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高校を卒業しました、不思議な心地です。

 こんにちは、スミレです。
 卒業の感想を述べるつもりが、どうにも上手く言葉にできず、下書きが面倒になってそのまま打ち込むことにしました。
 徒然なるままに書いてみようと思います。

 まず外せないことは、答辞が上手くいったことの報告でしょう。過去の記事で散々、緊張するだの、言葉を輝かせるだの、ジャガイモ(?!)だのと書いてきましたから。

 記憶の限りでは、一度も噛まない、つっかえない、完璧な語り口をキープできていたと思います。

 手汗はかいたけれど、心拍数はそこまで上がりませんでした。ここまできたらやるっきゃない、とか、ああいつもの緊張さんが来たのね、とか、一緒に頑張ろうな言葉たちよ、とか……自分を落ち着かせるためのワードを淡々と唱えてみたのがよかったのだと思います。

 緊張に負けなかったのには、もうひとつ要因がありまして。
 送辞の子は、ステージに上がったら、聴衆、特に卒業生たちの方を向いて話すじゃないですか。そりゃあ卒業生に送る言葉ですしね。

 でも答辞は、ステージに上がったら、校長先生に向かって……聴衆には背を向けて話すんです。
 スピーチするときの私は、聴き手のリアクションにビビるのが常でした。でもそれが視認できなかった分、緊張の呼び水が減ったみたいです。

 結果、私は心を込めて言葉を発すること、言葉たちを輝かせることにだけ意識を集中させることができました。手応えとしては、今までの自主練より遥かに、「やりきった感」というか、「私にできる中で最上の出来」というか、そんなふうに思えました。

 卒業証書を手渡してくれた、入学前の面接からお世話になっている先生は、「とても心に響く答辞だった」と言ってくれました。
 式が終わってさあ帰ろう、というタイミングで、友人1ヶ月目の子が私の席まで来て「答辞、めっちゃよかったよ!」と声をかけてくれました。
 保護者席で聴いてくれていた両親は、「カッコ良かったよ」と言ってくれました。

 なので胸を張って言います、答辞は大成功でした!

 ……成功はしたけれど、こんな大役は今回の一度きりでいいかな(笑)。

 他に書きたい感想としては、卒業の実感がまだないということでしょうか。
 答辞まで務め上げて何を言っているんだ、と自分でも不思議に感じています。

 なんというか……卒業するという事実に付随してくるであろう感情が一向に姿を現さないというか……?

 高校生でなくなることは全く悲しくないのですが、あの高校の在校生ではなくなったというのが……寂しいんですかね?
 1〜2年生の頃は卒業式実行委員として駆け回っていたけれど、今は対策委員として役目を終えた後、という事実の存在感はあるのに、心はそんなに動いていないというか?

 リハーサル中も、本番中も、答辞を読み上げている最中でも。
 「私は卒業生なんだ」という事実が頭の中心に堂々と鎮座していて、けれどなんの感情を呼び込むこともなくって。

 いえ、別に、卒業式で泣くことが正義とは思っていないのですが。
 卒業に対して心がそんなに動かないのは、後悔がない高校生活を送れた証の一種でもあるのでは、と考えています。

 もっと学びたかったとか、もっと友達や先生と話したかったとか……まだ足りないって泣くのもいいけれど、もうたくさん学ぶことができたとか、もうたくさん話し切ったとか……だから後ろを振り返っても涙は出ない、というのもアリだと思うのです。

 自分にできる精一杯で、それを継続させたまま過ごせたからこそ、最後になっても堂々と構えていられるってパターンもあると思うのです。

 今にして思うと、私は常に全身全霊で動いていました。
 頑張るぞ!ってなったらめっちゃ頑張ったし、休憩するぞ!ってなったらめっちゃ休憩したし。
 一挙一動で悔いを残さないように、今の自分にできるベストを探して、そこを目指していました。

 だから今の私は、残念な意味で心が動いていないのではなくて、堂々と生きていたからこそ心が落ち着いているのだと思います。

 でもどうだろう、そのうち急に寂しく感じたり、不安になったり、果ては泣いたりするかもしれないのかな。
 それか、実は卒業という事実を未だに飲み込めず処理落ちした状態のまま、なんてこともあり得るかもしれない。

 まあ、それはともあれ。次は専門学校の入学式のことを気にしなくてはいけませんしね。心の動きはこれからも見守るとして、変わらず精一杯生きていこうと思います。
 あ、もちろんnoteも続けますよ!そういうわけですので、皆様、これからもよろしくお願いします。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

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