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まいにち花咲く

 先日、Twitterで炎上した育児エッセイ漫画「まいにち母さん」を読んだ事がない。

読んだ事は無いが、絵が嫌いだ。絵が嫌い過ぎて読む気持ちが起きないのだ。



 実を言えば、自分の母親も絵を書く。

四歳の頃、まるで、人間の作業を邪魔する飼い猫のように、母に駆け寄ったら、傍から追い出された事がある。

で、あるので、子供である己を蔑ろにしても(と言うと言が過ぎるのだが)自分の母親の描く絵がなにより優先されるべき美しいもの、代え難いものだと思って育った。


なので、母親という立場で絵を描く人を見る時にツイ己の母親と比べてしまうのだ。それが、己の母親の致す技法より、劣悪だと見る気もおきない。


 扇面の上に、花が咲く。

そもそも、手持ちの扇に仕立てる前の京扇子の、末広がりと古典文学や狂言、長唄の曲で歌われる、扇形の和紙を世間ではそう滅多に目にはしないのであろうが。扇面に花が咲く。


 扇面の上に、蔓薔薇が咲く。洋花と言えど大正時代の令嬢の晴着よりもずっと慎ましやかな、小さな花。時にはノウゼンカズラやスズランの花が咲く。

そうして蜻蛉や蝶蝶の姿が舞う。


 その彼女の居る仕事部屋、と家族の皆が呼んでいる床の間のある一等上等に思われる部屋には過去の大量と植物の写生がなされたスケッチブックと、華道の師範代でもある彼女の集めた陶磁器の花器と、剣山を仕舞ったまるで古美術店の陳列棚のような棚が鎮座して、ガラス張りの作業用の机の上には扇面が青海波紋を描いたように幾枚も広がっている。

 それから、この部屋に出入りする誰もが目もくれないのであるが押し入れに何気なく突っ込まれているのは京友禅の晴着になるべき紗綾形の地紋の入った反物や、桜や御所車をプラチナの箔糸で織り出した西陣織の帯地となる芯に巻かれた生地である。


 そんな生地には目もくれず、彼女が細心の注意を払って絵筆を動かすのは銀地、金地、四角い金箔を丹念に押した跡である箔目が在る事を疑いたくなるような職人の正確な仕事の一面本金箔の仰々しい飾り扇に仕立てられる為の和紙の扇面である。


彼女の机の上には季節ごとにそれが並ぶ。


 京都人達が玄関先に厄よけに飾った、まだ節分の過ぎて間もないイワシの頭と柊を仕舞い込む前の、天満宮の梅花祭の頃。

彼女の机の上には薄紅の水干絵の具の絵の具皿が置かれている。


 この頃には一斉に咲き平安城の中枢たる紫宸殿に春を告げる近衛邸の糸桜の季節よりも先に彼女の絵筆によって糸桜が咲く。


「柳桜を こきまぜて 都ぞ春の錦なりけり」

そう口ずさむ彼女の動かす面相筆の一筋の若柳が画面を引き締めた。


 舞いかかる糸桜の他に、立派な枝の御車返しの桜。

敷浪の波頭の白をそのまま絵の具に封じ込めたような、海に住まう貝殻から作られるという絵の具である、胡粉の色で都の桜の花が咲く。智積院の長谷川久蔵の桜花図のように。或いは禁裏を彩る土佐派の屏風の瀟洒な桜のひと枝のように。


そうして怒濤の晩春を迎えれば、藤の花に、河原撫子、常夏の季節がやって来て、祇園祭に千客万来の、都人は厄よけを祈る油照りの夏、涼風を届ける為の扇面は五月六月、七月には職人達の仕事の掻き入れ時を招く末広がりである。


 琳派の尾形光琳や彼を私淑した神坂雪佳のような、たらし込み技法の輝く青葉をもった紫陽花や、花火のような額紫陽花。涼味を誘う秋の七草、丸く洒脱に描かれた朝顔。群青や江戸紫で銀の扇面に星のような花が咲くとそれは凛と咲く桔梗である。


黄色のふうわりとした女郎花に、その緑葉は涼やかな三日月のような芒。


そう言った草花を描くうちに菊花や紅葉が錦秋を告げる。



それから、狩野派の襖絵、二条城の二の丸御殿にあるような本金箔を敷き詰めた金の扇面に、新年を言祝ぎ歳徳の神を招く為の根引きの松や、三番叟の装束の裾模様のような若松、如何にも勇壮な枝振りの常磐の松の絵が並ぶ。


旧暦が新暦になっても、旧暦の行事に生き、王朝の雅を胸に留めて生きている都人にとって、師走のご挨拶はお正月の準備なのだ。


幹に白群緑の苔のむした老松の、松葉の色が師走の彼女の仕事場の色である。



彼女の四季の巡りは、季節を先取り、おもてなし、または涼味を楽しむ扇を生み出すために、世の中よりは少しだけ、早い。そうして、平成、令和の世の中にあって明治維新以後、新暦の味気ない暮らしからして忘れられていった美しい季語と暦の中に彼女は生きている。



 己にとって絵を描く母、というものはこういうものである。


ゆっくりと、膠を煮て溶かしながら、胡粉団子を練って絵の具皿に叩き付けながら。


彼女は教えた。


「三千本膠」

「胡粉」

「京紫」

「砂粉」

「箔」


「緑青」

「紅梅色」

「唐棣」

「常磐」

「黄櫨染」

「山吹」


「方解末」

「引目鉤鼻のお姫さま」


「この取り合わせは紅葉賀、こっちが若紫。これが葵上、夕顔、空蝉。それに。。。」


彼女の絵筆に描かれている古典の言葉、歌枕、色の名前。そんなものが傍で画集を捲り、彼女の言葉をきいていた己に降り積もって行く。


「琳派。狩野派。土佐派。若冲、四条円山派」

そんな言葉を知ったのは小学校に入ってすぐくらいの事だ。

都を彩り脈々と受け継がれる絵師、画家の魂や彩管の美の発露。


京の都は絵師達が切磋琢磨して腕を磨く。そんなドラマ「ライジング若冲」の冒頭の台詞は、現代でも変わらず生きている。



 金泥に銀泥、この絵の具は銅で赤味を出していて食べては行けない、これも毒。そんな話を効きながら金色や桃色に彩られた彼女の絵の具を練る指先を見ていた。


扇面を見つめて

「職人さん、変わったやろ。箔目が、前の人と違って」

彼女はそんなことを言うマセガキを生み出した。


絵を描く母親という存在が彼女だった。


だから。

母親という存在が絵を描くのであれば。


引目鉤鼻のお姫さまが、美しい公達を慕う源氏物語のように。

或いは雪見の為に簾を掲げ、お仕えする中宮に機転を効かせる女房の枕草紙のように。


これまた美しい面立ちの月卿雲客が桜花の爛漫と咲く北山に恋人の面影を探す若紫のように。

母親という存在が絵を描くのであれば、都人が常々懐かしみ慕って来た平安の王朝美を求めなければならない。



母親、という存在の人が絵を描く時に描き出すのは。その立場の人間が娘に教え込むのは。


八つ橋の杜若を見て、からころもきつつなれにしつましを思い出す昔男、でなければいけないと思っている。




葩の幾重にも重なる薄紅の衣笠桜

御室や愛宕の社の八重桜。

比叡颪に揺れる柳の裏葉色の青紅葉。

朱色に金色のたらし込みの輝く高雄栂尾の紅葉。


 それは千代に八千代に廃れる事のない、江田島に聳ゆる常盤木の如く、時代を超え、世の波を越える山城の國に受け継がれて来た、絵師の魂、平安城の彩管である。それが己にとっての母親の描く絵なのである。


だから、何が言いたいかってね。


終盤は、忘るなかかる風景も余所に優れし我が國を、みたいになってしまったけれど。




「かあさん」と名乗るなら、自分の母親がそうであるので、蒔絵も砂粉も裏打ちも施されていない、ましてや和紙でもない紙に施されたその絵柄、娘に施した教え、が許せない程嫌い!という話


「高雄」という言葉を聞けば紅葉や、波濤に舳先をすすめる重巡洋艦が描けない母親が、何を言うのだろう。

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