見出し画像

誰かの『心を傷つける』という罪

こんにちは。
akur_uhiです。
ここ3ヶ月程遠ざかっていたnoteですが、やっとパソコンを開く気になり、久しぶりに書き始めました。
いろいろなことがあって心身がくたびれてしまい、体調を立て直すのにずいぶん時間がかかってしまいました。

3ヶ月ほど前に何があったか簡単にお話すると、同居する70歳代の父に不調が生じたことが、私の心身の不調の始まりです。

父はある日、孫(私の息子)を乗せて車を運転していたのですが、制限速度で走る父の運転に苛立ったと思われる後続車の男から煽り運転の被害を受けました。右折左折を繰り返して父はルートを変えて走行しましたが、男は執拗に煽り運転を続けながら父の車をつけ回し、ついに行き止まりに。車を降りて来た男は父に罵声を浴びせ、やがて気が済むと去って行ったそうです。

幸い父にも私の息子にも怪我はなく、息子もその日の夜こそは「怖かった」と振り返っていたものの、それ以降は特に変わった様子もないので、私も息子とはその話には触れずに過ごすよう努め今のところ事なきを得ています。しかし、ダメージが大きかったのは父でした。

その出来事の翌日、父の様子に明らかな異変が起きました。

インターホンの音に怯え、家中の戸締まりを過剰に気にするようになりました。夜間「眠れない」と訴え、そのさらに翌日からは声が完全に出なくなりました。

すぐに心療内科に問い合わせましたが、どこも初診は2ヶ月~3ヶ月待ちとのこと。しかし、事情を話してどうにか診ていただけるクリニックがみつかり診察を受けることが出来ました。

診断結果は、急性の強迫症と不安症の発症とのことでした。

父は、自分の車を見つけて男が自宅までやってくるのではないかと怯えていました。男にみつかることを恐れて、数日後には愛車まで処分。
もちろん警察にも相談しましたが、ドライブレコーダーがついていなかったため情報量が少なく、捜査には期待が持てないのが残念です。

クリニックへの通院と内服治療を続け、1ヶ月ほど経った頃には少しずつ声も表情も回復し、現在はまた穏やかな日常が戻りつつありますが、父にとっても私たち家族にとっても、この出来事はとても辛い経験でした。

時間差で私も体調を崩し、noteを開く気分にもvoicyを聞く気分にもなれず、
ただただ、子育てと家事のルーティンを淡々とこなし、仕事に出かけていくだけで精一杯。わりとストレス耐性強い私がこんなにまいるとは。

回復には時間が経つのを待つしかないと思い、無理に何かをすることは潔く辞めダラダラと過ごす自分に、《これからずっとこんな生活なんだろうか》《もう何かにチャレンジすることはできなかもしれない》と落ち込みました。それでもやはり時間が解決することもあるようで、やっと数日前からvoicyにいいねを押す気分になり始め、今日は数ヶ月ぶりにnoteを書くことが出来ています。そんな自分自身にとてもホッとしています。

それにしても、煽り運転をした男性です。
自分の感情を自制できない何らかの問題がある人だろうと想像します。
自分のその行為が、相手の生活や健康だけではなく、その人とその人を取り巻く人たちの人生をも壊す可能性があることを、そもそも考えられないことに失望します。

人として最大の罪は『想像力の欠如』

こんなふうに私は日頃考えているのですが、「こんなことを言ったりやったりしたら相手は傷つくかも」と想像し、さらに自分の行動にブレーキをかけることができると、きっともっと穏やかな社会になるのになぁ。

心療内科がびっくりするほど混み合っているのも、トゲトゲしく想像力の乏しい生き辛い世の中のせいかもしれないと、爽やかな5月の風に吹かれながら、考えています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?