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【二人のアルバム~逢瀬⑱~結び事~】(フィクション>短編)※加筆済


§1.菜種梅雨なたねづゆ

二人で暮らし始めて、半年もすると、彼の起業したコンサル業は、彼の働きぶりもよく、以前していたビジネスの知り合いも多く、少しづつ立上げられて順調に稼働し始めた。

まだ彼だけが社長で彼女だけが彼の社員である、小さいままごとの様な、カワイイ会社ではあったが、この部屋の彼の小さなオフィスセクションで開始した小さなコンサル業は金を生み、家賃収入なしでも、何とか生活は立った。

だが、まだ家賃収入が無いと、突発的に困った際には、助けになるので、彼女も、フルタイムで彼の仕事を手伝いだし、管理人の仕事もやりながら、帳簿付けや、税理士との話などに支援し、2人はチームとなって、オフィススペースを広くしたいので、このアパートメントハウスの横の棟の一階も購入して改造したらどうだ、などと言う話なども、管理会社と出ていた。似た者同士で仲睦ましい二人のチームワークは非常によく、家賃事業も波に乗り始めていた。

或る土曜の朝、コーヒーを呑みながら、彼が彼女に言った。
「管理会社の間波磔まばたきさんが、雨が酷いので部屋の閲覧はないんだって、今日」
コーヒーをスプーンで混ぜながら、彼女は微笑みながら彼を見上げた。
「あ、良かったわ。私、正直、お仕事が色々あって、最近、ちょっと疲れていたの。今日の雨は大歓迎」
彼はクスッと笑った。数時間前に、まだ鼾を掻いて眠っていた様子を憶えていた。
「あのさ」
彼が続けた。
「ん?」
「両親があなたに会いたいって」
煙草を左手に取り、カップを以て右手でくわえ煙草に火を点けた。
「え、何、ここに来られるって事?今日?」
少し、驚いた様な声で、彼女が言った。
昨夜からの大雨で、さすがに今日は彼も歩き廻る気がしない様子だったから、突然、
「両親」
の話が出て、驚き戸惑った様だった。

彼は滅多に実家の話をしなかった。以前、彼の部下の三条が、彼は家柄が凄く良い所の息子さんで侍のような名前をしているのだ、と聴いた事があった。全く違う「家柄」の彼女には、敷居が高く感じていた。

彼女の横にくっついて彼女の膝にもたれて座っていた灰色の猫、
『ブルー』も、彼に目を向けた。頑固そうに口をひん曲げて、彼を見ていた。
「一体、お前は俺のマミィに何を言ってるんだよ」
とでも言ってるようで、彼は笑った。

「慌てなくていいよ。結婚の事を訊かれて、あなたを妻にすると言ったら、オヤジが会わせろって、ね」
彼より数年上の年齢でもあるし、彼女は自分の容姿や育ちに自信がなかった。結婚の話は一切彼から提案されていなかったので、目が丸くなっていたが、何とか話は聴いてる積りだった。

「来週、オヤジは、都内で知合いに会う予定でさ。市外にある実家からこちらに泊りがけで母と寄るから、ついでに、今、何をしてるとかさ、話せよ、って事になって…」
彼はそう一気に言った。

彼女は、膝に凭れさせていた猫を上から見つめて、微笑んだ。
「ブルー、ビックリニュースだわね」
猫が彼女を見上げて、みゃあ、と優しく鳴いた。
彼女の瞳を下から見上げて、
「大丈夫だよ、自信持て。俺が一緒だ」
と言ってるように感じて、苦笑した。
猫を撫でると、猫は目をつぶり、快感の極みの様に甘えた。
数分して、
「猫…、お好きかしら、お義父様…」
「ん?」
「ブルーは動物ホテルで過ごす事になるのかなって…」
「あぁ、ブルーか。いや、ここは元々あなたとブルーの家で、俺は其処に突然、転がり込んだんだから、そんな気遣いは無用だよ。両親は駅前のホテルを取ると言っていたよ。様子を見たいだけだ。それに」
彼はここでフフッと笑った。
「オヤジもオフクロも、動物、大好きなんだよ。実家で大型の番犬も飼っていて、動物には子供に話すような態度だよ。俺達への態度と違うし」
「俺達って妹さんとあなた?」
「うん、そう。妹の奴は、少し、身体が悪くてね。だから実家なんだ、独立した事ないし」
「私にお世話出来るかしら」
「介護や看護はしなくていいよ。もう、ずっと病院だしね。時々帰宅するけれど、あなたが何かする必要はないよ。先日、その為の介護先施設代金の払いをしたんだから」
彼は退職金の事を謂った。

外は継続的な菜種雨なたねあめではあるが、部屋の中はそうそう寒くなかったので、テラスに向かってガラス窓が隙間10㎝くらい、開いていた。別に寒かったのではないが (むしろ、夕方から寒くなる予報であった)、朝、起きて猫の為に空気を入れ換えると彼女が窓を開けて、空気の出し入れをしていた。窓が開いていても、網戸を閉めているので、猫はどんな日にも、外へは出なかった。もう午後なので、実際、毎朝の
ニャルソック外の監視
を、ブルーが先程まで、窓辺でしていた。

彼は椅子から立ち上がり、窓まで行って、窓を閉めた。雨の湿気や音が、一瞬の内に、ピシャリと閉まった部屋の中には、外の雑音は聴こえなくなった。彼が振り返り、彼女の顔を見た。

彼は先程の自分の席について、真っ赤になりながら、立ったり座ったりしつつ、モジモジと話し始めた。
「…あのさ」
彼女が、顔を上げて彼を見つめ返すと、
「ん…前からね、謂おうと思っていたの」
「なにを?」
彼女は優しく彼に尋ねた。
「あなたと夫婦になりたいって…」
彼女は溶ける様な微笑みで云った。
「嬉しいわ」
彼女は頬を染めて喜んで応えた。
「ホントに?」
彼の瞳が大きくなった。
彼女は頷いた。
「ホントよ。あなたを好きになったのは私が最初だもの。ホントに嬉しいわ。私もあなたのお嫁さんになりたい。でも、ご両親は喜ばれないと思うの。私の父は前科者だし、母は、父のせいで、実家の家族みんなから追放されたし。
—父は実家から戸籍も抜かれてしまったし…」
「そんな…。—酷いな」

§ 2.和

彼の両親が彼女を訪ねたのはその二週間後だった。彼は彼女と両親の間に立って、彼女の触れられると辛い過去の経験などを先に両親に話して置いたから、両親から入っ来る言葉は全て、非常に前向きで親切で優しいモノだった。

彼女の父の実家は甲信地方の大豪農の地主だった。

後に、武田家の一番の部下、飯富家の家臣になったそうで、住居は典型的中庸サイズの豪農の屋敷だった。300年の歴史だの、権威ある侍の家庭の息子がだのと、荒っぽく剣道の竹刀で当時の実父から育てられ、後に亡父だけの責任ではない様な虐待の悲惨な経験を経て、父は罪を犯した。彼女の父の父は、学問に人生を傾けた人だが、学校に勤務し、校長にまで成り上り、併し、男児5人を力と竹刀と暴力で抑えた人だ。父は馬鹿間抜と謂われ続けて生きていた人だったが、いま彼女が思うに、父は素朴な正直者だったと思っていた。ただ、虐待が激し過ぎて、人が変わってしまったのだと。

彼女が思う自分の父は、家族にいいように利用された男だ。
金がある時には、他の兄弟に騙されて全てかすめ盗られ、金が無くなると兄弟は相手にせず、亡母は跡継ぎの兄弟から馬鹿にされ、家族に裏切られ、最終的に戸籍を外され、家族に棄てられた人だ。一度彼女が電話した時、父母より年下の叔母に罵られてもう二度と電話するかと思った事が有る。それ程、醜い親類であった。

彼との人生をこれから紡いでいく事を思うに連れ、親類の醜い態度や言葉を思い出し、彼女は気が重かった。今度は結婚した先でこんな思いをするなら、結婚など要らなかった。

彼が以前から、初めて両親に会う際には、着物でね、と、彼が買った反物で高そうな訪問着を作らせた。彼女は着物は以前から似合う、と亡父母から謂われていたので、一応、問題ないかと思い、彼に従った。

「家柄」とか、「生まれ」とか、そんな単語を否定的な言葉で、口汚く罵られた事しか、彼女にはなく、また、自分の年齢や生活レベルで、外見、知識、自信など、彼女の中に自信も自尊心も皆無だった。「本家」の連中の口うるささは、昔から知っていた。どんな酷いことを言われるのかと怖かった。

彼が作ってくれた着物を近所の着付け教室の奥様に直して頂き、一応、自分が思っていたより幾らか素敵に着付けを仕上げて戴いた。
「頑張ってね。きっとお相手のご家族に喜ばれてよ」
と奥様は言っていたが、ロクな経験が過去にない彼女は、彼の両親が着た日には別離なんだ、と勝手に仮定していた。

彼が両親をアパートに連れて来た時、一目、彼の母に会った途端、自己紹介して挨拶しようとした彼女を見て、彼の母は、
「あら、まぁ、まぁ、まぁ❢ 美倭子みわこ様にそっくりだ事」
と声をあげた。

彼女は、美倭子と言う全く知らぬ名前を初めて聴いて、混乱した。
気が付いたら、彼女と彼の母を横でジィっと嬉しそうに見ている優しそうな紳士がいて、コレが彼の父だ、と直ぐに分かった。紳士は、彼と何か小声で話していて、びっくりした表情の彼女を紳士は指差し、何か言ってやれ、と言って、彼女の方に、彼がすぐ来た。

「心配しないで好いよ。あなたは、俺の実母に似てるの」
「あなたのお母様って」
彼女は彼の母を見た。
母はニコニコしていた。彼は彼女の肩に手を架けて、
「あの人はね、義母で養母。実母じゃないワケ」
「あ、そう言う事…」
クスクス笑いながら、彼が言った。
「そう、そう言う事」
彼の父が彼にそっくりの瞳で云った。
「一目惚れだな、コレは」
彼女は頬が赤くなるのを自覚した。
彼はそれをニコニコしながら見ていた。

丁寧にご両親に彼女は、やっとご挨拶し、お茶を勧めると、彼の養母は、さらに驚いて小声で何やら、謂っていたが、彼女には聴き取れなかった。彼の父と彼が彼女の一挙手一投足を見つめていて、口元に微笑が浮いていて、瞳が真摯で、眉毛が濃い目で、そっくりだった。彼の養母は、ジィっと彼女の姿を全体的に見入っていた。
「あ、あの…」
「母さん、彼女、恥ずかしがってますよ」
彼が間に入ってくれた。
彼の父は彼とそっくりな含み笑いをして、彼の母は恥じ入りながら真っ赤になって謝り、彼の勧めるままに、小さいダイニングに四人揃って座った際に、彼女の横の小椅子に猫も飛び上がった。

当然ながら、
「俺も家族だぞ、紹介せんか」
と言わんばかりの背をスッと伸ばして彼に睨みを利かせる態度に、彼が父と噴出して笑った。笑い声までそっくり似ていた。
「彼女の猫で、元野良なんだって。オスだよね?俺のライバルなんだよ。
愛護団体に引き取られて、彼女が貰って育ててるんだ。ブルー君です」
と彼が笑いながら紹介した。

コレで少しムードが和らぎ、柔らかな瞳で猫を見詰める彼の父は、少しづつ猫に近づいて、何やら呟きながら、優しく頭を触った。
「おおぅ、息子が世話になってな、わるいなぁ」
とブルーの額を指先で軽く掻く様に撫でた。猫はゴロゴロと言い出した。
「好い子だ」
続いて、彼の母も、彼女の優しい指先を猫に匂わせてから、
「私も撫でさせて貰ってもいいかしら?」、
と言いながら、静かに猫に話しかけながら、頭を撫でた。
「好い子ちゃんね。あなたは賢い好い子よぉ」
と鼻を指先で撫でると、いつもなら彼女以外は引っ掻かれるのに、今日はゴロゴロとブルーが上機嫌で応じた。
「まぁ、有難うございます。ブルちゃん、良かったわね」
彼女はホッとして礼を言った。ココでひっかき傷は作って欲しくなかったので、
「賢い好い子よ、ブルちゃん」、
と頭を撫でた。猫は快感の極みの様に目を閉じて愛撫を受けた。

かなり、珍しく感じたのは、ブルーの態度だった。彼には第六感で分かるのか、動物的勘で、悪人が分かる様で、飛び込みセールスの若者などは、彼にシャーっと威嚇される事が多かった。

彼女に怪我をさせた事はないが、ブルーは元野良猫だったので、異様に他人を信用しない。他人が突然触ったりすると、瞬間的に威嚇したり、噛み付いたり、引っ掻いたりするブルーが、老夫婦には静かに撫でられていた。彼女は驚いた。

そう謂えば、と彼女は思った。
彼がココに移転した際も、最初に泊まりに来て、副社長と別離した時にも、ブルーは、エラく簡単に彼に馴れた。一緒に部屋に暮らす事を許可した様子だった。さすがに腹は見せなかったが、彼に歯をむいたり、爪を立てたりしなかった。

ブルーの彼を見る目つきは、恋のライバル並に睨みつけるが、彼を傷つけなかった。まるで、そんな事をしたら、自分の母親代わりの彼女マミィの心が傷ついてしまうのが分かっていたように、彼を簡単に受け入れた。

彼女が腕を振るった和風の夕飯は、いわゆる家庭料理で、別に洒落たものにはしなかった。ただ、すべて、茶碗からコップから、二つのセットのモノばかりだったので、彼の両親が来る前に後、2セットを百均ストアで購入して置いた。彼が気が付いて、有難う、と言ってくれた。

暫く、重苦しい沈黙の中、四人で美味しい夕餉を楽しんでいた。何を作ったのかを少しづつ彼女が言うと、父は、「へぇ」とか、「旨いねぇ」とか、謂いながら、食べてくれた。彼は彼女より嬉しそうに見ていた。

「ずっとお独りで暮らしていらしたの?」
彼の養母が芋の美味しい味噌汁で舌を温めてから、彼女に訊いた。
猫のブルーに餌をやり、キッチンの横の餌置きに置いて、猫が食べる様子を見てから、彼女は席に着いた。

彼は彼女の横に座り、両親は父が彼の前に座り、養母が彼女の前に座っていた。

「あ、はい、猫と二人暮らしです」
「ブルちゃん、おいくつなの?」
彼の母は、彼女のブルーの呼び方を真似して話した。こうされると、猫はより懐きやすいのだろう。ブルーが顔を挙げて、また餌の中に頭を入れた。
「あ、まだ私のところには去年の春、来たばかりなんです。
まだ二歳です。以前から、猫は仔猫から愛護協会に貰って飼育していまして…この仔、エバっていますから年取って見えますよね…」
彼と彼の両親がほぼ同時にそっくりの笑い方で一笑した。
「そうなのね。お母さんを守ってくれてるのよね、可愛い子ね、ブルちゃんは」
ブルーは大きな琥珀の瞳で彼の母を見て、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「言ったでしょ、両親ともに動物が大好きなんだ」
彼が横に座った彼女に謂った。彼女はニッコリしながら頷いた。

(つづく)


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