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私が「占い師」になった理由。

骨を埋める覚悟で、20年間かけて目指してきて、
やっとたどり着いた、夢の職業、「小学校の先生」。
子供の頃に思い描いていた現場に立って、試行錯誤できるのは、
本当に恵まれた人生だと思う。

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ずっと、小学校の先生でいたかった。
本当は、辞めたくなかったし、辞める選択を、かなり悩んだ。
2年間くらいかけて悩んだ末に、違う道を選ぶ決断をした。

夢の職業を手放したのが、2014年3月。
そこから、自分が何者になれるのか、わからないまま、
無我夢中で30代を走ってきた。

教員を辞めて、しばらくの間は、
とりあえず、「やりたかったことをとりあえず全部やってみる期間」
だったので、
ビジネススクールにも入ったし、
タロット占いも勉強し始めたし、
おうちカフェもおうちサロンも、
見切り発車で始めた。

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アパートの一室の「すみぃ cafe」と名付けられた空間には、
いろんな人が、あれよあれよと集まってきた。

呼んでないのに集まってきてた。
人生にフィーバータイムがあるとしたら、
あの時は紛れもなく、フィーバータイムだった。

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ホームパーティーもやったし、
お茶会もやったし、講座もやった。

今では全国的に有名になってるような、講師の人も何人もきて、
この狭い部屋に人がミチミチになって、講座やった。
(今思うと、なぜ、公共の場所を利用しなかったんだろう、と思う。
 借り方わかんなかったんだろうな。常識ない子だから。)

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野外での企画も色々やった。
講師を呼ぶだけじゃなくて、自分自身も、
お外で絵本の読み聞かせや、表現ワークショップとか主催した。

自宅じゃなくて、公民館を借りることを覚えたり、
チラシを作って集客することを覚えたり、
小さいことから大きなことまで、
いろんな人に教えてもらった。

でも、
「私は、何者だろう」

ということは、よくわからなかった。
起業してすぐに、自分につけた肩書きは、
「心の根っこケアテーカー」だった。

心の根っこをケアする人になりたい。
でも、ケアワーカーではなく、ケアテイカー。
継続的なケアを仕事にするのではなく、ケアして見守る人。
その人の心の根っこの力を取り戻すお手伝いをする人。

この根っこや理念は、今もブレてないんだけど、
なんにしろ、わかりづらい肩書きで。

もっとわかりやすくて、スッと馴染む肩書きはないものか、
と、探し続けた。

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「心の根っこケアテイカー」を名乗ってから3年ほどたった頃、
この肩書きに違和感を感じ始めた。

ケアして見守るだけではなくて、
こっちだよ、と、導く存在になりたい、
カウンセリングじゃなくて、コーチングがしたい、
という思いが強くなって、
「スピリチュアルコーチ」になった。

その時から、一応の肩書きは、
「スピリチュアルコーチ」
なのだけど、
わかりづらさは全然変わってないし、しっくりも来てないんだよね。

で、そうこうするうちに、
コーチングもしなくなって、
ずーっとやり続けているもの、
最初からずーーっと、変わらずに残っているもの、は、
「タロット」
だったので、
あぁ、私、タロットの人だったんだ。
って、諦めがついた。

青い鳥みたい。最初からあった。
でも、ここに戻ってくるまでに、あちこち寄り道しまくっちゃった。

で、「タロット」から逃げていた理由は、
「占い師」という肩書きから逃げていた理由と、同じなんだよね。

「占い師」っていう肩書きは、ネガティブイメージがありすぎるのと、
世間一般が考えている「占い」は、
占いの本質から離れすぎていて、誤解されている。

そのネガティブイメージに正面から向き合うのが、
怖かったんだと思う。

でも、
反対に、「占い師」だからこそ、できること、
「占い師」という肩書きだからこそ、できることがあって。

それは、クラファンで「占いカフェ」を作った時に、
自分の中でブレない信念になった。

「占い師」という肩書きにしたい、
でも怖い、と、ぐるぐるする中で、
私の「占い師」という仕事への誇りと確信は、
強くなる一方で。

なぜ、コーチでもカウンセラーでも、
コンサルタントでもなく、「占い師」なのか。

という問いに、
私は、はっきりと答えることができる。
もう、「占い師です」に、言い訳をするのはやめようと思う。

そう、決意した、
昨夜でした。


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