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弱音を吐くのは気持ちがいい

ピアノ。実家暮らしになって習い始めたピアノ。そろそろ一年半くらいかな。

大人のための個人クラスは『お好きな曲をどうぞ。』方式。
通常の大人はポピュラーを好むらしいが、わたしはクラシック派である。ちょっとだけタンゴも試みたが、バンドネオンをやる友達から分けてもらった楽譜は難し過ぎて、それに、弾いてみても全然タンゴっぽく聞こえてこなくて、早々に手放した。
クラシックとは言っても詳しいわけじゃないので、わたしの選考は映画やテレビで聞き覚えのあるやつ。
オーシャンズ11のドビッシー『月の光』、マダム・フローレンスのサン・サーンス『白鳥』とか風のガーデンの『ノクターン』とか、、、そんな選び方。当然、初級・中級向け楽譜を使う。

そのピアノレッスンは全然うまくいっていなくて、ほとんど苦行の域。
それでも地味に続けているのは、機能訓練的要素と日常のアクセント的な要素が強いから。右手と左手を別々に動かすこととか、新しいことを習得するために無心に鍵盤に向かうことは、平凡な日常において、なかなか貴重なものなのだ。

頭でそうは割り切っていてもやっぱり辛いので、レッスン中には思い切りぼやいてしまう。
「できない」
「むずかしい」
「わからない」
「あー!!!もう!何でー?」
と、言いたい放題。

若い、多分20代のピアノの先生は、そんな年配の生徒に慣れているのか、多くのぼやきをスルーして、時々「大丈夫、よくなってますよー」と、かるーくかわしてくれる。
それが非常にうまいので、わたしも罪悪感なく、弱音をはける。
とっても感心な若者先生なのである。

できる!できる!と暗示をかけながら頑張るのもありだけど、「できなーい!」と言ってみたら、とっても気持ちが良いのだ。
どうせ努力を続けるのだもの、時には弱音を吐くのは気持ちがいい。


週明けにはレッスンだから自主練せねばならないのだけれども、鍵盤になかなか向かない気持ちを文字でごまかす土曜の午後。


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