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本音と表現 星野源

ノートを書くのをやめることにした。

すごく真面目な話をするつもりなのに早々にタイトルで韻を踏んで遊んでしまった。

きっとまとまらないけど
最後に書いてみたいことがある。

※以下、ライトハウスの話がちょいちょい出る。


昔の知り合いで本音を言えないって人がいた。
私にもそういう時があったなと、思い出していた。


本音を言えないというか、言わない。
言わなければ本音はバレないと思っていた。

けど、本当のことって一瞬の間や隙をついて意外とバレてるんだよね。

私が大事にしたいと思うような人ほど、人の機微を見ているし、言わないだけで気づいている。


そうやって伝わった誤解や本音の残酷さを思えば、はじめから伝えることは誠実だと思う。

だから、私はいつも本音を言うことにした。

自分にも相手にも嘘をつかないでいられるなら、それが私には一番等身大な接し方だと思った。


昔、本音を言わなかった理由は、相手に嫌われたくなさすぎた 相手を見下してたとも言うかもしれない。
ちょっとしたことで嫌うだろうとか怒るだろうとか思ってた。

伝える自信もなかった。


本音を言わないでいると、いつの間にか本音を言えなくなる。

本音自体がなくなって、自分の心の中じゃなくて相手の機嫌を見て言葉を選ぶ。

場にあった言葉選びが上手くなり、見聞きしたものを出したり引っ込めたりするだけのボットになってしまう。

そうやって自分でいることをサボると、自分はどんどん遠のいていくんだ。

それが楽だと感じたら、そのままそういう大人へのルートに流れていく。


私は、本当のことが分からない、言えないって悲しんだって
久々に本音を話したときに思い出したよ。

本音を言うっていう事自体に、そもそも鍛錬がいるのだと気付いた。


ここからSNSの話になるのだけど

表現が上手い人のSNSって、「これがこの人なんだ」と強く印象付けてくれる。

最近のSNSユーザーを見ていると、自分でノンフィクションな自分を演出することに慣れていて、ある程度プロデュースしているのだと思った。

書き留めてる間にそれがその人になっていっていくようなこともあるらしい。

いい具合に使いこなしてる人もいるけど、SNSから悪い影響を受ける人のほうが多いのだと思う。


私は自分の作った表現よりも、現実の自分のことを知ってほしくて
だからつい、SNSにも本音や真実を書きたくなる。

短歌とか創作の文章、絵を描くけれど
結局は自分自身の人間性をちゃんと見てほしくなる。

けど誰が見るかわからないSNSへの投稿ってやっぱり表現だ。
星野源がライトハウスで言ってたこと。

だからSNSの投稿ってなかなかできない。
私はSNSに過度なものを求めすぎるから向いてない。


きっと、多くの人が本当向いてないんだと思う。

でも、SNSを見てるとその多くの人は、自分の表現を自分自身だと思えてるように見えて
羨ましくなったよ。


SNSの発信と、その人自身は、別々だと私は思う。
いっそ小説のような創作からその人を感じる方が、その人の本当の姿が見える可能性がある。

それでも私は、本当の気持ちを書き綴ろうと四苦八苦するところに価値を感じて、本音のノートを書いた。矛盾しているとは思う。

それで救われた日もあったから、SNSの中に今自分が受け入れられないことの答えや、自分と同類だと感じる人を探してしまう。

そして、見つけた気になって、その人自身を知った気になってしまう。

私自身の意見も、輪郭がはっきりしたように見えて正解にたどり着いたように錯覚した。
それはもったいないことなのかもしれない。


ここでまたライトハウスを思い出す。

SNSでのコミュニケーションは最適解か間違いのどちらかだ。
いろんなことをはっきりさせたがる人が増えていて、淡くいることに耐えられる人が減ってる、と。

これは真実だと思う。
本当の意味で信じるとか関わるって、もっと原始的で現実的な場所からしか生まれないのに。


個人事業の私の毎日は孤独だし、SNSを無くせばより世界とのつながりがなくなるような気がして怖かった。
それでも、淡くいることをやってみようと思ってるこれからは創作にでも落とし込みたい。

SNSじゃなくて、創作で世界と繋がれるようになればいいと思った きっと長い道のりだけど。
淡いものを色んな形に昇華できるのが創作だと思う。

星野さんや若林さんの言葉を借りるのはおこがましいけど、音楽や漫才でしか世界と繋がれないと思ってたっていう話。
二人が少し誇らしそうで良かった。
私は「でしか」というほどでなくても、創作で繋がる可能性を見たい。

これまでも真実が見えてしまう人生だったし、きっとこれからもそうやってしか生きられない。

だから、すべてが解決することはないっていう真実、その淡さと向き合うことが私の道なのかもしれない。


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