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【昔話】(フィクション>短編)

   電車でめくっていたファッション雑誌の頁に、彼の翻訳した本が紹介されて書評が載っていて、ページをめくる手が止まった。

   別れてこのかた、逢っていなかった初恋の相手が、まだ生きてるのを知った。当たり前なのに、何故か、余りに長い間、彼の事を思い出さなかった私は、暫くサプライズ感が大きくて、この記事を見ながら、過去に気持ちを馳せていた。頭の中が当時の自分になったみたいに、電車に揺られながら、思い出に浸った。

   どんぐりの様に上向きに揃ったいつもの短髪と、ちょび髭と顎髭が、三種三様に綺麗な亜麻色の白髪になった以外、さして変わらない賢いイメージの彼が、時を越えて、其処に居た。

   ――いくつ違うんだったっけ。16歳上?今、80近いのね。80って…。時が経つのって早い。

   頭で驚愕した。何より自分の年齢に最近、とっても驚いている日常の自分の上に嵩を懸けた格好で驚愕した。

   ――もう私も60代だ。

   周りからは「とてもそうは見えない」とお上手を言われても、自覚している老化は否めない。でも、写真の彼には、老齢感がなかった。ヨボヨボ感がない。楽しい毎日を送っているのだろう彼の姿を心に浮かべて、ふと、微かに微笑みが浮かんだ。

   やりどころのない自分の視線の先に、電車の窓を見つけ、両親が嫌った、
「お鬚さん」
と、あだ名をつけられた、当時の彼を思い出した。

   私の自宅に電話して来たその瞬間から、彼と私の恋は始まった。ただ私が彼に前から若いのに大活躍する彼にあこがれていたとか、そう言う事でなく、彼と私の実際の関係が始まったのは、彼が私に電話して来た後からだ。

   母の電話のマナーは、上品だったが冷たかった。どちら様ですか、と訊かれると、いつも彼は、口ごもり、小さい、自信のない声で、ドモりながら母に自分の名前を伝えた時を、思い出した。

   ――もう何年経っているのかしら。30年? いや、40年か…。

 「もしもし○○様のお宅でしょうか」
 「はい、左様でございます」
電話を取ったのは、母だった。

「あのぅ…。翔子さん、ご在宅でいらっしゃいますか」
 「おりますけど…。失礼でございますが、どちら様でいらっしゃいますか?」
「株式会社〇〇の、一谷と申します」
電話に出ながら、キッチンにいた私を睨みつけながら、母が言った。
  「こちらに下ります。少々お待ちくださいませ」

   今なら携帯で個人から秘密の連絡が可能だが、80年代の連絡法は、自宅への連絡が個人間の連絡だった。ウチの電話は黒電話で、当時は本当にレトロだった。

   「男の方から、お電話。一谷さんですって」
まるで焼きもちを焼いた様に、母はわたしの肩を抓った。

   「はぁい。もしもし」
   「もしもし。あ、僕だけど」
   僕だけど、と言えばわかる程の仲だったのか、今は定かではないのだが、彼はとにかく私には甘い声で、静かに穏やかに話した。

   母は、一谷の声も気に入らなかったし、私が彼に興味を持った話を聞いて直ぐに「ちょび髭に顎髭」がある男も嫌い、と反感を込めて言った。「彼の目的」が読めるようだったのだろう。処女にまとわりつく、オオカミ男の様に感じていたらしい。だから、賢い母は、事、男、と聴くと切れやすい私の父には、彼の話はしていなかった。

   彼の翻訳本の記事を見やると、当時は黒々していた、一谷の髪も、今は真っ白な白髪だった。彼のドライに切り揃ったどんぐり頭の短髪の感触が一本、一本、私の指にリアルに残っていた。
   
    ――記憶とは、不思議なものだ。

   彼の本の書評は、大概が前向きで、以前は世界中で活躍、と書かれていた。彼の現在についても少し語っていた。 今は80前なのに、彼の笑顔はやつれたり、細くなっていなかった。お爺さんになった様子がなく、事業は引退して、もう10年程、翻訳家をしている、とあった。

   相変わらずの黄色い綿のコットンスーツと緑のタイを身に着けて、取材を受けている最中の真面目な写真と、若い青年と肩を組み合ったオフタイムの笑顔の写真。同じ苗字の若い青年が横に笑顔でくったくなく写っていた。

   ――この青年は、息子さんかしら。彼は選んで子供は持たなかったと聴いていたけど。まだ若いから、兄弟の子供か孫?

   私が彼とデートした頃の彼は、まだ40前だ。38、9歳だった。上背で、お腹はビール腹だったが、その迫力でなかなか落とせなかった外資広告主を落としたと有名で、「海外事業部のクマ」、とあだ名がついていて、私は「クマさん」、と呼んだが、彼の要望で、次回からは下の名前をさん付けで「薫さん」、と呼ばせて貰っていた。

    一谷薫は、ビジネスでは、ドライで、静かで、真面目一徹、何を考えているか分からないような無口な男だった。トラッドな大英帝国のトラッドファッションで身を包み、とにかく、年齢にそぐわない貫禄があった。睨みが利き、集中力があり、ビジネスになると、彼が私にする優しい甘い口調は皆無で、冷淡な程に厳しい口調に変わった。彼が私に話しかける時は甘かった声が、職場では鋭く高く、響いて聴こえたものだ。

   ほぼ毎日、世界を駆け廻っていた彼は、西欧小国の其処ら中を廻って、物件や事業を買収し、事業拡張をしていた。当時、彼が一番脂ののっていた頃だ。

   ――今は、翻訳家やってるのね。へぇ。彼らしいなぁ。

   彼が私を初デートに連れて行ったあの夜。六本木の大きなビルに連れて行かれた。エレベータに載った瞬間から、話した事、した事、全てを憶えていた。彼と出逢って数か月後だったか。

  ――あれは、出逢って一年くらい経っていた頃だったのかしら。

   頭でそう反芻しながら、電車の窓から見えるいつもの外景を眺めていた私の瞳は、思い出の中にいた。


   携帯のない時代だったので、デートはいつも、夕方から二人で電話し合ってスケジュールを確認し、急ぎの連絡など必要ない時間を選んで、示し合わせて、逢瀬したものだ。

   夏の終わりの頃の話で、キレイなスーツも、汗を掻いてベトベトの肌にペトリとついて、暑さ感が倍増した。

   歩きやすいハイヒールを選んだから楽だったが、兎にも角にも、180cmの彼が足早に歩くと、どうやっても、私には追いつかなかった。歩幅を同じにしてくれないから、彼が少ししてから、先で待つ形になった。

   或る夜、彼より背の小さい私にやっと彼の認識が及んたようで、
「思ったより翔ちゃんは小さいんだね」
と言いながら、手を伸ばし、ぐっと私の手を握って、一緒に小走りに引いて、歩いてくれた。それ以来、男性と手を握り合って歩くのは好きになったくらい、彼の手はしっかりと私を受け止めてくれたものだ。

   それでも、急いでいると、グイグイ引っ張られ、ともすると転びそうだった。今なら足下及ばず、転んで恥ずかしい思いをしているだろう。

      ヨージヤマモトの白いパンプスは、ヒールがとても履きやすかったが、そうでも、今じゃとても、脚が浮腫んでとても入らないだろう。あの当時、身に着けていたものなんて、とても、とても着れるものではない代物ばかりで、当時に比べて、時代は着易さや、ゆったりした楽なものへと移行した。

   当時のネクタイ絶対時代から、仕事が出来れば何でも良くなるバブル後の便宜主義時代や自分自身のキャリアを懐かしく比べながら、彼との思い出が頭を独占した。そんなに彼を愛したのか、と云うと、当時の私には夢があり、仕事があり、理想があったので、今よりずっとクールだった気がする。

   読んでいない記事を指で辿りながら、軽く口元で含み笑いした。

     ――40年。もうそんなに経ったのね。

   今思えば、彼は結構せっかちだったし、時々困った事もあった。例えば、最近、心底、好きになった男は、転倒して膝を傷めた脚の悪い私の為に、私の周囲で無理をせず、遊びながら歩き、私を守り、私の歩幅に自分の歩幅を合わせてくれた人だった。そんな、相手を思いやる人に比べると、一谷はより自分中心な状況判断が多かったと思う。忙しい時は連絡もなく、電話してもいつも会議か出張だった。そういう部分では、一谷は紳士で金は出したり、かいがいしかったが、女の扱いにはドライだった。

   ――だから別れたのかな。最初から、合っていない所、多かったし。

   バブル時代の始まりの頃の六本木は夜が早かった。午後3時頃から混み合う交差点で人込みに紛れて、薄暗くなる夜の横断歩道を、手を繋いで笑顔の逢瀬が続いた。ロマンティックな月夜だった。

   その日は、彼から誘われた。彼に電話で指示された通り、5時半の終業時に麹町の会社を出て、彼の会社のある赤坂分社の近くに行き、アイスティーを呑み、落ち着いたら、6時15分くらいに店内にある公衆電話から、彼のオフィスの直通電話に連絡した。

   電話口で待っていた彼に喫茶店に来た事を知らせて切ると、3分せずに社用車のメルセデス・ベンツを運転する彼が迎えに来た。そのまま、助手席に乗って、車で六本木まで行ったのを憶えている。

   今夜は呑もうね、少し、と車を駐車場に預けて、彼の名で予約されたフランス料理店に行った。残さず戴いた後、腹ごなしに、とゆっくり歩いて、近隣のビルで、窓がついてライトがピカピカ光るエレベータで上階に上った。

   窓から夜景を見ていたら、腕を取られて、
「ね…」
と言われて、
「えっ」
と、横を向いた拍子に突然、キスされた。

   ふと気が付いたら、エレベータの中には私達二人だけだった。

   彼は私を胸の中に抱いていた。
「初めて?」
「え?」
「このビル」
「あぁ、…うん」
離れようとする真っ赤になった私を、彼はさらに甘い声で私の名前を呼んで抱き寄せて、どうしていいかわからず真っ赤で下を向いた私に
「キッスも初めてだよね」、
とからかう様に彼が笑った。私はさらに赤くなった頬の熱さを憶えている。

   あの頃は、年上な彼が凄く魅力的で、大人に見えた。たかが22辺りの若い小娘の私には、40前の彼の話や彼のすることは全て、ドラマか、別の世界のようだった。夢のまた夢の話だった。

   今なら、なんとも思わない、ちょっとスケベなオジサンに連れて行かれた特別美味しくもないフランス料理とバーだけれど、二十歳そこそこの小娘の私が知ったワインや、料理や、次に行ったバーなどで会った人や、見たものや夜景や、二人っきりのエレベータのキスは、当時のあの時代の雰囲気に私を酔わせた感じがあった。

   彼は当時、バブル景気の中、海外で事業拡張をしていて、その話をしていた。一度辞めた、以前勤めていた会社の社長に時間を貰い、関連会社を海外にどんどん増やしてやる事で社長に交渉し、36歳で某社の海外事業本部役員になった。

   日本企業で外資の出世方法を真似たかのような、斬新的な身の振り方に、聴いていて憧れた。当時は既にそんな経緯で複数の西欧の分社の社長も兼ねていた彼を、いつも凄いなぁ、と感心し、何故私なんぞに興味があるのか、と不思議に思ったものだ。

  夜景が見える綺麗な夜で、夕食後は、しっとり落ち着いたバーで呑んだ。彼は私に白ワインを勧め、自分はウイスキーを二指分、バーテンダーに見せた。今思うと、気障な注文の仕方だった。

   彼は其処で、私と仕事の話をしながら、2時間ほど、私の手を握って、一緒に呑んだ。私の手を離さなかった彼。今思うと、私の若さや無垢な所が、彼にはちょっとした酒の肴になったワケだ。

   年取った今なら、
「ははん、ホテルでも行きたいんだろうな」、
と分かるが、当時、21、2歳のねんねだった私には、彼が何を考えているかなど、想像する事も出来なかった。

   その夜は、トラッドな、ヨージヤマモトの着やすいタイトミニを着ていた。髪は父に逆らってショートにし、当時、彼にあこがれて自分の金で買ったコットンジャケットも身に着けていた。一緒に歩くとペアルックみたいだった。彼は海外へ進出していろいろ経験した話を面白おかしく聴かせた。

   気が付くと、そのバーで、彼は暗い方角に座って、黒い蔭の様にしか、見えなかった。バーのライトが微妙に直接、私にあたる様に座らせていた。私の正面には、バーテンダーが計画的に開けた窓があり、窓の外から、涼しい空気と近隣のビルの屋上のレストランやビヤホールで晩夏の夜を楽しむ人達のグラスの音やおしゃべりのザワザワ、乾杯の声が遠く聴こえて入って来た。

   当時、若い頃は、両親との口論や仕事で気苦労が多く、痩せていたし、モデル並に9㎝ヒールを履いて歩いていた。自分の外見は自信があったけれど、目がちょっと斜視だった事がイマイチ、と、自分の顔が嫌だった。
「あんまり、見ないで」
「なんで?」
「私、斜視だから。ブスだし。両目がフォーカス出来ないし。眩しくて」
彼は、笑った。
「わかっていないんだな、翔子は。翔子って肌がきれいだし、目の焦点が合わないところが、矢鱈色っぽいんだよ」、
と笑った。驚いていると、
「他人に謂われるまで、分からないだろ」、
と呟いて、笑いながら、甘い声をした黒い影は自分のウィスキーをバーテンダーにお代わりを頼む動作をした。

   夜中まであと少し、という時に
  「さて、僕のベイビーは寝るお時間だ」
と彼が言った。

彼が私をタクシーに載せた。
「今夜は有り難うね、また逢おう」
と言って、万札を運転手に渡して、お嬢様だから、当時都内にあった自宅にお送りする様に、と指示をし、礼をして頷く運転手が私を載せて扉を閉めた。

   タクシーの窓を全部開けて、挨拶した。
   「ごちそうさまでした。逢ってくださって、有難うございました」
   「うん。僕の事、忘れちゃ駄目よ、翔子ちゃん」
と軽く窓越しに口唇にキスした。映画でよく見る「またね」のグッバイキスだ。運転手は彼のサインが分かったかのようにゆっくりと車を動かし始め、帰り方について相談があり、渡された万札の感謝があり、また私は独りで外景を見ていた。

   あの日から、彼と私は彼の外国出張の合間、合間にデートが続く事となったのだった。

   思い出とは、かくも甘くて、ほろ苦いものだ。帰りのタクシーの中で、私の心は、ウイスキーボンボンのような味がした。


この作品は、フィクションです。登場人物名、会社などは全て創作であって、事実ではありません。

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