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進路に迷う娘をみていて思うこと。

こんにちは。akur_uhiです。
子育てや教育、日々のいろいろについて書いています。
今日は、長女のお話です。

娘が進路に迷ってます。


長女の様子が、なんだかヘン。

最近、長女の様子がなんだかヘンです。
素っ気ない返事。イライラしていて小学生の弟や愛犬にまでも八つ当たり。学校で上手くいっていないのか。とにかく、何か悩んでいる様子です。

娘の変化に気付いたのは、10日ほど前のこと。『春になったら』というドラマを家族で観ていたときのことです。
3ヶ月後に結婚する助産師の娘と、余命3ヶ月がん末期の父とのお話で、主人公が働く助産院での出産シーンでは、死へ向かっていく父と対比し生と死のコントラストが見事に描かれています。小学生の長男も中学生の次女も私も、みんな何度も何度も涙を拭きながら見入っていたのですが、ふと横を見ると、なんだか長女の様子がヘンです。テレビに背を向けて横になり、憂鬱そうな表情で犬を撫でている。中学生の妹が「観ないの?」と声をかけるのですが、返事すらありません。

「このまま助産師になる道を進んでいっていいのかわからない」

その3日後。長女からこんな話がありました。

「最近、このまま助産師になる道を進み続けていいのかわからない。医療の授業も前に比べると楽しく感じなくなってしまった。」

どおりで、あんなに感動的なドラマも観る気にならないわけだと私は納得。
聞くと、そう思った背景には次女の影響もあるようです。

中学3年生の次女は、角川ドワンゴN高等学校への進学を決め、4月からの高校生活にワクワクしています。さらに、高校生の間に留学を果たそうと、英語やドイツ語の学習、留学計画を立てたり関心分野のボランティア活動に参加したりと、我が道を突き進んでいる真っ最中。そんな妹のまぶしい姿を間近で見て、「自分はこのまま助産師を目指していいのだろうか」と考え始めたようです。
(長女はプライドを保つためか次女に影響されたとはいいませんが笑)

こちらは次女のことを書いた記事です。お時間があればぜひご覧ください☺

長女の夢は助産師になること。
きっかけは、小学校高学年のときに受けた"夢教室"という学校の授業だったように思います。講師としてお話してくれた助産師さんの人柄や仕事の様子に感動したようで、授業の内容を話してくれたことを思い出します。
高校も医療職を目指す生徒のためのコースを選択し、ここまで特に迷う様子はなく進んできました。

でも、実はずっと違和感

しかし、長女が助産師を目指す姿に、私はずっと違和感を感じていました。
「助産師になりたい!」
と長女が言い始めてからかれこれ7年、実はずっと違和感がありました。
もちろん、そんなこと長女には言いませんでしたが。

決して助産師を目指すことを反対していたわけではありません。長女が「助産師になりたい」と言ったときは嬉しかったし、助産師は将来開業も叶うので、起業の視点からも良い資格だなと考えていました。
だから、「助産師になれるものならなったらいい。」という感じで、これまで長女を応援し伴走してきました。

しかし、違和感です。

子どもが6年も7年も、ブレることなくひとつの夢を一途に追いかけてきたといえば素敵な姿ですし、夢も目標もないよりは断然いいことなのですが、〈どこかで立ち止まって考えて欲しいな〉と内心思って見ていました。

違和感の理由・・・そもそも選択肢を知らない

長女が助産師を目指そうと思った背景には、少なからず私の影響があったのではないかと考えています。それは、私が看護師だからです。家庭の中に看護師の存在があり、私の同期や職場の同僚など長女はこれまで医療職との接点も多くありました。私という看護師が、彼女が生まれてからずっと身近に存在していたこと。その私をみながら育ち、「私も医療の道に進みたい」と考えてくれたことはとても嬉しいことです。でも、それ以外の世界を彼女はどれだけ知っているのだろうか。
かつての私がそうだったように、いつか悩みの壁にぶつかる日が来るだろうと思っていました。

悩み始めたらときこそが、チャンス

難があるから有り難う

子どもが悩んでモヤモヤしていると、こちらもソワソワしませんか?
母とはいえ、こちらも人間。仕事や家事、こころや体のコンディションにより毎日いろいろありますので、子どものアクシデントが起こると一気にザワつきます。
何事もない穏やかな日々だったらどんなに楽かと思いますが、こんな時は、

『難があるから有り難い。ハプニングこそ有り難う。』

と、むかし誰か(忘れました)が言っていた言葉を思い出してポジティブに捉えるようにしています。「何事もない人生は無難でつまらないよ~」といった内容の、誰か(忘れました)の言葉です。

自分を知ること、できてる?

話は戻りますが、長女の進路の話です。
身近な人の影響を受け、憧れをもって同じ世界へ飛び込んでいくことは決して悪いことではありません。憧れは好きの表れで、好きだからこそ楽しいし、継続につながります。
しかし、いろいろな選択肢を知っている中で「私にはこれだ!」と選択し進んでいくことと、それしか知らないから疑うことを知らずに進んでいくことには、大きな違いがあります。
今までの長女の状況は、後者でした。

”選択肢を知る”というのは、たとえば様々な職業や世の中の動きとその仕組みを知り世界を広げることでもありますが、最も大切なことは、『自分を知る』ということです。
自分は何を大切にしていて、どんなことに興味があるのか、どんなことが好きで何をしているときが楽しいのか、そして強みと弱みはなんなのか。

みなさんもご存じの通り、2045年には既存の仕事の多くがAI(人工知能)やロボットに代替出されるといわれています。
「あなたと仕事がしたい」
「あなたに仕事を頼みたい」
といわれるような人材になることが、AI化ロボット化されていく世の中で生き抜いていくために大きなカギになるのです。
そのためには、まず自分を知らなければ始まりません。

私  「この進路はなんか違うって、気が付いて良かったね。」
長女 「助産師の夢を変えるのは、なんかママに悪いような気がして。」
私  「自分がやりたいと思えることじゃないと楽しくないじゃん。」
長女 「こんな時期に進路変更して、まだ間に合うかな。」
私  「ここで気が付いたなんてラッキーじゃん。」
長女 「なんか言えてスッキリした!」

長女は、「赤ちゃんは可愛いと思うしお産は素敵な瞬間だと思うけれど、助産師として働いている自分をまったく想像できない。」といいました。

ミスマッチ。
それに気付いたってことは、自分を知れたということ。
もっといろいろな人と出会い、情報に触れ、その上で「やっぱり助産師になりたい」と思えばそれも良し。

悩んで立ち止まったときは、真っ暗なトンネルの中にいるようで心細いし不安な気持ちでいっぱいになりますが、そんなときはココロもアタマもフル回転で自分を探しているときです。いつもなんでも、産みの苦しみはつきもの
です。updateを楽しめば大丈夫。

雑談万歳

悩んだときに会話ができる母娘でいられたのは幸いだと思います。
日頃からしてきたくだらない雑談の効果は、こんな時に発揮されるのかも。
そういえば、最近は私の悩みを聞いてもらう方が多くなってきたかも。

長女、高校2年生。
長女の子育てもだいぶクライマックスに向かってきました。
悩んだ先にどんな道をみつけるのか楽しみです。
そのために私ができることは、やっぱり雑談でしょうか。

近所のスタバで、髭男のPretenderがイヤホンから流れています。
最後の最後にタイトルとズレたかな。
少ししみじみしながら、おしまいにします。


最後まで読んでくださってありがとうございました。
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