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ダンスも言葉も祈りで魔法で。

★写真はネット上からお借りしてきました。言わずと知れた?知れてない?ジョルジュ・ドン様のおさしんです。

この間、FB上で、イスタンブルにお住いでベリーダンスの先生をされているYoko Kralicheさんが、『「言葉を話す」のと「ダンスを踊る」のは似ている気がする。』と投稿されていて、ほんと!そうだ!と、めっちゃインスパイアされました。

同じ時期に、イスラム神秘主義メヴラーナの旋回舞踊のこともFBでシェアしてて、あの、旋回「舞踊」と呼ばれる動きには、神との一体感と愛を感じる瞑想なのだ、と書きました。

言葉には、日本でも古くから「言霊」が宿ると言われてきて、
佳き言葉は祈りとなり、悪しき言葉は呪いとなってきました。

私は、ダンスは全くどうにもなりませんが、
音楽やリズムに乗って体を動かすことは大好きです。
ヨガの瞑想も、気持ち良くて大好きですが、マントラを唱えたり、聴きながらの瞑想は、もっと好きです。

前に、魔法使い修行のことを書いた記事
周波数と、言霊を駆使したら、きっと魔法が使えるようになる、と書きました。

YokoさんのFB記事で、言葉もダンスも魔法の一種だな、と思い始めてから
冒頭のおさしんのジョルジュ・ドンさんのYouTube動画を観続けています。
この身体とダンスを観て、感動しない人はいないんじゃないか、と思います。一目生で観てみたかったとは思いますが、今では叶わぬ夢ですね。
しかし、こうやってネット上で何度でも、彼の動画を観る事が出来ます。
劣化した動画ですら、彼の神々しさが伝わってきます。
言葉に出来ない祈りやエネルギーを感じる事が出来ます。

魔法使い修行中の身としてましては、もちろん、神々しいダンスなどは努々手が届く訳ではないのですが、
せめて、ソレを感じる人間の一人でありたいな、と思います。

言葉をしゃべる時にも、あれ?そんなこと言うつもりじゃなかったのに、と言う言葉が溢れてくることがあります。
私は「脊髄反射で喋ってる」と揶揄されるほど、子供の頃からおしゃべりで、喋り始めると周囲が見えなくなってしまうほど制御が利かなくなることがありました。夢中になって喋っちゃう。
もちろん、その分失敗も沢山してきました。
「口は禍の元」と両親や、目上の人たちから口を酸っぱくして言われてきました。なので、自分が喋ることは悪なんだ、と思ってきましたし、禍なんだ、と思ってきました。
それでも止まらないのは「自分が駄目だからだ」と。

それが、ある、きっかけで、自分のタガを外した結果、
そりゃあ、めちゃめちゃ喋るんですが、喋っちゃうんですが
自己嫌悪するのを止めたんです。

そしたら、
人を傷つけることも「失敗」と呼ばれる「口害」も起こさなくなりました。あれ?って。
いや、他人様を不快にすることがなくなった、とは思いません。
そこまで傲慢にはなれませんが
今までも、人を傷つけてきただろうし、今も傷つけてしまうリスクの中で生きているし、これから先の人生でも、人を怒らせたり、不快にさせてしまう事はきっとあるでしょう。
でも、だからと言って、自分を否定する必要はないんだ、と
割り切ったんです。

自分の中心にある「光り輝くもの」に対して
それを否定せずに、そこから出てくるエネルギーで喋っているなら
それで、何か、他人様との軋轢を生むのだとしたら、
それは、起きるべきして起きる軋轢なんだろう、と
そんな風に、自分を許すことは出来る様になりました。

ジョルジュ・ドンのダンスが心を撃ち抜くのは
彼が、彼自身の光の真ん中から湧きだすエネルギーで踊っているからなんだと思います。

私も、これからも、喋っちゃうキャラで生きていくんだと思いますが
せめて、自分の中の光り輝くなにか、や、天井におわしますアッラーと
ブレない様にだけ、気を付けて生きていこうと思います。
そこさえしっかりしていれば、言霊や周波数は自然と伴って言葉を発することが出来るんだと思います。
縮こまったり、逆に虚勢を張ったり、何か取引を言葉に潜ませたときは
多分、言葉じゃないなにかで、ちゃんと伝わってしまうんだと思います。

そして、ダンスを観て感じられたソレと同じ様に、
言葉を受け取る際にも、
ソレを感じられる人間の一人であろう、と思います。

全ての友人たちに健康と幸運を!そしてダンスを!

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