ張られながら叫ぶ。もう早く終わってほしいし、先生の力強いから看護師さんの方に体重をかけ力を入れる。死ぬ。
先生は思いっきりひっぱりながら手を回す。どうやら手首の位置をズラしているらしい。死ぬ。
「……メリメリ」
骨の位置が戻ったのか、そんな音も聞こえてきた。死ぬ。
地獄のような綱引きが1分以上は続いたと思う。死んだ。
「はぁはぁ…」
ここ20年では一番痛かったかもしれない。若いころは何度か骨折をしていて、一度スキーで鎖骨折ったことがあるのだが、あれも死にそうだった。かなり上の方で折ったから、下までその状態で滑ったんだがアレも地獄だった。骨折は痛い。覚えておこう。

処置後にレントゲンを撮ると自分の目で見ても明らかに変化があった。物理すごい。骨折した場合は応急処置が重要らしく、悪い状態で骨が再生しはじめるのが一番ダメらしい。うん、ガチで病院きて良かった。死ぬほど痛かったけど。
ギプスも装着して手首もかなり楽になり、症状が良くなったことに期待は膨らんだが
先生「でも、手術は必要ですね。うちは手術やってないんで紹介状書きます」
おれ「なるほど…」
先生「2週間以内に手術できれば大丈夫なんで。紹介状とレントゲンのデータ持ってけば対応してくれます。たぶん年明けでしょうね」
12月29日に年明けの入院が確定した瞬間だった。
おれ「一泊とかすかね?」
先生「いや、さすがに3泊はするんじゃないですかね~」
おれ「で~す~よ~ね~」

初診の診療区分は地獄の綱引きが一番大きかった。マジで見違えるほど変わったからね。軽いオペだよ、アレ。
こんなご時世の年末にありがとうございました。死ぬほど痛かったです。

一度家に帰り総合病院へ足を運ぶと、午後はもう外科の先生は不在とのこと。年始の仕事始めである1月4日に予約をして病院を後にした。


12月30日~1月3日
酒もほどほどに家でのんびり過ごす。数少ない仕事だがちょうどよく溜まっていたので、そちらを消化して日々が過ぎていた。薬が出ていたのとギプスで固定されていることもあり骨が折れているとは思えないほど痛みはない。それでも左手が使えない事実は、四肢のありがたみを思い知るには十分だった。
スーパーに行けば小銭がうまく出せない上に、袋詰めの作業がうまくできない。そもそも袋を開けられない広げられない。このコロナ禍もあり、不自然な動きをしては冷たい眼差しを感じてしまう。まだ指もほぼ動かせなかったこともあり、一度スーパーに行ってからは電子マネー決済が簡単にできるかつ袋に詰めてくれるコンビニに通った。
外では不自由を感じるもののさほど動きのない家の中では普通の生活。パソコン作業の方は思いのほか片手でやれたし、洗濯や食器洗いなどは片手でいかにやるかを試行錯誤するのには楽しささえあった。
腕が分かれていて2本あるってすげー理にかなってるんだな。良いこと知っちゃった。


1月4日
関東に来てからは初めての総合病院。札幌では基本的に近所の総合病院に行っていたので、こちらに越してきた時も最初は総合病院を探したのだが、そこで言われたのは紹介状がなければ初診を受けられないということ。この辺りの病院の常識はわからないが、それからは近所の医者にかかるようにして総合病院に行くほどの事案はなかった。これが地域医療ってやつなのか、家の近所の内科に行くと、案外気楽に足が運べるようになったのは確かだった。
9時に病院に到着しあけおめ診察を受ける。再度レントゲンを撮り、ここでセカンドオピニオンのお時間。
先生「これは処置でかなりうまくくっついてますね~」
この反応はもしや…!?
先生「でも、手術はした方がいいですね。若いし!」
あ、やっぱすか。

このまま治ったら稼働域がかなり限られるらしく、普通は手術をするらしい。
先生を疑うワケではないが、2人に手術と言われれば手術で間違いないでしょう。正月中の経過が良かったのでワンチャンなしかとも思ったけど、そもそもの問題が違っていた模様。

先生「いつとかありますか?」
おれ「早ければ早い方が良いです。病院側が大丈夫であればすぐに行けます」
先生「こんな世の中なんでね。コロナの検査をしなきゃ入院できないんですよ。PCRの検査結果が早くても中一日かかるので、今日もろもろ検査して明後日でどうでしょう?」
おれ「よろしくお願いします。」
話早くて助かります。ありがとうございます。

この日に一通りの健康診断と噂のPCR検査を行った。PCRが陽性だった場合は、手術ができないとかそういうワケではなく一人部屋になり、対応が変わるらしい。しかも、その場合でも追加の料金はなし。一人部屋1泊5万だけど、これも無料…。(もちろん症状や状況次第では別の病院への転院はある)
PCR検査は両方の鼻に棒を突っ込んで粘膜をとる。すっごい「カ…カ……カーーーー」ってなるやつ。注射の数倍いやだ。

もろもろの検査が終わり入院の手続き。どうやら日本には「国民健康保険限度額適用認定」なるものがあるらしく、これがあると手術の医療費が限度額以上かからなくなるとのこと。申請して入院の際は持ってきてほしいと伝えられた。区役所に行けば簡単に発行してくれるらしい。

入院の詳細な期間は伝えられなかったが、たぶん3~4泊と言われた。実際に手術をしてその後の経過次第で変動する。
4日ほど家に帰れないとなると用は足しておかないと、、ないけど。

病院の帰りにそのまま区役所へと足を運び。「国民健康保険限度額適用認定証」をもらう。国保のとこ行ったらすぐもらえました。


1月6日
前日も早めに就寝し8時前に起床。9時には病院に着いていた。
コロナ以外の検査(心電図・血液検査・肺活量・尿検査・HIV)はオールクリア。血液検査が全く問題なしだとは……案外、健康なのかもしれない。

コロナの検査は、PCRだけでなく当日朝のCTもあるのだ。CTで肺の中を見て、軽度の肺炎がないかを確認。こちらもクリアになり、PCRの結果もギリギリで届き晴れて入院となった。事前に言われていたが、もしPCRの結果が間に合わなかった場合は、数時間で出る別のコロナ検査をやる予定だった。どうやら費用が違うらしい。100%でないにしろ陰性で、さらにあの長い棒を鼻に突っ込む作業を再度しなくて良いという事実に安堵した。

これにて従来の希望通り大部屋(無料)への入室が決定。しかし、外科の階に行って驚いた。全く人の気配がしない。自分が入った4人部屋は自分と同じタイミングで入院した1人だけ。他にも空き部屋があったし、明らかに人が少ないという印象があった。コロナのために面会が一切禁止だからなのか。正月の外科だからかなのか。コロナで感染症指定医療機関以外の病院は人が少ないとの話も聞くが真相は不明だ。
ことあるごとに医者と看護師が「まだ若いし」を連呼してたので、いまの若い人ってあんま怪我しないのかな? 整形外科なんて30代以下がたくさんいるイメージだったが。。

今回は手術のための入院。すなわち今日は手術の準備となる。9時以降は何も食べるなってことで、他は特になにもなし。
ただ手術にあたっての手続きがいくつもあった。子供の頃に何度か手術した時は気付かなかったが、いろんな書類にサインするのね…手術って。
入院ってことなんでもちろん全身麻酔。これとは別に肩から注射で麻酔もするダブル麻酔。意識よ彼方へ。麻酔は未だに不明な点も多く、少なからずリスクを伴う。今回の手術のリスクとメリットを事細かに説明された。成功率はどんな手術でも限りなく100に近いだけで100ではない。人の命を預かるのって大変。
麻酔の先生、施術する先生、同伴する看護師、それぞれから説明を受け全てにサインをする。ちょっと気持ち高ぶってきた。
19時に最後の飯を食べ、21時に消灯。暗がりで腹を鳴らしながらMリーグを見て就寝。


1月7日
手術が予定より遅くなり14時過ぎたくらいに案内された。
久しぶりの手術室は時の流れが別のように感じた。密閉された空間に独特の明るすぎる照明、さらには自分以外の人間の服装。まさに異空間だった。
赤外線?の装置を肩に滑らせて神経を見つけ麻酔の注射。神経注射らしいがあまり痛みはない。次に全身麻酔。事前の説明だと麻酔を効かせて20秒くらいで意識を失うとのことだった。

んなワケwww

先生「じゃあ麻酔入れますね」

おれ「はい(ちょっと粘っちゃおっかな~)」


先生「起きてください。手術終わりましたよ。」

おれ「え、マジで20秒もたなかったんすけど」
第一声がこれだった。たぶん10秒ももたなかった。麻酔すごい。

先生「めっちゃキレイにつきましたよ。手術して良かったですね~」

おれ「おお!! ありがとうございます(よくわからんけど)」
初診の頃から先生はドライで無駄話をせず、それでいてノリが軽く非常にやりやすかった。

その後また意識を失い。気付けば病室だった。少し落ち着くととにかく手首が痛い。手の感覚がおかしなことになっていて包帯で巻かれているだけなのに引っ張られている感じがする。痛みに加え腹が減っているのもあってか点滴に睡眠薬を混ぜてもらったが一睡もできなかった。寝返りをうつだけの力も出ないし、ずっと悶えてた。高齢になると手術がしにくくなると聞くが、なるほど体力を使うワケだ。
瞬間的な痛みでは地獄の綱引きだが辛い時間の長さも考えると避けたいのはこちらの一晩だろう。
2泊3日で行けるべ! って思ってたけど無理だわ。明日家帰るとか無理無理。

1月8日
悶えながら迎えた翌朝、約40時間ぶりの飯を食べて痛み止めを飲んだところで初めて眠りにつくことができた。
一度眠りについてからというもの世界は一変し、痛みも弱くなり体は自由を取り戻した。術後の経過も良く、夕方には明日どうするかという話に。明日出る分には問題なし、あとは本人の希望次第。帰ったところで特にやることもないのだが、調子も良いので留まる理由はないだろう。明日の退院が決定した。


1月9日
最後の抗生物質が終わり、軽くリハビリも開始。包帯をほどくと自分で取り外し可能な装具をつけるだけでギプスはなし。しっかりと動かしてリハビリして、悪い形でけんを固定しないのがが大切らしい。
惜しくも昼ご飯はもらえず13時に病院を後にした。


1月15日
1週間ぶりに病院へ。まだ手首の自由はないが経過は順調。指も動くし、手首の稼働域も広がってきた。
先生は今日も
「手術して良かったよ~」
とレントゲンと傷口を見ながら連呼していた。会心だったのかな?
来週が抜糸予定で、手首に入っているチタンプレートは早くて8ヶ月後に取り出せるらしい。抜糸後はリハビリのために2週間に1回の通院のみで、温泉なども問題なし。
長かった正月も終わり、そろそろ日常に戻るとしましょうか。


酔っ払って転んで骨折という、ネタのような出来事もひと段落。怪我した日の飲みは楽しかったし、左手が不自由という経験もできたし、看護師さんはみんなかわいかったし、不謹慎ながらこれはこれで楽しい正月だったと思ってしまいます。

コロナ関連の費用は全て個人負担なし。診察~入院・手術まで全部で100kほどで済みました。なによりも「国民健康保険限度額適用認定」がデカかった。任意保険も入っているので、こちらの手続きはこれからしようと思います。おそらく大半は戻ってくるかと。時間的な負担は大きかったけど金銭的な負担は割と免れましたね。保険すごい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?