半年が過ぎていた。

今回は締切がかなりきつかったせいもあり、月命日を過ぎていたことに気づいたのはフォロワーさんのお子さんの月命日のお話を読んだ時だった。

六回目の月命日。
……半年が過ぎてしまったんだなと思った。

先日も少し書いたけれど、夢での二度目の再会でだいぶ嘆きも落ち着いてしまった。

なんでなんだろう
色々考察してみるのだけれど

1 嘆き疲れてしまった……それこそ毎日何度も、鼻血で防音用の壺が血まみれになるほど、酸欠で立っていられなくなるほど泣き叫んでいたのだけれど、体力が尽きたっぽい。

2 ようやく、娘は戻ってこないことを心の底から受け入れた。

3 (SFチックな言い方だけれど)世界と、人の心の修復力、ホメオスタシス、恒常性……とでもいうような、とにかく「普通を保とうとする力」に流された。


……というか、こういうことになって痛感するのは、良くも悪くも世間は嘆き続けることを許してくれないんだな、ってこと。 人に迷惑を掛けなきゃ暗い顔してたっていいじゃん、と思うんだけれど辛気臭い顔を晒すだけでもすでに迷惑なんですよな…(そういう面でも思うさま辛気臭い内面を吐き出させてくれるここの存在がありがたいです)

身内の自死もだけれど、元旦の大地震に交通事故、通り魔などなど……。
普通だと思っていた日常がある日突然崩れることなんて、意外とたくさんあるんだと、あれ以来痛感しました。

だから、実は普通に街を歩いていてもいきなり泣き出してしまう人は……実際には泣き出さなくてもそういう気分になっている人は、思っていたよりもずっとずっとたくさんいるんじゃないかとか、今まで世界はうっすら楽しくうっすら幸せ、くらいが正しい姿だと思っていたのだけれど、本当はまったくそんなことなくて、皆、泣き出したいのを堪えて生きてるんじゃないかとか思ってみたり。

そういう意味では世間的には私は確実に「立ち直りつつ」あり、娘の死は過去のもの、起こってしまったこと、もう何ともできない事を受け容れつつあり、だいぶ普通のように振舞えるようにはなって来たけれど。

それでも、あの子は私が産んだし、一生懸命育てたし、いろんな言葉を交わしたし、なにより治ってほしかった!!!
(というより、治らない娘でも受け止めてやるべきだった)
だから、普段は以前のように振舞えるようになってきたけれど、あの子のことは一生忘れないし、やっぱりこうして語ったり、思い出したりするたびに涙は流れ続ける。



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