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山一證券最後の日

メディアでは吉本興業の一連の身内ネタが連日のように報じられており、SNSでは岡本社長の会見内容や事の顛末をさも大喜利かのように揶揄し、寄ってたかって石を投げている今日この頃・・・。もうどうでもいいですね。

私は先の会見を見た時にふと一つの歴史的な事件を思い出した。

それは、1997年、当時日本一の證券会社であった山一證券の倒産である。中でも、倒産時の社長である野澤社長(当時)の会見を思い出す。ワイドショーなどで今回の岡本社長の会見の一部をご覧になった方は、ぜひこちらの動画も観ていただきたい。

どうやらネット上にも今回の吉本興業の岡本社長の会見と比較する人がいたようだ。あまりに対照的過ぎて思い出す方も多いはず。

ちなみに当時私は10歳。勿論、山一證券が倒産することの社会的なインパクトや自身への影響など知りもしなかった。

しかし、当時ニュースを見ながら父があることを教えてくれたのだ。

それは、父が新卒時代。父は山一證券と某IT企業の二つから内定をもらっていたという。卒業時にどちらの会社に入社するのかという選択に際して、親(私からすると祖父母)や周囲の友人からの反対を押し切り某IT企業に就職したという話を聞いていた。

そのためか、学生時代の父の選択如何では、1997年の出来事によって「自分や家族の生活が危機的な状況に瀕していたのかもしれない・・」と幼いながらにも肝を冷やし、父の過去の選択に強く感謝したのを覚えている。

野澤社長(当時)の「私らが悪いのであって、社員は悪くありませんから」「善良で能力のある、(中略)、社員の皆に申し訳なく思っている」という会見時の言葉は、そんな我が家の冷や汗と相まって、以降の自身の倫理観やリーダーのあるべき姿、美徳に大きな影響を及ぼしたといっても過言ではない。

その後、野澤元社長は長年社員の再就職に尽力したという。

どこまでも社員ファーストな人だ。会社のトップとは、こうあるべきだ。

倒産してしまったとはいえ、当時の社員はこんなリーダーと共に最後を迎えたことを悔しくもあり、誇らしくも思っていたのではないだろうか。

今は社会の風潮として、従来のように個が会社に強く依存する時代ではない。転職も容易だし、圧倒的売り手市場なためどこでも人手が足りていない。

そのため、行かないといけない会社ではなく、行きたくてたまらない会社にならないといけない。一緒に働きたい人がいるから会社に行きたいのであって、そうでもないのであれば、一人であるいは他で働けば良い。そういう時代だ。ましてや会社のトップやマネージャーがどんな人間だろうと、どんなに無能だろうとあまり関係のないことだ。他にいくらでも選択肢はある、そんな時代。

今回の吉本興業の一件や過去の山一證券のような会社の引き際から、我々は多くの事を学び、襟を正さないといけない。

山一證券が最後の最後までどのように戦ったのか、詳しく知りたい方は次の書籍をお勧めする。ドラマにもなったくらいなので読み易く、胸が熱くなること請け合いだ。

それでは、また。

プランニング室 稲田

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