曖昧模糊な恐怖

 ぼんやりとした不安。ある文豪が綴った文言である。

 先に述べておけば私は文学者ではなく、此処で彼の文言や彼自身、作品に言及する気はない。あくまでも、彼の言葉をフックに己の何かを綴るのみである。そこに文学性は一切ない。ただ駄文が縷々と続くのみである。この文に意味はない。故に、余程時間のある人が暇潰しの手段にインスタンスに消費してくれるくらいが丁度いいのだ。そのくらい、薄っぺらな文であることを留意しておいて欲しい。

 ぼんやりとした不安。さる文豪の真意はともあれ、文面通りに受け取ればそうした気持ちを覚えたことのある人は決して少なくはないのだろうか。私はある。
 手に職はあり、金銭に困っている訳でもない。だが、常に不安が付き纏う。言いようのない、何に根ざしている訳でもない強烈な不安感。将来に対して持てない自信。
 正直に言えば、後二年、否一年先に自分が生きている自信が持てないのである。己は死ななくてはならないという不定形の義務感が常に頭を擡げる。本当ならばもっと早く死ぬべきであったのではないか。拭えない恐怖心が何時も付き纏う。既に取り返しのつかない所まで生きてしまったのではという緩やかな絶望感が何時だって側にある。
 しかし人はそう簡単に死ねるものではない。一度だけ、本気で試したことはあるが結果は悲惨なものであった。死ねなかった。そんな微温い絶望が一つ増えただけだった。

 そして私は生きている。
 申し訳程度の自傷で己を騙しながら這いつくばって、騙し騙しに生きている。
 人でなしと誰かは言うだろう。とんだ贅沢者だと詰られることも承知している。それでも、やはり生きていることに嫌悪を覚えるし、不安や恐怖に駆られている。そればかりはどうしようもない。だから、そうした一般論にも申し訳なくなって、また死にたくなる。

 きっと明日も、迫り来る電車の前に身を投げ出せなかったことに失望しながら生きていくのだろう。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?